【教養としてのお金とアート】公認会計士と美術商の異色の対談本

【教養としてのお金とアート】公認会計士と美術商の異色の対談本 実用書
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こんにちは。夫です。

夫

今日は久しぶりにアート関係の本を読んでみました。アート関係の本は時々読むんですけど、ここで紹介するのは「13歳からのアート思考」以来だと思います。

「13歳からのアート思考」から音楽にできることを考える
こんにちは。夫です。 夫 僕はギターやピアノを弾いていて、現在もバンド活動を続けるミュージシャンでもあります。イベントを企画したり、新しい音楽を作ったりと自由気ままに楽しんでいるのですが、「音楽」という観点から衝撃的な本と出会いました。 そ...

ということで今回取り上げるのは山本豊津さんと田中靖浩さんの共著対談本「教養としてのお金とアート」です。

夫

お金とアートって密接に絡んでいますが、どこか距離をとってしまいますよね。僕自身、「サルバトール・ムンディ(レオナルド・ダ・ヴィンチの絵)が500億円!」とかいうニュースを見て、アートの価値ってお金じゃないと思うんだよな…なんでそんな値がついてしまうんだろう…公共の財産としてどこかに寄贈してほしいな…って考えたりします。

そんなお金とアートの関係性から、「価値と価格の本質」を探るのが本書のテーマ。著書の2人は公認会計士と美術画廊の代表。まさに「お金」の人と「アート」の人が対談しているのが本書です。

山本豊津

東京画廊代表取締役社長。武蔵野美術大学卒業後、大蔵大臣秘書などを経て香港、スイスのアートバーゼルに出展。アートフェア東京のアドバイザーなど多数のプロジェクトを手掛け、全国美術商連合会常務理事、日本現代美術商協会理事などを務めている。

田中靖浩

田中靖浩公認会計士事務所所長。早稲田大学卒業後、外資系コンサルティング会社を経て公認会計士として独立。ビジネススクール、企業研修、講演などで活躍する一方、落語家、講談師とのコラボを手掛けるなどユニークに活動。

夫

公認会計士と美術商って話が合うのか…?って思いますが、本書では面白いくらいフィットするし、全然違う話をしていたと思ったらどこかでアートの世界線とお金の世界線が急に交わって「あ、同じこと言ってたね!」ってなったりするのが面白いです。

本書は具体的にアートについて学べる、会計について学べるというよりも「アートってなんなの?」「なんで価値があるの?」「会計ってなんなの?」というざっくりしたテーマが、対談の端々から得られるイメージです。この記事ではその端々をピックアップしていこうと思いますが、やはり対談本なので話の流れや前後の文脈が重要。ぜひ本書を手に取って読んでみてください。

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アートの本質はノスタルジー

もともとの実用技術は肉体的で文明的です。便利だとか不便だとか、社会生活に必要だったけれども、時が経てばさらなる文明の発展によって廃れることがある。廃れると、そこに懐かしいと感じる心が生まれる。その懐かしさを感じさせるものが出てきた時に初めて、アートの概念が生まれるのです。モノを実用しているときは心の問題でなくて生活の利便性、肉体的な問題だけど、部屋を片付けていたら小学生のとき遊んでいたブリキのおもちゃが出てきた。いまやもう売られていないブリキのおもちゃ。するとこのおもちゃに対する懐かしい気持ちがアートになって、数百円のおもちゃが数万円とかになって売買されるようになるのです。そんな懐かしさを含む気持ちが僕は文化だと思う。
引用:教養としてのお金とアート

懐かしさ、ノスタルジーがアートであり、モノとしての価値に心理的な希少価値が追加されるという考え方です。実際、アートの大半は実用的ではありません。山本豊津さんがいう懐かしさはアートの価値基準の一つでしょう。浮世絵も今では一つのアートとして価値が高まっていますが、明治の頃は山のように作られ、捨てられていました。そこから時代の変遷を経て残ったモノに「懐かしさ」が加わり、アートとして評価されるようになってきたのです。

