【全てのタイムマネジメントを捨てろ】限りある時間の使い方-人生は”無意味”と気づくまで

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こんにちは。夫です。

価値観を変えてくれる。これが本を読む一番の醍醐味だと思いますが、まさにそんな本に出会いました。その名も「限りある時間の使い方」です。タイムマネジメントって難しいよね〜ちゃんと考えないとな〜って思って手に取った本ですが、その前提を打ち壊されました。

本書のテーマは「限りある時間の使い方」というタイトル通り、時間の使い方。でもタイムマネジメントではありません。それどころか既存のタイムマネジメントは全て無意味というスタンスの本です。

そんな本書が大前提としている事実。それは時間に限りがあるということ。

そんなこと当たり前じゃないかと思うかもしれませんが、本当にそうでしょうか?既存のタイムマネジメントは時間を効率良く使うことで問題が解決すると考えています。ですが、本当に時間を有効活用することで、問題は解決するのでしょうか?時間には限りがある一方、タスクや問題、選択肢は無限にあるのに…

ということで早速本書の内容を見ていきましょう。僕はこの本でパラダイムシフトが起こりました。今までよりも人生が少し楽になり、タイムマネジメントを捨てることで自分にとって大切なことがより多くできるようになった気がします。

タイムマネジメントに意味がないという大前提

人生の長さはどれくらいでしょう?
80歳まで生きるとして約62万時間、日数にして2万8千日。週にして4000週間です。

この1週間はあっという間で、特に新しいこともなにもせずに過ぎ去ったように感じますがその1週間を4000回繰り返すこと、これが人生の長さなんです。80年というのもイメージが難しい。62万時間はもっと難しい。でも4000週間って言われるとちょっと違う印象がありますね…

「我々はみんなもうすぐ死ぬ」と言った現代の哲学者トマス・ネーグルは正しい。
そうだとすると、時間をうまく使うことが人の最重要課題になるはずだ。人生とは時間の使い方そのものだといってもいい。
ところが現代の、いわゆるタイムマネジメントというやつは、あまりにも偏狭すぎて役に立たない。タイムマネジメントの指南書が教えることといえば、いかに少ない時間で大量のタスクをこなすかだったり、いかに毎朝早起きして規則正しく過ごすかだったり、あるいは日曜日に1週間分の食事をまとめて作りましょうということだったりする。
いや、もちろんそれも大事だと思う。けれど、それだけでは話にならない。
<中略>
世の中にあふれるタイムマネジメント本のほとんどは、人生がものすごく短いという事実さえも認めようとしないタイムマネジメントさえすればなんでもこなせるという幻想を振りまいているだけだ。
引用:限りある時間の使い方

世の中にはいろいろなタイムマネジメントがあり、この本にたどり着いた人のほとんどはそうしたものを読んだことがあるでしょう。でもタイムマネジメントの前提は、時間を効率的に使いさえすれば無限に思える問題にも対処できる、ということです。でも前述の通り人生はたったの4000週間。1週間をどれだけ効果的に使ってもそれを4000回繰り返せば終了です。
つまり問題の根っこは、、みんなが気づいていながら直視しようとしない事実、時間が限られているという事実なんです。時間の使い方の上手い下手ではありません。

たしかに、時間が無限にあれば悩みもなくなりそうですよね。Twitterを眺めて数時間過ごして罪悪感に囚われることもなければ、職業選択で迷うこともありません。だって面白いと思った仕事は何年かけてでも全部やってみたらいいんですから。

タイムマネジメントやライフハックの技術は、大事な事実を見落としている。
「時間を思い通りにコントロールしようとすればするほど、時間のコントロールが聞かなくなる」という事実だ。手に負えない幼児と同じで、押さえつけてもだめなのだ。
むしろ生活が加速したせいで、みんな以前よりもイライラしている。電子レンジで2時間待たされるのは、オーブンで2時間待つよりもずっと腹立たしい。郵送で3日待つのは我慢できても、重いウェブサイトで10秒待たされるのは我慢できない。
引用:限りある時間の使い方

時間を効率的に使えばどうなるか。効率的に使った分、より多くの課題が降りかかってくるだけだということです。昔、今ある家電のほとんどがなかった時代、基本的な家事だけで一日が終わっていました。もっと前は食べ物にありつくだけで一日が終わっていたでしょう。
しかし今、30秒で温める電子レンジ、給湯湯沸器とカップラーメン、お掃除ロボット、スイッチ1つで部屋の温度を快適にするエアコンが誕生したのに、僕たちはどんどん忙しくなっています。

