こんにちは。妻です。
今日は1982年から2014年まで放送されていたテレビ番組:森田一義アワー 笑っていいとも!の司会を務めていたタモリさんに関する本『タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?』を紹介します。
タモリさんはわたしが幼い頃からテレビで大活躍しているタレントさんですが、どんな人なのかは正直あまり知りません…本屋さんでこの表紙が目につき、気づけば購入していました…!
この本はテレビっ子でライターである著者の戸部田誠(とべたまこと)さんのブログ:テレビのスキマのとある記事がキッカケで生まれました。
その記事とは、2011年にテレビ番組で語られたタモリさんにまつわる興味深い話をまとめたものでした。
戸部田さんは「こういうタモリさんのエピソードや発言をまとめた本を作ってみたい」とTwitterに投稿したところ、編集者さんに声をかけられ、本書の作成に至ったと言っています。
本書についてざっくり説明すると、テレビ・ラジオ・書籍などのタモリさんに関するエピソードやインタビューなどを取り上げ、タモリさんの生き方や考え方を知ることができる内容になります。また、こういった形で本を作ることもできるんだな〜と勉強にもなります…!
2人の男により、「究極の素人」芸能界入り
タモリさんは今でこそ数多くのテレビ番組に出演し続ける全国民的タレントと言われていますが、芸能デビューは30歳(1975年)と遅咲きでした。
この頃、テレビ界では萩本欽一さんが素人をいじる素人いじりが浸透しつつある時代でした。
素人いじりは大きな支持を集める一方、「素人をテレビに出すな」といった批判もありましたが、この時代の流れにタモリさんは見事ハマりました。
ということで、ここではタモリさんがデビューに至るまでを見ていきたいと思います。2人の男との出会いが大きく影響しています。
1人目の男との出会い
1972年、福岡・博多でとあるジャズコンサートがありました。ジャズが好きなタモリさんはその公演後、知人とホテルで飲んでいました。
午前2時頃、帰宅しようと部屋を出て廊下を歩いていると、どこからかドンチャン騒ぎと笑い声が聞こえてきました。
タモリさんは気になってドアの隙間から様子をうかがいます。
そこにはジャズフェスティバルの出演者であるピアニストの山下洋輔さんとその仲間達の姿があり、仲間の一人がでたらめな歌舞伎を奇声をあげながら演じていたそうです。
「俺はこの人たちとは気が合うな」と感じたタモリさんは、気が合うんだから入ってもいいだろう、と中腰で踊りながらその部屋に入ります。
突然やって来た見知らぬ男に驚く一同。
歌舞伎を演じていた男が我に返り、デタラメな韓国語でまくしたてます。
するとタモリさんはその3倍の勢いでデタラメな韓国語を喋り返します。その後もデタラメな中国語、ドイツ語、イタリア語などさまざまな言語で喋り合い、ドンチャン騒ぎになりました。
男は敗北を認め、ところであなたは誰ですかと訊くと、「森田です」と答えて帰っていったそうです。
タモリさんは「意味はわからないが言語のリズムが好き」とのことで、幼少時からラジオで他国の放送を好んで聴いていました。また、幼き頃から観察癖があり、人のモノマネが得意だったそうです。自身と似たことをしている人を見て相性抜群と思ったんでしょうが、フットワークが軽すぎる…!
