こんにちは。夫です。
今回は「After Steve-3兆ドル企業を支えた不揃いの林檎たち」の後半として、スティーブ・ジョブズ亡き後のアップルを支えたもう一人の主人公、ジョナサン・アイブについて紹介したいと思います。
僕は今iMacでこの記事を書いていますが、洗礼された曲線美、一歩間違えると無骨に見えるアルミニウムの美しさ…こうしたiMacの魅力を生み出した立役者がジョナサン・アイブです。
前回の記事ではアップルCEOとして、アメリカ史上初の3兆円企業へと押し上げたティム・クックについて紹介しました。以前、スティーブ・ジョブズがアップルを去った後、一度は倒産の危機に瀕したこともあり、ティム・クックに対しても批判的な見方がたくさんありました。それらを乗り越え、アップルを企業として成長させたティム・クックの人生観、仕事間は多くのビジネスパーソンにとって学びがあるはずです。
そして今回の主人公、ジョナサン・アイブは、iMacやiPhone、iPad、Apple Watchなど主力製品のデザインを担い、スティーブ・ジョブズの右腕としてクリエイティブなアップルを牽引してきたデザインチームのトップ。そして、2019年にアップルを退社。本書の帯に書かれている言葉を借りるなら「アップルが失ったもの」です。
それでは早速、現代のレオナルド・ダ・ヴィンチと呼ばれたスティーブ・ジョブズの右腕を務めた苦悩の天才デザイナー、ジョナサン・アイブのエピソードを紐解いていきましょう。
父が育んだアーティスト性
ジョナサン・アイブはイギリスで教師の両親の元に生まれました。両親は教会で出会い、母親は神学を、父親はデザインを教える教師でした。父は教師の仕事のかたわら、教会関係の仕事もしており、ジョナサン・アイブが4歳の時に湖の対岸に医療物資を運ぶためホバークラフトの製作に関わります。ジョナサン・アイブはそうした父の姿を、他の子どもたちがテレビアニメをみるように夢中に見ていたといいます。
そのおよそ50年後のインタビューで、ジョナサン・アイブは当時父が作ったホバークラフトが「衝撃的なくらい明快に作られていた」と答えています。「衝撃的なくらい明快に」というのは、説明書を必要としないアップル製品にも引き継がれたアイブの信念の一つだと思います。そうしてアイブは子ども時代から、ラジオや時計などを分解したりと、機械いじりに興味を持つようになります。
ラジオや目覚まし時計などいろいろなものを分解し、それがなぜ機能するのか解明の手がかりを求めて部品の分析を始めた息子に、父マイクは励ましの言葉をかけた。<中略>(父の指導によって)アイブはゴーカートから家具、ツリーハウスまで、思いつくものをなんでも作ることができたが、それにはひとつ条件があった。作る前にまず、自分の手で設計図を描かなければならないことだ。製作前のスケッチによって、製品にどれだけ注意が払われているかをアイブは実感した。
アイブは大きくなると、週末、父と車であちこちに出かけるようになった。全国の店を訪れ、商品棚を吟味した。二人並んでトースターなどを手に取り、どう作られたかを話し合う。「なぜネジではなくリベットを使ったの?」とアイブが訊く。教師たちと設計に携わった長年の経験から父親が導き出した答えに、息子はじっと耳を傾けた。父の教師仲間たちは土曜日にそんな退屈な過ごし方をしているのかと言ったが、父親と息子の関わり方には感心した。それが子供の将来を左右する重要な要素であることを、彼らは知っていたからだ。
引用:After Steve
素晴らしい教育ですよね。実際にジョナサン・アイブは世界一のインダストリアルデザイナーとして、世界一の企業で働くことになります。しかし子どもの頃から設計図を描かせるとは…僕も物作りが好きな子どもだったと思いますが、適当に遊んでいただけなので何も身についていません。
70点満点で90点を獲得
高校に進学したジョナサン・アイブは自分の興味をさらに突き進めます。デザインやフェミニズムなど社会的な運動などに興味を持ち、自分が進むべき道を明確に描いていました。通常の授業ではいい点数が取れませんでしたが、それで十分だと考え、デザインの専門学校へいくと決めていたのです。