その理由はただ一つ。なにかを効率的に終わらせたら、その次のタスクが発生するからです。

アメリカの文化人類学者エドワード・T・ホールは現代社会をベルトコンベアにたとえ「古い仕事を片付ければ、同じ速さで新しい仕事が運ばれてくる。より生産的に行動すると、ベルトコンベアの速度がどんどん上がり、やがて加速しすぎて壊れる」と言ったそうです。たしかに、時間の使い方はどんどんうまくなっているはずなのに、時間にゆとりができたと感じる機会はどんどん減っている気がします…

なんでそんなことになってしまうのか?じゃあ僕たちは時間とどう付き合っていけばいいのか?その答えを教えてくれるのが本書です。ここまでは本書の序章。ここから本編に入っていきましょう。

時間を「使う」という勘違い

そもそも時間とはなにか。それに応えるのは哲学の領域なので簡単ではありません。しかし、時間という概念が存在していなかった時代があったのも確かで、人類の歴史の大半は時間という概念、時計という物質とは無縁に過ごしていました。
時間が発明されるまでは、忙しすぎる、やるべきことが多すぎる、もっと急がないと、という問題はなかったし、ワークライフバランスを考える必要も、退屈を感じることもなかった時代だと言います。

今より平均寿命が短く、食べ物を得るにも一苦労した時代。それでもその頃の人類は時間に追われたり、タイムマネジメントを必要としたりはしていなかったんです。なぜならそもそも時間という概念が存在しないから。

時間という概念が当たり前になった僕たちには想像が難しいですが、アメリカの文化批評家ルイス・マンフォードは時間について「数学的に測定可能な配列の独立した世界」と表現しています。
僕たちが時間について考える時、明日午後はどんなふうに過ごすか、過去1年でどんなことをやったかを考えると、無意識のうちにカレンダーや時計、タイムラインなど、時間の物差しを思い浮かべます。つまり、架空の物差しを現実に当てはめて考えているのです。

時間はもともと存在していたものではなく、人類がどこかのタイミングで発明したもの。時間を発明してからの人類は、自分の仕事の効率性や余暇の過ごし方を”時間”という物差しで測定するようになってしまったんです。そこから逆転して僕たちは、時間を使うという概念を見つけてしまいました。何かをするのに1時間かかる、ではなく、この1時間をどのように使って何をしようか、と考えるようになったんです。

時間を「使う」ようになった僕たちは、「時間をうまく使わなければ」というプレッシャーにさらされる。時間を「無駄」にすると、なんだかすごく悪いことをした気分になる。やることが多すぎてパンクしそうなとき、僕たちはやることを減らそうとするのではなく、「時間の使い方を改善しよう」と考える。もっと効率的に働こう、もっと頑張って働こう、もっと長い時間働こう。
引用:限りある時間の使い方

そうして生まれたのがマルチタスクという考え方。まさに時間を効率的に使う究極系です。1時間に1つできることを、2つ同時にやれば、1時間に2つのタスクを完了させられる、ということですね。

本書では時間の発明と時間を使うという思考によって、人生の難易度が極端に引き上がったと言います。どんなに必死で頑張っても、まだ何か足りない気がしてしまうんです。なぜなら、どれだけタスクを消化しても、時間を測る物差しを見れば、次の時間が訪れてしまうからです。ベルトコンベアーの例でいうと、どんどん速度が速くなって、時間の使い方がうまくなればなるほど、忙しくなってしまうんです。
結果として人類は”今この瞬間”ではなく、未来や過去など架空の物差しで測られる本来存在しないものに支配されてしまいました。

つねに計画がうまくいくかどうかを心配し、何をやっているときも将来のためになるかどうかが頭をよぎる。いつでも効率ばかりを考えて、心が休まる暇はない。あの「深い時間」、時間の物差しを捨ててリアルな現実に飛び込んでいくときの魔法のような感覚は、もうどうやっても手が届かない。
<中略>
「喜びなき切迫感」が日々を覆い尽くし、「もっとやらなければ」という焦りが一瞬も消えない。時間を支配しようとする者は、結局は時間に支配されてしまうのだ。
引用:限りある時間の使い方

