日本のウォーレン・バフェット|本多静六の”私の財産告白”

資産形成
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こんにちは。夫です。
今日紹介するのはまたまたお金、資産形成の本。

年に一度くらい、バイブルと呼べるような本に出会うことがあります。
例えば、
19歳のときはスティーブン・R・コヴィー博士の「7つの習慣
20歳のときは童門冬二の「上杉鷹山
21歳のときはジェイ・エイブラハムの「ハイパワー・マーケティング
22歳のときは安岡正篤の「人物を創る

最近だとユヴァル・ノア・ハラリの「21Lessons
みたいな感じです。

ちなみにこの間紹介した「LIFE SPAN」も素晴らしい本でテンションが上がりましたが、バイブル(人生哲学を左右する本)という感じではないです。

そして今日紹介する本、本多静六氏の「私の財産告白は今年のバイブルとなるかもしれません。

正直、新しい発見はあまりありません。
ただ、ウォーレン・バフェットが生まれるより前に活躍した日本人が、スノーボール(雪だるま=複利)という投資の根本である考え方を取り入れていたり、ジョージ・S・クレイソンが「バビロンの大富豪」を書く何年も前に同じ方法で資産形成を始めていたり、驚きの連続。

最近の風潮として、資産形成といえば米国株、ウォーレン・バフェットは神、FIRE!!みたいな雰囲気があります。でも、日本にも投資によって資産を築いた、最高のロールモデルがいた。それが本多静六だったんです。

そのことが衝撃的でした。

ということで、さっそく本書の内容にいきましょう!

僕が買った文庫版は「私の財産告白」と「私の体験社会学」の二部構成。今日は「私の財産告白」のほうを紹介します。本多静六氏かなりたくさんの本を書かれているようなので、また何冊か買って、よかったらIntro Booksで紹介しますね。

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本多静六氏の略歴|満25歳で決めた生き方

本多静六氏は資産形成を学ぶ上で外せない偉人なのですが、恥ずかしながら最近知りました。というのも、僕が資産形成に興味を持ったきっかけはウォーレン・バフェットの「スノーボール」でしたし、他に読んだ本もだいたいアメリカの投資家のものだったからです。

ということでまず本多静六って誰よって部分を簡単に。

本書の冒頭「私の略歴」にかかれているのですが、ここを読んだ時点で確信しました。これはすごい本だ…僕なりに要約して書いていますが、そのパワーが少しでも伝われば幸い。

1866年埼玉県に生まれ、11歳で父を失い、百姓などをしながら苦学。19歳の春、東京山林学校に入学。第1期試験に落第して悲観。自殺も考えるが、決死勉強して2学期試験では最優秀で表彰。才能がなくても努力次第で成功するという自信を得る。
勉学が趣味となり、満25歳で日本とドイツの大学を卒業し、東京帝大の助教授となる。
その時、生涯の生き方、人生計画を「40までは勤勉貯蓄、生活安定の基礎を築き、60まで専心求学、70まではお礼奉公、70からは晴耕雨読の楽居」と定め、毎日1項以上の文章執筆と、月給4分の1の天引き貯金の2つを始めた。
40歳になることには利息が給料を超え、万巻の書を読み、万里の道を往くを決行。洋行19回、370冊余り著書を書いた。
教職の余暇には東京の農林・鉄道等の顧問を行い、日比谷公園、明治神宮などの設計改良にあたり、関東大震災後には復興院参与となるなど、17あまりの会長、副会長を兼ねた。公的組織だけでなく、渋沢栄一等実業家の顧問として民間事業にも関係する。
満60で、「大きすぎる財産や名誉は子孫のためには有害無益」として財産のほとんどすべてを寄付。70歳までは宗教・哲学・歴史・経済・法律等の本を読み、アインシュタインの相対性原理に啓発された。また新たに10年計画を立て、学生時代に若返り、新人生学の研究に努めている。