当時、ジョナサン・アイブはさまざまなスケッチを多く作っていました。それを見た高校のデザイン教師は「あまりにも素晴らしく、自分で描いたとは信じられなかった」と語っています。さらには学校で使う巨大プロジェクターを持ち運びできるようにデザインし直し、周りを感心させたりもしていました。
そうしてデザインの才能を存分に伸ばしていたアイブは、現ノーザンブリア大学という最高峰のデザイン専門学校に奨学金をもらって入学します。さらにスケッチ技術を高めたアイブは、郵便費用を節約するため、封筒に切手の絵を描いて投函したりもします。普通なら切手のない絵は届きませんがアイブの絵があまりにも上手く、リアルだったため郵便局員はスケッチだと気づきませんでした。
そしてアイブはインターンとしてデザイン会社でキャリアをスタートさせます。
アイブは早い時期から創業者バリー・ウィーバーのオフィスを訪れては、飾られている日本製の電卓、ホッチキス、ペンなどに見とれていた。父親と店を訪ねたときのように、製造方法について質問攻めにした。その好奇心と感性に感心したウィーバーは日本のゼブラ社から依頼のあった財布の開発にアイブを起用した。縫製も含めた製造法を正確に提示しないと、ゼブラが独自の製品を作ることになると、ウィーバーはアイブに言い渡した。アイブは仕事場に戻り、厚手の白いボール紙を切っては折り、作りたい財布の正確な模型づくりに着手した。皮の厚みを出すために紙を重ね、エンボス加工で質感を出す。緑の縫い目をペンで点描していく。その洗練された仕事ぶりに同僚たちは感心し、彼をインターンではなく仲間としてみるようになった。
引用:After Steve
相手を質問攻めにする強い好奇心、自分のイメージを再現するために細部までこだわった模型。幼少期に父親から引き継いだ習慣が、さっそく活きていますね。
仕事をするうち、ジョナサン・アイブはカリフォルニアへの憧れを強めていきます。デザインで常識を打ち破こうとするアイブの仕事は時にクライアントと衝突することもあり、不満を募らせていたからです。
インターンを終えて大学に戻ったアイブは「青空プロジェクト」と呼ばれるいわゆる卒業制作に取り組みます。身近なものを題材にコンセプトを再構築し、現在の形にとらわれない未来的な製品を提案するものです。
ここでアイブはクレジットカードの増加に興味を惹かれ、新しい決済手段を夢想しました。カードの代わりに小さな丸いメダルを持ち歩き、会計時にミニコンピューターの上に置いて支払いを行い、リアルタイムで取引情報が表示される。そんな決済手段です。
当時のアイブを見ていた教授は、アップルがApple Payという非接触型の決済システムを思い出した時、アイブが青空プロジェクトで提案した決済手段を思い出したといいます。
大学生の時、アップルがApple Payを開始する20年以上前に、似たようなサービスを思い描いていたんです。その卒業制作の発表でアイブは小さな決済用メダルと、それを説明する紙1枚という非常にシンプルな展示を行いました。のちのアップルにも通じる「より少ないほど、より豊かに」という哲学の表れです。最高得点が70点なのに対し、教授たちはアイブの作品に90点をつけました。
アップルのデザインに応募し「箱」で選ばれる
卒業後、ジョナサン・アイブは憧れのカリフォルニア旅行を行います。そこでさまざまな刺激を受けてイギリスに帰ってきたアイブは友人が立ち上げたデザイン事務所に入社。持ち前の完璧主義とディティールへのこだわりでクライアントと衝突することもしばしば。デザインとして素晴らしいものの、あまりにも製造コストがかかりすぎるという理由でボツになったものもたくさんありました。
(デザインが却下された)アイブは意気消沈してロンドンへの帰途に就いた。いやでもデザイナーとしての自分の限界と向き合わねばならなかった。常識に挑戦する情熱とプロジェクトに投入する深い研究は、クライアントを満足させるための妥協を許さなかった。クライアントを喜ばせることで成長できるタンジェリンのような会社では、それが仕事を困難にする。会社とクライアントを取り持つ仕事は自分に向いていないのかもしれない、と彼は気がついた。「デザインという業務には自分を寄せ付けないところがある」と、後日アイブは語っている。
引用:After Steve