この出会いに衝撃を受けた山下洋輔さんは、新宿のバーでことあるごとに「九州に森田という、すごい面白い奴がいる」と話します。
そしていつしか伝説の九州の男・森田を呼ぶ会が結成され、東京行きの新幹線代が集まります。
1975年6月、山下洋輔さんはこのお金を持って再び博多へ行き、森田という男を探します。
ふたりは再会を果たし、タモリさんはいただいたお金で東京に向かいます。
2人目の男との出会い
上京したタモリさんは、山下洋輔さんが通っていたバー:ジャックの豆の木で、常連客を相手に芸を披露します。そこで漫画家の赤塚不二夫さんと出会います。
赤塚さんはタモリさんの芸を絶賛し、こいつは絶対に福岡に返してはいけないと思い、お笑いの世界に入るよう誘います。さらに、放送される予定の自分の番組に出ることと「住むところがないなら、ぼくのマンションにいろ」と言います。
ここから9ヶ月にわたり赤塚邸での居候生活が始まります。
そして同年8月30日、『マンガ大行進!赤塚不二夫ショー』という番組でインチキ牧師の芸を披露し、テレビデビューを果たします。
出演させるという一つの目的を達成した赤塚さんはその後、芸能界入りに向けて動きます。
その結果、タモリさんは芸能界入りします。
最初はマニアックな芸風ということもあり、深夜ラジオや比較的遅めの時間に放送されるテレビでの活動が中心でしたが、そこで見える独特な感性や知的な面が活躍する場を広げ、今に至ります。
山下洋輔さんと出会わなければ東京に行くことはなかったかもしれませんし、赤塚不二夫さんに出会わなければテレビ出演することはなかったかもしれません。そう考えると、いつどこで何があるかわからないものですね…
タモリの魅力とは
決して若くはない年齢で芸能界入りしたタモリさん。
周りのほとんどが先輩という状況でしたが、だからといって卑屈にならず、あえて堂々と振る舞いました。その結果、デビューから5年足らずで『お笑いスター誕生!!』の審査員に抜擢されました。タモリさんの素人感覚を忘れない批評性が時代に合致したのです。
タモリさんは芸能界デビューした後も「博多でテレビを見ていた人」というアマチュアな感覚が抜けず、同じことをやっても飽きちゃうからと予定調和や完成されていることを嫌います。
そのため、番組を無理に盛り上げようとせず、興味はないことにはどこまでも無関心、嫌いなものは嫌いだとはっきり言う、番組を予定通り進行させることよりもハプニングが起こることを期待しています。
ということでここからは、自由な考え方・生き方をしているタモリさんの魅力について見ていきたいと思います。
「偽善」を徹底
タモリさんは3歳の頃に両親が離婚し、祖父母によって育てられました。
4〜5歳の頃には「偽善」という言葉を知っていたそうで、かなり大人びていたと言います。
ここでは偽善という言葉を知ることになったある一つのエピソードを紹介させていただきます。
幼稚園に入ることが決まった時、森田一義少年は「幼稚園がどういうものなのか事前に知っておきたかった」と、ひとりで幼稚園の見学に行きます。子どもの足で20分以上かかる道のりを歩き、なんとか幼稚園に辿り着きます。
園児たちの様子を見ると、「ぎんぎんぎらぎら夕日がしずむ」という歌声と音楽に合わせてお遊戯をする姿を目の当たりにします。一義少年はその時、幼いながらに偽善そのものの光景だと感じ、絶望します。子ども心にそれが「とても恥ずかしく、バカバカしく思えた」のです。
帰宅した一義少年は、親に「自分はあの輪は参加したくない」と告げます。あまり教育熱心でなかった親は主張を受け入れます。
一義少年にはその代償として孤独が訪れますが、家の玄関を出てすぐの石垣にもたれ、そこから見える街並みや行き来する人を眺めて小学校入学まで過ごします。
幼いながらに偽善を知ったタモリさんは、ネクタイを締める・制服を着る・食事のマナーなどの様式を偽善だと言います。
その一方で、「『人間関係をうまくやるには、偽善以外にはないんじゃないか』って思ってる」とも語っています。
たしかに、マナーなど必要最小限の「偽善」は人間関係を円滑にするためには欠かせませんよね…偽善も時と場合によっては必要だと身を持って実感したんですね…
人間関係に対する距離感
人間関係をうまくやるには偽善以外ないんじゃないかというタモリさんですが、「友達」についてこう話しています。
「友達なんかいなくていいじゃないですか。ゼロだってかまいはしないんですよ」
引用:タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?(『笑っていいとも!』フジテレビ(13・1・8))
「(友達なんて)できる時はできるし、できない時はできない。いらない」
引用:タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?(『笑っていいとも!』フジテレビ(13・1・8))