これを書いたのが85歳のときです。少しでもパワーが伝わりましたか?
すごいですよね。11歳で父を失い、苦学の末、当時としては珍しく海外の大学を卒業します。その後、東京帝大の助教授となりますが、東京帝大は現在の東京大学。落第して悲観していた百姓にとっては大成功ですよね。

そして満25歳のとき人生計画を立てます。大事なので抜き出しておきます。

人生計画を「40までは勤勉貯蓄、生活安定の基礎を築き、60まで専心求学、70まではお礼奉公、70からは晴耕雨読の楽居」と定め、毎日1項以上の文章執筆と、月給4分の1の天引き貯金の2つを始めた。

これを25歳で考えるんですよ。1866年に生まれて25歳なので、1891年。江戸から明治に変わり日清戦争の少し前。急速に近代化する中なので、今の25歳とは全く価値観が違うと思いますが、それにしてもすごい。

僕は25歳のとき何をしていただろう…30歳になったときのビジョンすら見えていなかったと思う…本多静六氏はすでに70歳になったときのことまで考えていた…

そしてここに出てくる「月給4分の1の天引き貯金」が本書の骨子、マグロでいう大トロ、人間でいう骨盤と背骨みたいなものです。

資産形成やお金に関する本を読んだことがあるならピンときたでしょう。バビロンの大富豪がいう「収入の10分の1で生活しろ」その他多くの本で書かれている「給料先取り貯金」です。

4分の1とはなかなかパワフルですが、これだけ時代が変わっても(当時は明治初期、わかりやすく言うとるろうに剣心の時代)、資産形成の原理原則は変わりません。余ったお金を貯金するのではなく、給料を得たら使う前に貯金に回せ。

そして40歳になる頃には給料を資産収入が超える、今風に言うとFIREを達成したわけです。それでゆっくり引退するのかと思えば、徹底的に勉学に励み、370冊以上の本を出版。
当時はほとんど国家プロジェクトレベルだった欧米への渡航も何度もしていますし、新一万円札になる実業家、渋沢栄一氏の顧問としても活躍。
資産形成はもちろん、ビジネス、財界、勉学、いろいろな分野で活躍。

そして最後が一番パワフル。

また新たに10年計画を立て、学生時代に若返り、新人生学の研究に努めている。

繰り返しますが、これを書いた当時、本多静六氏は85歳です。当時の平均寿命からいえば、かなり高齢でしょう。そんなときに、これから10年の計画を立て、学生のようなマインドに立ち返り、新しい研究を始めている。

こんなかっこいい日本人がいたんですね…新1万円札も本多静六氏にしたほうが良いんじゃないか…

本多式4分の1天引き貯金法

本多静六氏の圧倒的なパワー、少しでも伝えられたら良いのですが…
もし伝わっていなかったら、ここから先を読む前に本書を買って、「私の略歴」を繰り返し読んでください。
というのも、本書の骨子である「月給4分の1の天引き貯金」は、正直どこでも言われている、当たり前の貯金法。本多静六氏のパワーが伝わってないと、ここから先を読んでも「いや4分の1とか無理だしwww」「当時と今とじゃ経済状況ぜんぜん違うやんwww」「いやいやww苦学したといっても、東大教授でしょ?天才じゃんwww」となってしまいます。

まああえて「www」とか使ったんですけど、給料の一部(4分の1とは言わない。人によって様々)を天引き貯金するという、どの本にでも書いてある当たり前のことができていない人って、たぶん上記みたいな感情があるんだと思います。だって、給料の天引き貯金そのものは誰でも今すぐできますからね。