強烈な個性、才能を持ったクリエイターがクライアントワークに取り組んだ時、必ずぶつかる課題ですよね。この点ではジョナサン・アイブも決して特別ではなく、”仕事”と”創造”のギャップに苦しむことになります。
そんな中、アイブが勤めるデザイン会社にアップルのプロジェクトに参加しないか、とオファーが届きます。カリフォルニア旅行で出会ったブルーナーというデザイナーがアイブのことを覚えていて、声をかけてきてくれたのです。
アイブは憧れのアップルのデザインに関われるということで少し怖気付きますが、発泡スチロールで模型を作り、アップルに送ります。
模型が仕上がると、アップルに送るために箱詰めにした。まず緩衝材に包んだ模型を入れ、模型に対応するスケッチを重ね入れた。その上に、タンジェリンのオレンジ色のロゴをプリントした特性のTシャツを白い薄紙でくるみ、会社のロゴをあしらったステッカーで張り合わせた。この気遣いはピーナツを詰め込むときと同じように箱にただ模型を詰め込むのがふつうだったデザイン事務所の同僚たちを驚かせた。「作り手のこだわり」と同じくらい「パッケージへのこだわり」が重要だと考えていたアイブは、アップルに送る箱をひとつの「体験」に変えた。
引用:After Steve
アップルのデザインは製品そのものだけでなく、パッケージにも及びます。今では多くのメーカーがアップルのようにこだわったパッケージングをしていますが、当時は革新的なアイデアでした。ジョナサン・アイブは当初からパッケージングの重要性を理解し、デザインコンペに応募する模型でさえ、箱を開いてサンプルを見る「体験」までデザインしていたのです。
このパッケージに感銘を受けたアップルのデザイナーは、アイブにアップルに来るよう促します。当時アイブは25歳。カリフォルニアやアップルへの憧れはあったものの、イギリスを離れ、自分のデザインの基礎を築いてくれた父親から離れることへの大きな不安もありました。
クライアントワークの葛藤で苦しむ中、本当にアップルで通用するのかもわかりません。しかし最終的にはアップルへの入社を決めます。
完璧主義と強くなる権力
いざアップルへ入社したアイブですが、当時のアップルにはスティーブ・ジョブズがいません。CEOの座を追われ、アップルが倒産の危機に瀕することになる、暗黒時代だったのです。
そんな中、デザインチームで活躍していたジョナサン・アイブですが、ようやくジョブズが復帰することになります。しかしそれはそれで大問題。ジョブズは自分がいない間に生まれたアップル製品の大半を否定しました。つまり、アイブのチームが作った製品を否定し、大きくチームを作り替えようとしたのです。
復帰したジョブズがデザインスタジオを訪問するとき、アイブはチーム丸ごと首を切られることも覚悟していました。それでも作品を見てもらおうと模型をいくつか並べて準備を整えます。
そしてジョブズがやってきたとき、いくつかの模型に興味を持ってアイブに質問をしました。そして「よっぽど立ち回りが下手だったんだな」と評価します。
つまり、優れたデザインを作れるのにそれがアップルの製品としてリリースされていない、ということをジョブズは言ったんです。ジョブズに認められたアイブは、生まれ変わったアップルで次のプロジェクトに取り掛かることになりました。それが今や伝説となった半透明のボディーが印象的な初代iMacです。
そしてアイブが担当したiMacは大ヒット。アップルを窮地から救い、経営状況も一変しました。
iMacは世界中で15秒に1台売れていた。年末までに80万台売れ、アメリカで最多、アップル史上最速で売れたコンピューターになった。<中略>iMacの成功はほとんどがアイブの功績だった。無名に近いこのデザイナーを新聞と雑誌は大々的に取り上げた。AP通信は「人当たりがよく親しみやすいが、最先端を行く、才能豊かなデザイナー」と評し、ニューヨークのデイリー・ニューズ紙は「コンピューター界のジョルジオ・アルマーニ」と表現した。
<中略>このデスクトップ製品への取り組みでアイブとジョブズの絆は固まった。
引用:After Steve
そうしてジョナサン・アイブはアップルのデザインチームのトップになります。寛大な気性で同僚の家族旅行先にシャンパンを届けたり、イギリス紳士的な振る舞いが評価される一方、厳しさも滲み出ます。気に入らない人をアップルから追い出そうとしたり、自分を中心とした少人数の秘匿性の高いグループを作り他のメンバーを締め出したりしました。そうした態度に不満を感じ、やめていったデザイナーも少なくありません。