この感覚は確かにわかります。効率的に物事を進めればそのぶん忙しくなる。未来に目標を持てば、今に集中することができなくなる。本を読むことさえも本来は意味や目的を持たない趣味であるはずなのに、仕事に活かせるから、などと言い訳を考えてしまいます…

だったら時間とどう付き合うのがいいのか。本書が提案するのは「何もかもはできないことを認める」ことと「選択肢を確保するという誘惑に負けない」ことです。

人生は有限であり、1週間という架空の物差しを使えば4000週間しかありません。その中でできることには限りがあります。どれだけ時間を効果的に使おうが、圧倒的な事実は時間に限界があるということだけ。その限界を受け入れ、何もかもをやることはできない。だったらその限られたやることだけは自分で決めようと意識的に選択しましょう。
選択肢の確保も現代の魅力的な罠です。選択肢が多い方がいいという幻想を、僕たちは困難な決断から逃げることにつかっています。チャンスを掴むということは、そのほかの無数にあったチャンスを捨てることと同義。何かに時間を使うということは、他にできる無数のやらないことを犠牲にするのと同義。それでも何かを決断し、今この瞬間にやることを1つに決めないといけないのが人生です。だったら重要じゃない選択肢は最初から持たない方がいいでしょう。

タスク処理能力を高めても意味がないんです。タスクを処理すればするほど。次のタスクがやってくるだけ。大事なのは、その中から自分がやるべきことを選び抜くことであって、無限に降り注ぐタスクを限りある人生の中で効率的に処理することではないんです。本書ではタスク処理能力が高い人を「他人の期待を無限に受け入れ続ける容器」だといいます。他からやってくるタスクのために、その瞬間自分のためにできたあらゆる可能性を犠牲にしていると考えたら、確かにその通りなのかもしれませんね。

7つの習慣「ビッグロックの法則」のミスリード

タイムマネジメントでこんな話を聞いたことがあるかもしれません。7つの習慣でも書かれていた、スティーブン・コヴィー博士が提唱した「ビッグロックの法則」です。

2021年に読み直すから価値がある「完訳 7つの習慣」
20歳の時、知人に紹介されて読んで最も人生に影響を与えた本。スティーブン・R・コヴィー博士の「7つの習慣」です。 個人的には、人生の早い段階でこの本を読んでいるかどうかで、人生の質というか、満足度が大きく変わるんじゃないかと。元々、小説やエ...

教師が教室に入ってきた。大きな石をいくつかと、小石を少しと、砂の詰まった袋を持ってくる。そして教師が「ここにある大きな石と小石と砂を、全て瓶に入れてみましょう」
生徒たちは、小石や砂からどんどん入れていき、後で大きな石が入らなくなることに気づく。そして教師はお手本を見せる。まずは大きな石を入れ、次に小石を入れ、最後に砂を入れる。すると砂は大きな石は小石の隙間に流れ込んで、きれいに瓶の中に治る。
そして教師は「重要なことから手をつければ、重要でないことも含めて全部終わらせることができる。逆に重要でないことから手をつけると、重要なことが終わらない。これがタイムマネジメントの基本だ」

しかし「限りある時間の使い方」の筆者は、これはイカサマだといいます。そもそも教師は瓶に入るだけの石と砂しか持ち込んでいません。でも現実では、どれだけの大きな石があり、小石があり、砂があるのか、全くわかりません。現実的な答えは「無限」でしょう。ベルトコンベアーのたとえがあるように、大きな石を詰めれば、次に新しい大きな石が運ばれてきて、どんなに工夫しても瓶に入り切らなくなります。

だから本当に考えるべきことは、物事の重要性を区別することではなく、そもそも大事なことがたくさんありすぎるという事実をどうするのかということです。本書ではタスクを上手に減らす3つのアドバイスをしてくれています。

第1の法則:まず自分の取り分をとっておく

もっとも効率的な貯金方法は?ほとんど誰もが納得すると思いますが「給与先取り方」でしょう。バビロンの大富豪でも語られ、「私の財産告白」を書いた日本の大富豪、本多静六氏が若い頃から実践していた方法です。

日本のウォーレン・バフェット|本多静六の”私の財産告白”
こんにちは。夫です。 今日紹介するのはまたまたお金、資産形成の本。 年に一度くらい、バイブルと呼べるような本に出会うことがあります。 例えば、 19歳のときはスティーブン・R・コヴィー博士の「7つの習慣」 20歳のときは童門冬二の「上杉鷹山...