これから紹介するのは「給料が入ったら使う前に貯金しろ!」という超あたりまえのことなので、本多静六氏のパワーが伝わっていないなら多分読んでも無駄になります。

ちなみに我が家では、給料が入ったタイミングで投資用口座に移動しています。給料から自動で入ってくれたら楽なんですけどね。

貧乏脱却の決意

25歳のとき、ドイツ留学から帰ってきて助教授となりますが、決してお金に余裕があったわけではありません。当時の月給は手取りで58円。今の価値に換算すると22万円ほどです。物価を単純計算することはできません。小学校の教員が10円ほどの給料だったそうなので、約6倍。けっこうな高給取りです。
しかし本多静六氏は当時すでに妻子がいる身。しかも留学帰りで給料が良いだろうということで、親戚に頼られることも多く、養う家族は9人もいたそうです。今の価値で5〜60万円の給料だったとしても、なかなか厳しいですよね。

これではいつまでたっても貧乏から抜けられない。貧乏に強いられてやむを得ず生活を切り詰めるのではなく、積極的に貯蓄を行い、貧乏を圧倒するのでなければならないと考えた。
そこで決意して実行したのが「本多式4分の1天引き貯金法」である。苦しい苦しいで普通の生活を続けて、それでもいくらか残ったら…と望みをかけていては、金輪際余裕が出てくるわけがない。貧乏脱出にそんな手ぬるいことではダメだ

一部こちらで現代語訳というか、調整しています。最後の一文が強烈ですよね。余ったら貯金しよう、なんてことを考えていては金輪際一切貯金はできないと言い切っています。本当にその通りで、人間不思議なくらい、あれば使ってしまうんですよね。

これは僕も実体験としてあります。給料が多いときも少ないときも、ボーナスが入ったときも、不思議ときれいに全部なくなるんですよね。今となっては何にそんなお金を使っていたのか思い出すこともできませんが…服の量はタンスの大きさに比例するみたいな話ですね…

なにはともあれ、本多静六氏は家族9人を抱えた状態で、決意して実行したわけです。ちなみにボーナスなどの臨時収入は10割貯金にまわしていたそう。
そして貯金から利子が出たら(当時は預金にも利子があったんですよ…まあ今もあるにはありますが…)それを収入として4分の1をまた貯金する。

ただでさえ苦しいのにそんなことをするんだから、とんでもなく苦しかったそうです。月末になると現金がなくなってごま塩ばかり食べていたそうです。しかし、給料4分の1貯金は貧乏と決別するという強い意志を持って、理性的にルールを決めて実行しています。苦しい、かわいそう、という感情で揺れるわけにはいきません。今の苦しさは、苦しさから逃れるための苦しさだと家族を説き、続けました。

無理して貯金をしていると考えるのではなく、最初から4分の3の給料しかもらわなかったいうマインドセットが大切です。苦しいのは最初だけ。一旦決めて実行すると余計な支出がなくなり、4分の3の生活水準が身につきます。そうなれば苦しくありません。
新社会人は初めて一人暮らしをするタイミングで実行すると、苦しいと思う瞬間がほとんどないと思います。4分の4で生活していたところから、4分の3に切り替わるまでが難しいのであって、4分の3の生活を続けることはそこまで難しくないのです。

確かに、我が家の家計も気づいたらちゃんと投資と貯蓄に回せるお金が生まれていて、それが当たり前になっている。さっきも言ったように、今はもう給料全部使い切っていたときに、何にそんなにお金を使っていたのか思い出せないです。

給料+資産収入の共稼ぎ

当時は預金に金利があったので、預金しているだけでもそこそこに増えていったと思います。しかし御存知の通り、今の預金は定期預金だろうが実感できるほどの金利がつくことはありません。
本多静六氏は預金の利子もある程度もらいながら、”投資”をはじめました。現代の我々は最初から投資を考えていかないといけないですね。

本多静六氏が最初に行った投資は、日本鉄道株です。当時、鉄道は超成長産業ですからね。しばらく配当をもらって株を買い足していたら、2.5倍の株価で政府が買い取り国営事業になりました。その資産額は3万7千円。雑な計算ですが、今の価値で1億5000万円です。
そしてその元になったのは…給料の4分の1の天引き貯金です。貯金というのは本当にバカにできません。僅かな積み重ねが、計画的な投資と時間によって大きな資産になります。