しかしアイブは着実にデザインチームの力を強くし、アップルという会社のイメージを築き上げる欠かせない人員になっていきます。
アップルではデザインスタジオが製品開発をリードし、その要求を満たすためにエンジニアが働く形になった。デザイナーが製品の見かけを決め、その機能にも大きな発言力を持った。デザインチームは自分達の権限を「神々を失望させるな」という一言に集約するようになった。
アイブはデザインチームの働く環境を慎重に整備し、人の出入りを厳重に管理することで、デザインスタジオの地位を確固たるものにした。会議中も職場は静かであってほしい。デザイン的にも機能的にも混じり気のない純粋な製品づくりに集中したい。エンジニアやオペレーション担当者が議論に敬意を払わなかったり、大声で話したり、コストの話を持ち出したりすると、その後、彼らのバッジではスタジオに入れなくなった。入室権が音もなく取り消されていた。
引用:After Steve
デザインに対するものすごい完璧主義哲学が見えますね。しかしコストの話を持ち出しただけでその人を締め出すとは…権力が暴走していると言われても仕方ありません。当時はまだスティーブ・ジョブズが指揮を取り、デザインへの理解もありました。しかしその数年後、アイブが締め出したいコストやオペレーションを重視するティム・クックがCEOになります。
何はともあれ、ジョブズとアイブの関係は良好。互いに刺激しあい、2007年にはとうとう最大のヒット作であり世界を変えるデバイス、iPhoneを生み出します。iPhoneのプレゼンでジョブズはさまざまなデモンストレーションをしました。そこで「電話をかけたければ、タップするだけでいい」といい、実際にアイブに電話をかけました。ジョナサン・アイブは、iPhoneからの電話に出た初めての人になったのです。
透明度を確かめる
スティーブ・ジョブズが亡くなった後、アイブは「次のアップルを代表する製品」の生み出しに追われます。当然、偉大なリーダーを失い、経営方針が変わった中、さまざまな葛藤がありましたが、依然としてアップルは優れた製品の会社であり、社内外から次のイノベーションを期待されていました。
そこで彼が取り掛かったのがApple Watchです。アイブはApple Watchの企画会議で進行役を務め、この新しいデバイスで何ができるのか考え抜きました。この頃のアイブは製品デザインだけでなく、OSなどアップル製品の大半に対して強い決定権を持つようになります。
本書ではApple Watchの制作プロジェクトに2,3章を割いていますが、非常に刺激的でした。「それはもうデザインの領域じゃないだろ!」ってところまでアイブは踏み込みます。例えばアルミニウムやゴールドの素材。合金をどのパーセンテージで使うか、などです。
ジョナサン・アイブの細部へのこだわり、完璧主義が見えるエピソードがあります。それはスティーブ・ジョブズと計画した最後の巨大プロジェクト、アップルの新社屋「アップルパーク」の建築です。
アップルのリテールチームが何ヶ月か、アイブに見てもらうガラスのサンプルを求めて世界中を探し歩いていた。オフィスビルに透明なガラスを入れるのはさほど難しい作業に思えないかもしれない。透明でありさえすればいいのなら、不動産開発業者も面倒がったりしない。しかしアイブは透明度が十分か、1枚1枚確かめると主張した。
ヨーロッパとアジアから取り寄せたガラスの見本を、アイブはチェックしていった。見つけたかったのは、透明度が高く、社員の幸福感や生産性を高めるはずの自然光をオフィスに充してくれるガラスだ。
引用:After Steve
「透明なガラスを発注する」という一見簡単な仕事も、アイブは徹底して完璧を求めました。アップルパークの建設に使われたガラスは、従来の技術で製造することができず、特別な機械を作らせたためコストが大幅にかさんだりと、ティム・クックもかなり頭を悩まされることになります。
この辺りからアイブは、デザインチームでの強い権力を持ちながら、徐々に製品デザインから離れていきます。一方でアップルパークなどの建築やチャリティなどのプロジェクトに精を出すようになります。