逆に一番うまくいかない貯金方法は「残ったら貯金しよう」です。この方法で貯金できる人はほとんどいません。給料がいくら多くても、それをギリギリまで使うことは難しくないのです。

時間についても同じことが言えます。まず自分の取り分を確保しないと、どんどん他のことに時間を使ってしまい、本当に大事なことができなくなります。

本当にやりたいことがあるのなら(創作活動でも、恋愛でも、社会運動でも)、確実にそれをやり遂げるための唯一の方法は、今すぐに、それを実行することだ。どんなに石が小さく見えても、どんなに他の大きな石があっても、そんなのは関係ない。
今やらなければ、時間はないのだ。
引用:限りある時間の使い方

僕も少し実感があります。一時期、専用の手帳を使ってタスク管理を工夫していたのですがどうもうまくいかなくて、結果、一切のタスク管理をやめました。どうしているのかというと、タスクが発生した瞬間にやれることはやる。管理していなくて溢れてしまった、忘れてしまったものは重要ではなかったと割り切ることです。結果、今のところその単純すぎるタスク管理が一番うまく行っています。

第2の法則:進行中の仕事を制御する

現代の病、マルチタスクの誘惑は強力です。時間をコントロールできるような錯覚に陥るからです。いろいろと同時並行して気分や時間によって切り替えたらうまく行っているような感覚に陥るでしょうが、本当に時間がかかって大切なことはいつまでも終わりません。

本書のアドバイスは、同時に進行する仕事の数を削れるところまで削ることです。例えば、進行中の仕事は3つまでと決めておきます。その3つが終わるまで、一瞬で終わる作業的なタスク以外は一切入れません。長期的な仕事に取り組むのは、進行している3つのどれかが完了してからです。

「進行中」のタスクを制限するだけで、僕の仕事は驚くほどうまく進み始めた。自分にできることが有限であるという事実から目をそらすのは、もはや不可能だった。やることリストから3つのタスクを選択するたびに、そこに入り切らないタスクのことをいやでも考えるからだ。
それは厳しい現実だった。何かを選ぶときには、他のすべてを捨てなければならない。でもそれを直視したおかげで、すべてを同時にこなすという選択肢はそもそも不可能なのだとシンプルに理解できた。その結果、注意散漫になることなく、目の前のタスクにじっくりと取り組めるようになった。
引用:限りある時間の使い方

さらに筆者はもう一つ嬉しい効果があったといいます。仕事を小さな単位に区切るというアドバイスを聞いたことがあると思いますが、この第2の法則を取り入れると嫌でも小さな単位に区切れるようになります。「引っ越しする」というタスクを入れると、引っ越しが完了するまで何ヶ月も他のタスクを追加することができません。だから「引っ越しの条件を考える」「引っ越し先候補を10個見つける」「不動産屋に連絡する」など、小さな仕事に分割するクセがつくんです。多くのアドバイスにあるように、この方がスムーズで、ハイクオリティに物事を進めることができます。

第3の法則:優先度中を捨てる

最後のアドバイスは、優先度が中くらいの魅力的な選択肢をできるだけ捨てることです。「いつかやろう」的なものは、さほど重要ではない上、いつまでたっても完了せず自分の中で消化不良な後悔として残り続けます。さらに問題は、そうしたものは重要ではないくせに、人生の重要なことから目を逸らすくらいには魅力的なんです。
どうせそれをやることはできないのだから、手っ取り早く捨ててしまった方が得策です。

これは難しいですよね。旅行先やアクティビティ、僕も「いつかやろう」と考えていることはたくさんあります。でもそのいつかってほぼ来ないんだろうな、ともなんとなく思い描けてしまいます。その程度の重要性でありながら、頭の中を占領するし、他にもっとやるべきことがあると分かっていてもやってみようかな、と思うくらいには魅力的。ほんと書かれている通りです。