そしてそれを元手に今度は山林を購入。日露戦争後の好景気で約70倍に値上がり。投資からの収入を合わせた年収が28万円。日露戦争後なので、大正前期の物価に合わせると、年収3億円の資産家です。

本多静六氏はたしかに東大助教授というそこそこ高給取りでした。しかし9人も養い、決して余裕がなかったところから、給料の4分の1、今の価値でせいぜい十数万円を貯蓄に回しました。それを積み重ね、投資をして、あっという間に資産家になったのです。
もちろん、時代背景もあります。明治時代の急速な近代化、戦争が多発していた明治から大正。そうした時代だからこそ、投資していた鉄道が国家事業になったり、山林が70倍になったりしました。
当然、今僕たちが一発で70倍になる投資先を見つけるぜ!といってできるものでもありません。が、年収10億も必要ないなら、給料からの天引きと、基本的な投資で十分貧乏を脱却し、経済的余裕が手に入るんです。

スノーボール=投資で最も偉大な複利の力

さてここまで、「本多式4分の1天引き貯金法」と、本多静六氏が築いた資産の話でしたが、ここからはもうちょっと一般論。投資やお金に対する基本的なマインドセットです。

なのでここからは、本多静六語録といった感じで、彼の言葉に注目します。個人的には書道家とかに書いてもらって部屋に飾りたいくらいの金言ばかりです。

必要な金はもつがよろしい。欲しい金は作るがよろしい

これほどシンプルにお金について語った言葉はなかなかありません。世の中には一定数、お金儲けは汚いとか、お金持ちは卑怯だとかひねくれた考えを持つ人がいますが、そんなことはありません。汚いお金儲けもあるし、卑怯なお金持ちもいるというだけです。
お金を貯め込んでお金持ちになろうとするのは汚い、という感覚は、この時代からあったんですね。これも貯金ができない、貧乏を脱却できないマインドセットの一つ。
お金が必要なら貯めればいいし、足りなければ作ればいい。方法が正直であれば、なんの問題もありません。お金はないよりあったほうがいいというのは、お金で動く社会で生きる以上、当然のこと。そして自分の能力や努力次第で、お金を作ることができるのも社会の仕組み上、当然です。

金というものは雪だるまのようなもので、はじめは小さな玉でも、中心ができると後は面白いように大きくなってくる

これもすごい。世界一の投資家ウォーレン・バフェットが自伝のタイトルに「スノーボール」と名付けたことは知っていると思います。本多静六氏が言うように、お金というのは雪だるまのように、玉を作って転がせばどんどん大きくなっていく、しかも大きくなるスピードはどんどん早くなっていくものなんです。ウォーレン・バフェットは、資産形成に必要なのは元となる小さな玉(元手)と、雪と長い坂(株式市場)だとも言っていますね。
玉というのは、別に種銭のことではありません。仕組みといってもいいと思います。本多静六氏の場合、「本多式4分の1天引き貯金法」という仕組みが雪だるまの玉です。
毎月ちょっとのお金を貯めて何になるんだと最初は感じます。しかし、貯まったお金が利子を産み、その利子が元手となり、また利子を産み…という複利が働きます。このイメージがないと、積み立て貯金はできません。

僕も資産形成の一部でつみたてNISAをやっていますが、これが玉です。めちゃくちゃ小さいですが、20年後までシミュレーションすると、けっこうな額になります。この雪だるま、つまり複利のイメージができていないと、積立投資はしんどいですよね。

勤労生活者が金を作るには、単なる消費面の節約といった、消極策ばかりではない。本職に差し支えない限り、否、本職の足しになり、勉強になる事柄を選んで、本業以外に勤めよ