理想と現実、燃え尽きた才能
スティーブ・ジョブズという強烈な個性のそばだったからこそ、存分に発揮されたジョナサン・アイブの才能は徐々に限界を迎えます。
4年たらずでアップルの市場価値は7000億ドルへ倍増し、社員数も6万人から10万人近くまで膨れ上がった。だがアイブはこうした数字に、だんだん居心地が悪くなった。数百人の中核チームでiPhoneを開発していたころを懐かしく思うのは、彼だけではなかった。もはやデザイナーがCEOを呼び止めて、キャンディカラーのコンピューター素材について議論するような、気安い場所ではなくなった。<中略>年金基金やウォール街のトレーダーはアップルの株価が下がるたびに動向を気にし、何万人ものアップル社員がその株式に家族の扶養を願っていた。アイブがアップル製品の未来にもたらす影響力は、想像以上に多くの人々に及んでいた。その利益で賄われた夢のマシンに運転手付きで乗りながらも、自社の飛躍的成長はアイブの頭を悩ませていた。
引用:After Steve
この頃のアイブは自家用ジェットを持ち、運転手付きの30万ドルの超高級車に乗っていました。子どものころ、興味本位で物を組み立てたり、なぜそうなっているのかを父親に訪ねたりして磨かれたアイブの才能とは、相容れない環境です。
生産量が多くなり、会社として大きくなるにつれ、コストとデザインがぶつかる場面も増えてきました。デザイナーだけでなく、ソフトウェアエンジニアも束ねる立場になり、クリエイティブに使えるリソースはどんどん減っていきます。そして自分に刺激を与えてくれたスティーブ・ジョブズはもういません。
ある会議のあと、ジョナサン・アイブは自家用ジェットでハワイの別荘へ飛び立ちました。そこで3週間の長い休暇を過ごしましたが、疲れはなくなりません。
実はアイブは2008年ごろに一度、アップルの離脱を考えていました。当時はデザイナーとしてヒット商品を世に送り出し、一定の満足を得ていたからです。しかしジョブズの病気を受けて延期。ジョブズ亡きアップルを支えるため奮闘し続けていました。
その春、アイブはクックに気持ちを伝えた。もう疲れた、仕事から手を引きたい。創造の活力が薄れ、かつてないくらい仕事はきつく、自分の願うレベルで働けていない。膨張するデザインスタジオと数百人に膨れ上がったソフトウェアデザインチームを管理する責任の増大が、彼の欲求不満を募らせていた。
引用:After Steve
悲痛な言葉ですね。クリエイター、創造者であるジョナサン・アイブにとって、スティーブ・ジョブズのリーダーシップの元、何も考えず、ただ自分が最高だと思える物を作っていることは幸福でした。しかし、何百人ものスタッフの意見を尊重したり、部門間を取り持ったり、何億台という生産、莫大な売り上げと株価への責任を担うのは、クリエイターとして面白くなく、ただただ辛い仕事だったんでしょう。
しかしすでにデザイナーとしてアップルの顔役の一人でもあるジョナサン・アイブの退職は社内外に悪い影響がでます。ある推測では、アイブの退職によってアップルの株価が10%下落するとまで言われていました。
そこでティム・クックはアイブを退職させるのではなく、非常勤にシフトさせ本来のデザイン業務に特化できるプランを提案しました。マネジメント業務から離れるものの、アップルの一員として建設中のアップルパークや、世界中のアップルストアの改装などに取り組む、ということです。もちろん製品デザインにも関わり続けます。
こうしてジョナサン・アイブは「最高デザイン責任者」という別の地位を与えられ、非常勤デザイナーとして働くことになりました。しかし、株価や評判を気にした対処であり、問題の根本解決にはなりません。アイブの創造性はすでに燃え尽きていたのです。
この後、アイブは非常勤でありながら全ての決定権を握るようになります。デザインスタッフはいつやってくるかもわからないアイブの承認を待つ時間に耐えたりと、別の不和も多く発生してしまいました。そうしてさらに、アイブ以外のデザインの重要メンバーの退職が相次いでしまうことになります。
そしてアップルパークが完成した2019年、ついにジョナサン・アイブはアップルを去ることになります。
二人の不揃いなリンゴ