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勝ち目のない戦いをやめる

「ホイッスターの法則」を聞いたことがあるかもしれません。「どんな仕事でも、時間は予想以上にかかる。たとえホイッスターの法則を計算に入れても」というもので、つまりどれほど入念に計画しても、時間などのリソースはそれ以上にかかってしまうということです。
似たような法則で「パーキンソンの法則」というのもあります。これは「仕事は完成までに利用可能な時間をすべて満たすように拡大していく」というもので、こちらの方が聞き馴染みがあるかもしれません。

体験がある人も多いと思います。最悪の解決策は、かかる時間をかなりゆとりを持って決めること。するとその分だけ時間がかかってしまい、さらにオーバーするので事態は悪化する一方です。

こうした法則は半分ジョークのように聞こえますが、実際、国家プロジェクトから日々の買い物まで、こうした法則に支配されているとしか思えない事例はいくらでもあります。

この法則から導ける結論はシンプルです。それは時間と戦っても仕方がないということ。未来は常に今よりも一歩先、確実なことなどほとんどなく、この瞬間からどれだけ手を伸ばしても、その少し先にあるのが未来です。そこをコントロールしようとしても、勝ち目はないんです。

どんなに入念に計画を立てても、それがうまく行くかどうか知ることができるのは、それが過去になったタイミングです。「まだ3日ある」と考えているうちに別のタスクが降りかかるかもしれませんし、事故で死んでしまうかもしれない。「まだ時間がある」と僕たちがいう時、まだ確定もしていない、まだ手に入ってもいない、まだ存在もしていないよくわからない何かがある前提で話しているんです。そりゃうまくいきません。

人生の4000週間の時間にしても本当は誰も手に入れることはできない。単に早死にする可能性があるだけでなく、ほんの1週間さえも「自分のもの」にはならないからだ。
目の前の1週間は、けっしてあなたの思い通りにはならない。制約だらけの時と場所に放り込まれて、次に何が起こるかわからない不確実な瞬間瞬間をただ生きるしかない。
<中略>
どんなに必死で計画し、心配しても、すべてが確実にうまくいくことなんて不可能だ。確かな未来を求める戦いに勝ち目はないし、そんな戦いは今すぐやめた方がいい。
<中略>
過去を振り返ってみれば、未来をコントロールしようとする奮闘がいかに無意味であるかに気づくはずだ。未来が完璧に思い通りになったことなんて、今までに一度でもあっただろうか。今ここにいる自分は、思わぬ偶然が積み重なった結果ではないのか。
引用:限りある時間の使い方

未来を計画することが悪いわけではありません。老後のために貯蓄することも大事ですし、決められた仕事を期限内に終わらすことも大切です。未来をよくしようとする努力はどんどんやるべきです。でも問題は、あるかどうかもわからない未来があることを前提に、それをコントロールしようとすることです。それがストレスになってしまうんです。

じゃあどうすればいいのか。本書が提唱するのは「何が起ころうと気にしない」という生き方です。
未来は不確実で、そこにあるのかどうかもわからない。あったとしても、それがあったと判別できるのは、それが過去に変わった瞬間。そして僕たちはそんなわからない未来を一つ一つ手に入れて、今を生きている。
その前提に立てば、何が起ころうと気にせず、未来が自分の思い通りにならないことを受け入れ、本当に存在する唯一の瞬間、つまり”今”を生きようというスタイルです。

なりゆき任せに生きるわけでも、先の予定を全部無視するわけではありません。そんな生き方はむしろ不幸になるでしょう。ここでいう「何が起ころうと気にしない」の意味は、”計画”という言葉は「未来をコントロールするためのもの」ではなく、「今の自分の意志表明である」と考えることです。

本書では計画について「自分のささやかな影響力で未来にどう働きかけたいか、その考えを明らかにしているもの」「未来の側には、それに応じる義務はない」と表現しています。あくまで計画は自分がどうありたいか、何をしたいかを表明するためのもので、それに対して努力し実践することはとても価値がある。でも、それは存在しない未来を確定させるものではないということですね。確かにこの考え方は人生を楽にしてくれそうです。

余暇に言い訳は必要ない

「働きすぎから解放されよう」というタイプのメッセージはたくさんあります。ビジネス雑誌やサイトを見れば、余暇の過ごし方や長時間労働を避けるテーマの記事がたくさん見つかります。
でもよく読んでみると、そのメッセージの裏付け、理屈として「十分に休息をとった方が生産的に働ける」なんて書かれていたりします。