夫

日本人は印象派が好きですよね。僕も印象派展に年に1〜2回は行っていると思います。それくらい近場でも頻繁に行われている。なんでそんなに日本で印象派が人気なのかというと、印象派が浮世絵、ジャポニズムの影響を受けていて、無意識に懐かしさを感じるからなんだそう。ちなみに中国人や韓国人の間で印象派はそんなに人気がありません。代わりにアメリカの現代美術が人気なのだそう。何十年も前に、アメリカ留学して帰ってきて成功した人たちが懐かしさを感じているからです。

ここでは「懐かしさ」に焦点を当ててアートの価値について話していますが、もちろんアートの価値や方向性を決めるのはそれだけではありません。もっと広く言うと、文化や文明、社会という大きなレベルでアートの価値は動いています。

面白かったのは日本人の「翻訳能力」と「言語能力」について。海外の本でも少し話題になれば翻訳されます。こんな国は滅多になく、多くの国で英語の本を読むためには英語を勉強しなければなりません。そんな圧倒的な翻訳能力は、おそらく中国から漢字を輸入して翻訳、さらにひらがなやカタカナに発展していった経験から生まれたものでしょう。
その圧倒的な翻訳能力の弊害で、日本人の言語能力、特に高年齢男性の言語能力が低くなってしまったんです。経理に無言で紙を突き出せば「経費精算しておきます」って理解してくれる。翻訳能力が高いので、ちゃんと説明しなくても伝わってしまうんです。

夫

逆に翻訳能力が低い文化圏では、身近に違う言語を話す人がいたりするので、ボディランゲージなども使った説明能力、広義の言語能力が高いんです。翻訳能力が高すぎて言語能力が下がるなんて、面白いですよね。そんな風にアートとお金に一見関係なさそうなことも真面目に議論しているのが本書の面白さです。

僕も絵を買いたい人にこんなアドバイスをします。まずはギャラリストやアーティストから描いた絵について説明を聞きなさい。そこでは、その絵や技法が生まれた由来が話されると思います。次にそこで聞いた説明を第三者である僕に再現してみてください、と。それが再現できないなら、絵を買うのをやめたほうがいいと忠告します。
<中略>
コンテクストがしっかりしていないと、人から説明されても理解できません。さらに理解するだけでなく、それを人に説明できてやっと本物です。そこまでコンテクストがしっかり存在していて、自分が理解できていることが絵を買う最低条件だと伝えます。
引用:教養としてのお金とアート

アートの価値は作品そのものではなく、コンテクスト(文脈)の中にあります。絵という存在は有限な物質ですが、コンテクストには無限の可能性がある。だから素晴らしいコンテクストを見つけたアーティストの作品は常識では考えられないような高値で取引されます。

夫

アーティストはそのコンテクストを発信する必要があるし、買う側はそれを理解する必要がある。言われてしまえば当たり前ですが、ここに意識を向けているアーティストは少ないように思います。僕も作品を作る側に回ることがありますが、やっぱり説明なしに、その作品のみを評価してほしいと思ってしまいます。でもそれって無限の可能性があるアートの表面でしかないんですよね。

この視点はビジネスの現場でも同じ。「あれやっといて」で通用するのが古き良き日本の文化だと考えることもできますが、それじゃ通用しない時代なのも確かです。ちなみにJAL(日本航空)は言語技術研修を取り入れているそうです。その理由は、日本人パイロットの身体能力、判断力、倫理性などは世界トップクラスだったのに、唯一、言語能力だけが低かったからなのだそう。