これもすごい。以前、Intro Booksで紹介した両学長の「お金の大学」でも、まずは貯める力を身につけて、次に稼ぐ力を身につけろという話が出てきました。最近は終身雇用もなくなり、年金などの社会保障はまだまだ強固とはいえ将来は不安。働き方改革や多様化といったテーマが叫ばれ、副業ならぬ複業が盛り上がって来たと思っていましたが、100年も前に本多静六氏が言っていたんですね。
むしろ複業によってスキルや知識が得られ、本業の足しになるとまで言っています。本多静六氏が複業を始めたのは、25歳のとき、明治初期です。そんな年齢、時代に、今重要視されている新しい価値観とも言うべき複業を実践していたんですね。

ちなみに本多静六氏の複業は、文章を書くことでした。一日一項と決め、何十年も続けたそうです。旅行で1週間家を空けたとき、次の1周間は一日二項にして取り戻していたみたいです。一度入院したときは大きな遅れを取り戻すため一日三項にしたら、それが習慣になってしまったというのだから驚きです。
そして本書執筆時点の85歳になっても、一日三項、年に1000項以上の執筆を続けているそうです。

僕もこうして文字を書いているわけですが、週末に頑張って書くのではなく、本多静六氏を見習って毎日これだけと決めてやろうと決意しましたが、なかなか続かない…恐ろしい意志力です。

何人も「貯金の門」をくぐらずに巨富には至り得ない。そこからが「至富の本街道」である。それは断じて「投機」ではない。思惑ではいかん。あくまで堅実な「投資」でなければならぬ

富を得るには、まず貯金という門をくぐり、投資という道を歩いていく必要がある。今も通じる鉄則ですね。本多静六氏は株式投資方として「二割利食い、十割半分手放し」というルールなども紹介されていますが、その辺は時代背景もあるから置いときましょう。とにかく、富を得るには、貯金という門をくぐり、投資という道を歩いていく必要がある。

中には貯金という門をくぐらず投資という道を歩いて富を得ようとしますが、なかなかうまく行ったという話は聞きませんね。

好景気時代には勤勉貯蓄を、不景気時代には思い切った投資を、時期を逸せず匠に繰り返す

ウォーレン・バフェットって実は本多静六氏の生まれ変わりなんじゃ…って思ってしまうくらい似ていますね。単に、資産形成の原理原則というのは、究極的には同じところなのでしょう。
例えば2021年の今、株式市場は好調です。去年の後半ほどではないですが、好調であることには違いありません。多くの人はそんなときこそ投資をしようとしますが、今は投資ではなく貯蓄に励む時なのかもしれませんね。
ウォーレン・バフェットも、リーマンショックの前、みんなが好景気(実際はバブル)に浮かれる中、ちゃくちゃくと現金比率を高め、バブルが崩壊したタイミングで大きく投資しました。

好景気に貯蓄し、不景気に投資する。いつも忘れてしまう、というかわかっていても好調な株式市場の誘惑に逆らえない。証券会社の管理画面に書いといてほしいくらいの金言ですね。

幸福とは決して親から譲ろうと思って譲れるものではなく、もらおうと思ってもらえるものでもない。幸福は各自、自分自身の努力と修養によって得られ、感じるものである

これも金言。親が金持ちで不幸になる人、決して少なくありません。僕みたいな凡人はそういうエピソードを聞いて「そらみろwww」とか思ってしまうわけですが、僕自身、将来財産と呼べるようなものができたら、多分子どもに渡したくなってしまうんでしょうね。

本書には、渋沢栄一が出会った老人の話があります。その老人は十分な蓄えもあって、子どもも立派に成長しているのに、朝から晩まで働いていました。子どもたちが金もたくさんあるし休んだらどうだというと、「労働は俺の道楽であり、金は道楽のあとに残るカスみたいなもんだ」と答えたそうです。

お金は道楽(仕事)のカス。いい言葉ですね。本来仕事というのは、社会に価値を提供することを通じた自己実現です。給料というのはそのついでにもらえるもので、本多静六氏は「職業道楽論」と言ったそうです。
子どもに大きな財産を残す親というのは、子どもから最高の道楽である仕事を奪い、むしろ不幸にしてしまうのかもしれませんね…