筆者はこれについて「なぜ海辺でのんびりしたり、ベッドでごろごろするために”仕事のため”なんて言い訳が必要なんだ?」と言います。

この言葉にハッとさせられました。僕自身、休む時には「休むことでより生産性が増す」なんて考えてしまっていたからです。ちゃんと休んでいるつもりでも、結局、生産性を上げるために休んでいるので、本質的に仕事をしているのと変わりません。本を読む時も「これは仕事で役に立つから」、美術館に行く時も「アート思考がビジネスに活きるから」なんて考えてしまいます。仕事以外も充実させているつもりで、ずっと仕事中だったんです…

何もせずにのんびりするのが余暇の目的だったはずなのに、それだけでは足りない気がしてくるのだ。休みの日も将来に備えて投資していないと、なんとなく気分が落ち着かない。余暇そのものさえ、より生産的な労働者になるためのツールのように思えてくる。
こういう考え方はあらゆるところに蔓延している。たとえば、ただなんとなく走ることに後ろめたさを感じて、つねに10キロマラソンのためにトレーニングしている友人。何か将来の目標がなければ、走ることさえできないのだ。あるいは僕が瞑想のクラスに通っていたのも、瞑想が楽しいからではなく、いつの日か永久に心穏やかな状態になれることを目指していたからだった。バックパックを背負って1年間世界中を旅するという一見遊びに満ちた体験でさえも、「より豊かな経験をした自分」になるための手段だったりする。
余暇を有意義に過ごそうとすると、余暇が義務みたいになってくる。それでは仕事とまるで変わらない。
引用:限りある時間の使い方

胸が痛くなります…目的を持つことが大切で、目的のないことは無駄である。そう考えてしまう自分が確かにいました…なにをしてるんだ?って感じですよね。本を読むのは本を読むのが楽しいからであって、給料を上げるためではなかったはずなのに。もちろんそういう目的を持った読書を否定するわけではありませんが…

アリストテレスは「真の余暇」こそがあらゆる美徳の中で最高のものだと論じていました。その理由は、余暇にはそれ自体以外に目的を持たず、それこそが人間本来の姿だということです。
工業化・資本主義化が進むまで、この考えは一般的なものだったそうです。余暇こそが人生であり、仕事はその例外だったんです。

現代に生きる僕たちは、休みを「有意義に使う」とか「無駄にする」という奇妙な考えにすっかり染まっている。将来に向けて何らかの価値を生み出さないものは、すべて単なる怠惰でしかない。休息が許されるのは、働く元気を取り戻すためだけだ。こうして純粋な休息としての休息はどんどん肩身が狭くなっていく。将来のためにならない過ごし方をすると、なんだか悪いことをしたような気分になる。
<中略>
ある老人がワインを飲み、満ち足りた気分になる。そのことに価値がないというのなら、生産も富もただの空虚な迷信に過ぎない。生産や富に意味があるのは、それが人に還元され暮らしを楽しくしてくれる場合だけだ。
引用:限りある時間の使い方

余暇を余暇として楽しめないのなら、なんらかの目的がなければ意味がないのだとすれば、人生は空虚な迷信。納得です。結局、最後にはどんな目的を持っていても何もできなくなるわけです。目的がなければ意味がないなら、人生とは最後に意味を失うもので、何のために生きているのかわからなくなってしまいます。それ自体を楽しむ。言われてしまえば当たり前なのに、できていなかったでですね…

宇宙的無意味療法

なんで僕たちが余暇を余暇として楽しめず、目的なくそれ自体を味わうことができないのか。その理由は僕たちが「忙しさ依存症」に陥っているからだと言います。時間という概念が発明されたことで、いろんなことがコントロールできるような錯覚に陥りました。その錯覚によって、コントロールしていないと気が済まない気分になっているんです。
余暇を余暇として特別な目的や意味を求めず楽しんだら、未来に対するコントロールを失ってしまいます。それが未来のためである、未来の目的のためにこのように役に立つ。そんな風に自分を納得させないと、自分の人生に意味がないように錯覚してしまうのです。