ということで今回は「After Steve-3兆ドル企業を支えた不揃いの林檎たち」の後半としてジョナサン・アイブに焦点を当てたエピソードを紹介しました。
ちなみにジョナサン・アイブはアップルを退職した後、自分のデザイン事務所を立ち上げ、アップルから仕事を請け負うという形でアップルに関わり続けています。
アップルの錬金術は長らく、線形性を備えた「二人組」に支えられてきた。それはスティーブ・ウォズニアックとスティーブ・ジョブズによって誕生し、ジョブズとジョナサン・アイブによって復活し、アイブとティムクックによって維持されてきた。
ジョブズの死後何年か、シリコンバレーはアップルの事業の行き詰まりを予想した。ウォール街もその前途に不安を抱いた。忠実な顧客たちは愛する製品イノベーター、アップルの未来を心配した。
10年後、アップルの株価は過去最高を記録した。時価総額は8倍以上の3兆ドル近くまで上がり、世界のスマートフォン市場を支配する勢いに衰えは見えない。<中略>その耐久力と財務的成功は、アップルを前進させるためにジョブズが抱えた人たちの努力の賜物だった。業務執行人(オペレーター)クックはアップル帝国を中国とサービス業に拡大し、自分の築いた企業国家に立ちはだかる外交問題を巧みに切り抜けてきた。芸術家(アーティスト)アイブはジョブズの死後に始まったApple Watchの開発とアップル・パークの完成という大きな新規事業を主導して手腕の確かさを見せつけた。
引用:After Steve
しかしこの二人の物語は、社内離婚という形で終わりを迎えます。二人ともスティーブとアップルへの愛という強い力で結びついていましたが、裏を返せば、アップルへの愛以外、共有するものはなにもなかったのです。
ティム・クックは巨大化するアップルを支えるため、コストカットやオペレーション、マネジメントに勤しみ、ジョブズのようにデザインオフィスを訪れデザイナーを鼓舞することはほとんどありませんでした。
一方のアイブはスティーブ・ジョブズの死に打ちひしがれ、日々重くなる責任に耐えきれず燃え尽きてしまいました。その後、すんなり退社することもできず、言ってしまえば中途半端な関係を何年も続き、さらなる不和の原因になりました。
ティム・クックもジョナサン・アイブも、それぞれが持てる能力を100%出し切って、ジョブズの最高傑作であるアップルという存在を守ろうとしました。現在のところ、アップルという存在は守られ続けています。しかし、今のアップルをイノベーティブだという人はあまりいないでしょう。ティム・クックはアップルを守るためにイノベーティブを捨てるという決断をしたと言えます。
アップルのデザインチームは大きな前進を遂げた。チームの中核メンバーに言わせると、彼らの仕事にアイブとラブフロム(アイブの新会社)が及ぼす影響は最小限でしかない。アイブは仕事を統括する指導者ではなく、尊敬を集める助言者となった。アイブの不在は、特にエンジニアやオペレーション担当者との協力関係を以前より友好的かつ民主的にした。<中略>いま自分達はかつてない最高の仕事をしている、と彼らは主張する。
引用:After Steve
アイブはマネジメントなど自分の能力外の仕事を捨て、社外からアップルの力になった方がいいことに気づきました。今もアップルが進める自動車開発やARメガネの開発など、複数のプロジェクトに関わり続けています。アイブ自身も外から関わったこれらのプロジェクトが、自分のキャリア最高の作品になるだろうと語っています。
アップルに投資している世界一の投資家、ウォーレン・バフェットは「愚か者でも経営できるビジネスに投資しなさい。 なぜなら、どのビジネスにもいつか必ず愚かな経営者が現れるからだ」と言っています。アップルはジョブズという偉人が去った後も、二人の天才に支えられ成長してきました。そしてそのうちの一人が退き、一人の天才の手に委ねられました。アップルの真価が本当に問われるのは、これからなのかもしれません。僕もアップル株を保有する一人の投資家として楽しみにしています。
この記事を書いた人
- かれこれ5年以上、変えることなく維持しているマッシュヘア。
座右の銘は倦むことなかれ。
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