感性の時代にNoを突きつける模倣の重要性

アートの著作権は本当に難しい問題です。五線譜で記号化できる音楽は比較的盗用がバレやすいですが、絵画はこれと比べて盗用が認定しにくい。
これは僕の考えですが、99%の模倣と1%の独創であればオリジナルと認めていいと思います。ただしその1%の独創、革新が自己満足ではダメで、第三者にもきちんと説明できるものでなければいけない。いまの日本は1%の独創性が強調されるあまり、99%の模倣の重要性が軽視されすぎだと思います。音楽でも美術でも、若い頃に模倣する訓練をしなければ大成できません。模倣によって培った基礎力の上に1%の独創を加えることが大切なのです。
引用:教養としてのお金とアート

前述の通りアートの価値の大部分はコンテクストにあります。さらにいえばグローバルスタンダードと呼ばれる「共通の土台」も必要です。共通の土台とは、例えば多くの人がアップル製品を使っているからアップル製品が便利で、アップル製品用のアプリなどが作られることや、数字という世界共通言語などです。
もちろんアートの世界にも共通の土台があって、例えばゴッホやレオナルド・ダ・ヴィンチなどは共通の土台と言えるでしょう。アートのコンテクストは、こうした共通の土台の上に新しく作られたストーリーなんです。

夫

なので当然、模倣は重要。模倣しなければ基礎的な技術が身に付かないことはもちろん、共通の土台を学び、その上に新しいコンテクストを生み出すこともできません。山本豊津さんは大事なのは「ここは誰々の模倣です」という意識をアーティスト本人が持つことだと言います。問題は、ちゃんと共通の土台を学んだ人にとっては「パクリやん…」と思われてしまうのに、本人が自覚していないケース。評価もされなければ成長もできません。

これもビジネスで同じことがいえます。99%の模倣に1%の創造性。わかりやすいのはiPhoneでしょう。iPhone以前からスマートフォンはありましたし、タッチパネルもありました。一つ一つの技術を突き詰めると、他の企業が開発したものの模倣が99%でしょう。
アップルはそこに組み合わせ方やマーケティング方法、デザイン性など、1%の創造性を付け加えました。表面に見える部分なので大きな要素に見えますが、iPhoneを形作る無数の技術のなかで、デザインやマーケティングなどはせいぜい1%程度の領域しかないと思います。
その1%の創造性によって、iPhoneは世界を変えたわけです。今度はGoogleがiPhoneを模倣してAndroidを生み出しました。Androidの創造性はどこにあるでしょうか?iPhoneと違いOSだけを提供しデバイスを他社に作らせることで多様性を持たせたことが考えられますが、これと同じことを何十年も前にMicrosoftがやっているので模倣です。そうやってビジネスの成功事例もどこが模倣で、どこが1%の創造性なんだろう、と考えると面白そうですね。

夫

新しいサービス、デバイス、ビジネスモデル…これらも突き詰めれば99%模倣なんですよね。それを意識せず全部自分でゼロから生み出そうとしたらコスパが悪すぎますし、しっかり模倣した競合に負けてしまうでしょう。かといって100%模倣なら単なる後追い。大成功は見込めません。僕はマーケティング職なので過去事例等をしらみつぶしに漁って模倣しまくります。1%の創造性が見つかった施策はやっぱりヒットしてくれますね。

「芸術」という言葉もまだ150年しか歴史がないので、まだ自信をもって話せていない気がしますね。やはりまだ日本の場合は、美術が持っている道具性みたいなものから離れられていない。絵というのは元々イラストレーションだったわけでしょう。世界はすでに絵とイラストレーションを区別しているのですが、僕が見ている限り、いまの日本の絵画の80%はイラストレーションに思えます。
<中略>
イラストレーションは簡単に言えば挿絵です。たとえば花の図鑑で、文章の横に補足説明の絵がついていますよね?あの絵がイラストレーション、つまり挿絵です。説明のためのイラストレーションを脱して、それ独自の思想や意味をもつものが、僕のいう「絵画」です。
引用:教養としてのお金とアート

日本ではアートに重要な模倣が軽視されていることに加え、もう一つ課題があるといいます。それが、アートとイラストレーションの違い。山本豊津さんはアートとイラストレーションについて「独自の思想や意味を持っているかどうか」という基準を持っています。「芸術」という言葉のもとになった「藝術」は「後漢書」という三国志より前からありますが、日本で「芸術」「美術」という言葉が浸透したのは明治以降です。