あなたにも覚えがあるかもしれない。自分の人生がこんなものでいいのだろうかという迷い。自分はもっとやりがいのあることをしているべきではないのか。4000週間をもっと有意義に使うべきではなかったのかという葛藤。
<中略>
自分の人生が無意味ではないかと疑うのは、とても不安なことだ。でもそれは、必ずしも悪いことではない。<中略>つまり、何もかも片付いたあとの遠い未来に得られるかもしれない充実感ではなく、今ここにある人生を何とかならないという視点だ。<中略>いま自分が生きているこの瞬間以外には、どこにも人生の意味など存在しないという事実を把握したのだから。
引用:限りある時間の使い方

「どこにも人生の意味など存在しないという事実」というのは一見すると恐ろしい言葉です。でも確かに、どの視点に立つかにもよりますが、人生に大局的な意味なんてないのかもしれません。特に2020年以降、不要不急やエッセンシャルという言葉が飛び交うようになって、自分の仕事、人生、趣味の意味って一体何なんだろうと考える機会が社会的に増えたと思います。そしてその答えは「意味なんてない」なんです。

哲学的な問いかもしれませんが、例えば地球環境を守るために精力的に活動する人。地球のためを思って活動する一方、家族を置いてきぼりに、自分の家の隣で老人が苦しんでいる、そのさらに隣で若者が苦しんでいることにも気づかない。であれば、地球環境を守ることにどれだけ意味があるんでしょう?本当に地球環境を守ることは、自分の家族を大切にしたり、身近で苦しんでいる人をちょっと手助けすることよりも尊く、意味があることなのでしょうか?

元エディンバラ主教のリチャード・ホロウェイは、「宇宙の圧倒的な無関心」について考えると、「鬱蒼とした森の中で迷子になったような困惑や、船から海に落ちて誰にも気づいてもらえないような恐怖」を感じると書いている。
でも別の角度から見ると、それは奇妙に慰められる気づきでもある。
それを「宇宙的無意味療法」と呼ぼう。やるべきことが大きすぎて圧倒されるとき、少しだけズームアウトしてみれば、すべてはちっぽけな問題に見えてくる。ほとんど無だ。日々の不安や悩み事–人間関係、出世競争、お金の心配–など、宇宙から見ればまったくどうでもいいことなのだ。
<中略>
自分が無価値であることに気づいたとき、ほっと安心するのも当たり前だ。今までずっと、達成不可能な基準を自分に課してきたのだから。
引用:限りある時間の使い方

本書では「椅子でお湯を沸かせないからといって、椅子に失望する必要はない」という言葉を引用しています。つまり、本質的に意味がない、価値がない存在である僕たちが何か大きな意味を見出そうとして、ほとんどの人が達成できずに失望してしまうのは、椅子でお湯を沸かそうとしているようなものだということです。
スティーブ・ジョブズの功績は間違いなく素晴らしいものですが、宇宙レベルでみたら何もなかったのと同じ。ミケランジェロやモーツァルトも、アインシュタインでも同じです。そのレベルで活躍した人でさえ、人類の歴史上数えるほどしかいない上、彼らでさえ宇宙には何の影響ももたらしていない。
そう考えた時、自分が人生で何かを成し遂げる、功績を残す、意味を見つけるというのは、高いレベルから見たら達成不可能な基準なんです。

このことに気づかせてくれるものを筆者は「宇宙的無意味療法」と呼んでいます。

視点の高さはそれぞれですが、それでいいんです。一流のシェフになれなくても、家族が喜んでくれる食事を用意できるなら、それはかけがえのないことです。

宇宙的無意味療法は、この壮大な世界における自分のちっぽけさを直視し、受け入れるための招待状だ。
4000週間というすばらしい贈り物を堪能することは、偉業を成し遂げることを意味しない。むしろ逆だ。
並はずれたことをやろうという抽象的で過剰な期待は、きっぱりと捨てよう。そんなものにとらわれず、自分に与えられた時間をそのまま味わった方がいい。宇宙を動かすという神のような幻想から地面に降り立ち、具体的で有限な–そして案外すばらしいこともある–人生を、ありのままに体験しよう。
引用:限りある時間の使い方

幸せはすでにそこにある。今この瞬間に幸せがある。自己啓発やコーチングでよく言われることですが、ここまで力強く言ってくれる本には出会ったことがありません。でも実際そうなんですよね。生まれてきた以上、何かをしないといけない。その考え自体、社会に押し付けられた幻想なんです。偉業を成し遂げるために犠牲にした無数のこと、家族との時間、だらだら過ごすこと、たいした才能はないけど音楽を楽しんでみることなどと比べて、どれだけの意味がああるのかと言われると、宇宙レベルで見たら等しく「無意味」です。