幼少期時代は幼稚園に行かず、ひとり遊びに興じていたタモリさん。
小学生になると周りの友だちと遊ぶことに楽しさを覚えます。
2年生の時はクラスの中心になりましたが、4年生になると状況が変わります。クラスのボス的な存在が現れ、こいつだけは俺の親友だと思っていた者に裏切られ、仲間はずれにされたのです。
「痛さよりも口惜しさで涙が出たね。あれからだよ、世の中を恨むようになったのは」
引用:タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?(『逢えばほのぼの 檀ふみ対談集』檀ふみ/中央公論社(82))
こういった経験があり、「あまり他人のことっていうのは興味ないですね(笑)」「僕ね、人間関係をうまくやろうとか、気を遣って何かをやるのはめんどくさいんです」と述べています。
しかし、赤塚不二夫邸に居候し、テレビに居候するように出続けてきたということもあり、他人との距離感についてはかなり気を遣っています。
近年も、自宅に3人の居候を住ませていたタモリさん。卑屈になったり、いちいちお礼を言い合うような他人行儀な感じだったりすることはなく、「いつ来ても、出て行ってもいい」という乾いたスタンスを取っているそうです。
タモリさんは観察力がある人なので、好奇心旺盛で周囲に気配りしている方なんだと勝手に思っていました。孤独と集団の良さを知っているからこそ、この独特な距離感が生成されたんでしょうね…!
「適当」が座右の銘
タモリさんの座右の銘は適当。他にも現状維持、俺は努力ということをしないなどを挙げることもあります。
その理由は、努力して頑張ることがいいことのように言われていることに違和感があったからだそうです。
「目標をもつと、達成できないとイヤだし、達成するためにやりたいことを我慢するなんてバカみたいでしょう。(略)人間、行き当たりバッタリがいちばんですよ」
引用:タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?(「MINE」講談社(98・8・10))
タモリさんは大学生の頃、モダンジャズ研究会に入りトランペットを演奏していましたが、先輩のとある言葉によってトランペット奏者の夢が断たれました。しかし、その先輩の勧めで始めた司会業が天職となりました。
こういった実体験もあり、目標や夢を持たなくても生きていけると言っています。
また、タモリさんは過去を振り返ることもありません。
「終わったものは仕方がない」「反省しないことがいいとものような長寿番組を続ける秘訣だ」と、事あるごとに言っていたそうです。
「反省なんかしません。反省なんかしたら毎日やっていけませんよ。悪いこといっぱいあるんだもの。俺が自分の番組を一切見ないのも、悪いことばっか見えちゃうから。自分の番組見てたら自分大嫌いになりますよ。自分のこと大嫌いですから。番組中は自分のこと忘れて結構やってるから、後でああいうことやってる自分を見たらいやだもの」
引用:タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?(『エチカの鏡 ココロにキクTV』フジテレビ(09・2・1))
反省もせず目標も立てないと聞くと、大丈夫なのだろうか…?とかいろいろ考えちゃいますが、過去の自分にも未来の自分にも縛られない自由な生き方とも言えますね…!
「変わらない」ところがタモリと戸部田誠の共通点
ということで、『タモリ学 タモリにとって「タモリ」とは何か?』を紹介させていただきました。
本書に書かれているタモリさんの発言はほとんどが数年〜数十年前のものです。しかし、現在のタモリさんと考え方は驚くほど変わっていません。
また、著者の戸部田さんは家族の影響もあり、小さな頃からずっとテレビを見ていました。「テレビ番組やその出演者の魅力をより多くの人と共有したい」と会社勤めをしながら個人ブログを始め、今はその会社を辞めてフリーライターとして活躍しています。
スタンスが変わることないタモリさんと今も変わらずテレビ番組を愛する戸部田さん。
本書を通じて、2人の共通点を見ることもできます。
本書には、過去や未来に執着せず今を自由に生きる、そんなタモリさんの考え方や魅力がまだまだたくさん書かれています。興味を持った方はぜひ読んでみてください。何かと生きづらいこの世の中、タモリさんの考え方が生きやすくする何かしらのヒントになるかもしれません…
ではまた。
この記事を書いた人
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インナーカラーがやめられない。
座右の銘は日々成長。
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