夫

言っているニュアンスはわかります。SNSで見かけるイラストレーターはアーティストのような立ち位置で見られますが、山本豊津さんの定義で言うとあれはイラストレーションであってアートではないということですね。何がアートでアートではないのかは議論があるところですが、それ自体の思想や意味に着目するのは一つだと思います。

フェルメールは、持ち主によってキャピタルゲインではなく、所有しながら入場料、貸出したグッズ販売などのインカムゲインで稼ぐことになります。ピカソはどちらかというと売買で稼ぐキャピタルゲインの方が大きいかもしれない。ダ・ヴィンチはインカムゲインで、キャピタルゲインじゃない。日本のアーティストで最高額と言われる雪舟はインカムゲインも小さく、キャピタルゲインも少ないから、マーケットでの価値が下がってしまう。日本はこのことを真剣に考えないといけません。
引用:教養としてのお金とアート

マーケットのメカニズムでいえば、供給量が少ないほど値段が上がるはずです。でもアートマーケットではそうなっていません。多作で知られるピカソの絵は今も大量に高値で取引されています。その理由はそもそもある程度のボリュームがないとマーケットとして成立しないからです。ピカソの絵は、アーティストとしては多いけれど希少性が下がるほどの供給量はない。だからマーケットで頻繁に売買されキャピタルゲインを得ることができます。
一方で、作品の数が少ないアーティストの作品は売買によるマーケットが成り立ちにくい傾向にあります。そもそもマーケットに出ることが少ないので、基準価格もわかりにくいからです。そうしたアーティストの作品は貸出しなどで継続的に収益を発生させるインカムゲインで稼ぎます。

夫

アートの歴史、アートマーケットの文化が根付いていない日本ではイメージが難しいですが、アーティストが稼ぐパターンや方法がちゃんとあるんです。それがない日本のアートはマーケットでの価値が低い。価値が低いと当然、アーティストも十分に活躍できず、いいアートが生まれにくい。そんな悪循環ができてしまっているんです。それにしてもアートの話で「キャピタルゲイン」や「インカムゲイン」といった投資用語を聞くとは思いませんでした。

企業が株価を上げたい理由

なんで株価は毎日動いているのに会社の資本金は変わらないんですか?」という質問を受けます。株価が上がったり下がったりするのに、なぜ会社の資本金は動かないのか、と。これを理解するには株式の発行市場と流通市場を分けて考えないといけません。発行市場とは最初に株を売り出したときの市場です。このとき会社に入ってきた調達資金が「資本金」になります。一方、株式が発行されたあとに、それが取引されるのが流通市場です。ここで株式がいくらで売買されようと会社がかつて調達した金額は変わりません。
(ではなぜ経営者が株価を上げようとするのかというと)1つには新たな資金調達を有利に行うためです。株価を上げておけば、いずれ行う新規発行の際に手にできる金額が大きくなります。時価発行増資のときに有利になるということです。それからもう1つ、株価を上げておけばM&Aを有利に行うことができます。自社株を現金の代わりに使うM&Aの場合、株価が高ければ高いほど1株が高い値打ちをもつからです。そういう意味で、新株発行やM&Aをやらない会社については、株価ってあんまり気にしなくていいわけです。
引用:教養としてのお金とアート

ここまでアートの話を中心に引用してきましたが、本書のテーマは「お金とアート」です。なので簿記の歴史なんかも振り返りながら、そことアートが絡んだりしています。

夫

そんな中で面白かったのが、株価を上げる意味について。以前紹介した「お金のむこうに人がいる」という本では、「誰かが株を買った時、そのお金は株を発行している企業には行かず、株を売ってくれた人の利益になる」という話がありました。確かに!!と思う一方、株価が2倍になっても企業が使える資金に全く変化がないなら、なんで株式なんか発行するんだろう?と思ったものです。

金融・経済・投資の本質「お金のむこうに人がいる」
こんにちは。夫です。 夫 めちゃくちゃいい本に出会いました。今年暫定No1かもしれません…金融、経済、投資…ここ数年、興味を持って学んできたこと。その本質に少し気づけたというか、自分の直感が当てにならないことを思い知らされたと言うか…言葉に...