今できることだけやる

ということで今回は「限りある時間の使い方」を紹介しました。

僕自身が人生でなにかやり遂げないといけないみたいな妄想に囚われて、本を読むにも、美術館に行くにも、ギターを弾くにも、なにか意味を求めてしまっていました。意味がないことをやっていると罪悪感に駆られていたので、末期です。でも、経済的・社会的に成功することと、今ギターを弾いて楽しむことに優劣なんてありません。将来経済的に成功するためにギターを弾くのもいいかもしれませんが、今ギターを弾くだけで楽しむことも、同じくらい価値があることです。

本書のテーマである”時間”に話を戻すと、僕たちがどれだけ時間を効果的に使おうが、意味のある計画をしようが、大した意味はないということです。宇宙レベルで見たら等しく無意味ですし、4000週間という長いんだか短いんだかもわからない時間で何か意味のあることを成し遂げるのはほとんど不可能。だったら意味も効率も求めず、今この瞬間に集中した方が面白いし、ありもしない未来へ手を伸ばすよりは、結果的にでかいことができるかもしれないんです。

「次にすべきこと」を実行するのが、いつだって、自分にできる唯一のことだからだ。たとえ正解がわからなくても、とにかく次にすべきことをやるしかない。「それしかできない」ということは、裏を返せば「それしかしなくていい」ということだ
この事実を受け入れることができれば–つまり、自分が限りある人間であるという状況に潔く身を任せるならば–これまでになく大きな達成感を手に入れることができるだろう。
それは超人的な成果ではないかもしれない。それでも、自分にできる最善のことだ。そのとき、バックミラーのなかで徐々に形作られていく人生は、たしかに「自分の時間をうまく使った」といえるものになっているはずだ。
どれだけ多くの人を助けたか、どれだけの偉業を成し遂げたか、そんなことは問題ではない。時間をうまく使ったといえる唯一の基準は、自分に与えられた時間をしっかりと生き、限られた時間と能力のなかで、やれることをやったかどうかだ。
<中略>
人の平均寿命は短い。ものすごく、バカみたいに短い。でもそれは、絶望し続ける理由にはならない。限られた時間を有効に使わなくてはとパニックになる必要もない。
むしろ、安心してほしい。到達不可能な理想をようやく捨てることができるのだから。どこまでも効率的で、万能で、傷つくことがなく、完璧に自立した人間になることなど、はじめから無理だったと認めていいのだから。
さあ腕まくりをして、自分にできることに取り掛かろう。
引用:限りある時間の使い方

時間をうまく使う方法。そんなものには意味がないし、幻想でしかない。そんなふうに常識を打ち砕いてくれた本書ですが、最後に出てきたのは、「今自分ができること、次に自分ができること」をしっかりやっていれば、それが自分の時間をうまく使うことにつながるというものでした。

本書でもっとも衝撃的だったのはやはり僕自身が、余暇にも意味を求めてしまっているという大きな矛盾に気づかせてくれたことです。本当の意味での余暇、アリストテレスが「あらゆる美徳の中で最高のもの」といった余暇を味わうことに、罪悪感さえ抱いていた自分に気づかせてくれたことが、本書読んで得た最大の気づきでした。

人生に意味はない。自分の人生は無価値である。そんなことを言われてすんなり納得する人は少ないでしょう(もしこの記事だけを読んで納得してくれたのなら、嬉しい反面、心配になります 笑)。
でも僕はタイムマネジメントオタクとして、いろんな本を読んで、人生で何を成し遂げるべきか、自分の価値を最大化するにはどうすればいいかを考え、自己啓発書を買い漁り、その上で「確かに、無意味だし、意味を求めることがいろんな苦しみやストレスにつながっているな」と深く納得できました。

もちろん現実にタイムマネジメントは必要です。何を成し遂げたいか考えて生きることも大事だという考えに変わりはありません。それでも、本質的には無意味。意味を求めることで損をしていたこともいっぱいある。そんなことに気づかせ、パラダイムシフトを与えてくれた一冊です。ぜひ一度読んでみてください。

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この記事を書いた人

かれこれ5年以上、変えることなく維持しているマッシュヘア。
座右の銘は倦むことなかれ。

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