人生すなわち努力 努力すなわち幸福

冒頭でも触れましたが、本多静六氏は人生計画を「40までは勤勉貯蓄、生活安定の基礎を築き、60まで専心求学、70まではお礼奉公、70からは晴耕雨読の楽居」と定めました。そして80歳にして、この人生計画を「旧式で、楽居などという不自然な怠惰生活」と切り捨て、新しい人生観に切り替えました。

それが、”人生すなわち努力 努力すなわち幸福”です。

いやあ、本当にパワフル。80歳にして、55年続けてきた人生哲学を捨て、新しいものに切り替えるというのも驚き。しかも、引退生活など不自然な怠惰生活だと言い、生涯現役宣言をするわけですから、本当にすごい。

投資の第一条件は安全確実である。しかし絶対安全のみを期していてはいかなる投資にも手が出せない。だから、絶対安全から比較的安全というところまで歩み寄らねばならぬ

これもウォーレン・バフェットの投資の金言である「ルール1:絶対に損をするな。ルール2:ルール1を必ず守れ」と通じるものがありますね。
投資で話題になるのは、リターン、利益ばかりです。投資雑誌でも「10倍株」「勝つ方法」「これから伸びる株60選」みたいな言葉が踊っています。しかし、投資で大切なのはリスクです。本多静六氏はここで、投資の金言として知られる「1つのかごに卵を入れるな」という分散投資の原則も教えてくれています。

確かに、本多静六氏が初期に行った2つの投資、鉄道と山林は結果として大きなリターンを産みましたが、リスクが非常に低い投資です。鉄道はインフラとして国家プロジェクトで進められるものですし、山林も土地を買う以上、価値がゼロになるということがほぼありえません。
最近は株式市場が好調なので、1年で8倍以上になったテスラや、数年前から何百倍にもなっているビットコインなどが話題です。しかし最近、テスラもビットコインも30%を超える暴落を起こしています。正直、投資したいなという投機心がないわけではなかったですが、今となっては投資しないでよかったな、と思います。

さらに「財産三分投資法」というものも提唱していて、これは株式、土地、山林、事業出資など、複数の分野に投資しろ、ということです。
今なら、株、債券、コモディティ、不動産、事業などですかね。株だけでの分散じゃ不十分。僕もそろそろ株以外の資産を考えていこうと思います。

やはり、”好景気時代には勤勉貯蓄、不景気時代には思い切った投資”が大事ですね。あの株儲かってる!みたいな感じで投資して成功することはほとんどない。ほとんどない数例がクローズアップされるせいで、毎回多くの人が失敗してしまうんですけどね…

金をバカにするものは、金にバカにされる

さて今回も長々とお付き合いありがとうございました。なんといってもこの記事を書いている僕が一番勉強になっています。
本多静六氏は日本のウォーレン・バフェットというべき、モデルケースであることは伝わったと思いますが、その教えのどれを取り入れ、実行するかは、後世を生きる我々が決めること。
僕は今回紹介した内容はすべて取り入れていきたいと思っています。いくつかはすでに実践できていますが、まだまだ行動不十分。本多静六氏のような強い意志と覚悟、ビジョンを持って、資産形成を行い、最終的には何らかの形で社会に還元したいですね。

ちなみにここまでの内容は「私の財産告白」なのですが、この本は二部構成なのでまだ半分。「私の体験社会学」が残っています。実はまだそれを読んでいなくて、「私の財産告白」を読んだ後、書かずにはいられなくて書きました。
「私の体験社会学」をIntro Booksで紹介するかはわかりませんが、きっと大きな学びがあるはずなので、今から読みたいと思います。

では今日も良い学びと、良い本との出会いを期待して、人生で一番新しい日を楽しみましょう!

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この記事を書いた人

かれこれ5年以上、変えることなく維持しているマッシュヘア。
座右の銘は倦むことなかれ。

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