その理由として本書で説明されているのが、「新株発行での資金調達を有利にする」と「M&Aを有利に進める」ことです。1万株の新株発行で資金調達をする時、1株5000円なら5000万円ですが、1株1万円なら1億円になります。株価を上げておけばいざという時の資金調達が楽になるということですね。
もう一つのM&Aですが、企業買収ではよく株式交換という方法が使われます。5000万円の価値がある企業を、5000万円の現金ではなく、1株5000円として1万株を渡す形で買収するというものですね。この時も買収する側の株価が1株1万円なら、渡す株の数は5000株で済みます。

夫

個人的にはもう一つ、経営陣の報酬に絡んでいるから、というのもあると思います。企業経営者って報酬を現金ではなく株式で受け取ることも多いですよね。当然、株価が2倍になれば実質的な報酬も2倍になります。

発行市場と流通市場という言葉が出てきましたが、株式市場と同じように、アートにも発行市場と流通市場という2つの市場があります。いわゆる「プライマリー」「セカンダリー」と呼ばれるものです。

夫

これまでセカンダリー市場はアーティスト本人と関係がありませんでした。プライマリーで売却した利益がアーティストの利益、その後セカンダリーで大きく値上がりしようとアーティストは恩恵を受けられなかったのです。それを解決する手段として注目を集めたのがNFTです。

ディストピアかユートピアか?|テクノロジーが予測する未来
こんにちは。夫です。 夫 僕はアーティスト活動がバックボーンにあるので、知り合いにもアーティスト活動をしている人がたくさんいます。そして、アート界隈で今一番ホットなキーワードが「NFT」です。僕自身、NFTにはアンテナを張っていてちょくちょ...

改めて「美意識」の意味を問う

美意識というのは、目の前に出された絵の価値がわかるとか、美術史的な知識があるというとか、そういうことではなくて、究極的には「自分の人生を、生きているうちに作品化しようとする志」だと思うんです。僕たちが先達を見て美しいと思うのは、自分の人生の結末を完結できている人です。そのために芸術があると僕は思っているんです。つまりコレクションです。芸術家は、自己を商品化するとしかしないとか考えるのも大切ですが、自分の人生を作品として成立させるというダ・ヴィンチがやってきたことが、究極の目標だと思います。それが、美意識だと思うんです。コレクションも表現なのでコレクターの美意識が出ますよ。
引用:教養としてのお金とアート

おそらく本書での一番大切なメッセージはここにあると思います。以前「ハーバードの美意識を磨く授業」という本を紹介しましたが、ここでも大切なメッセージは「顧客を単なる”消費者”と見るのではなく”人間性を備えた一人の人間”として関心を持ち、尊重する」ということでした。

論理が通用しない世界に備えよ|ハーバードの美意識を磨く授業
こんにちは。夫です。 夫 僕は学生時代、社会も国語も英語もダメで、数学と物理はほどほどにできたのでなんとか大学に進学することができた部類です…なので、数字をもとに論理的に分析することには自信があるのですが、僕が得意とする分析ってスプレッドシ...

本書に書かれている「自分の人生を、生きているうちに作品化しようとする志」とは方向性が逆ですが、同じことを言っていると思います。「ハーバードの美意識を磨く授業」では企業と顧客の関係性において、相手の人間性に関心を払い尊重することに美意識があると言い、「教養としてのお金とアート」では一人一人の個人に対して、自分の人生や人間性に関心を払うことが美意識だと言っています。

夫

そうして考えると全ての人が美意識を持って自分の人生を歩むアーティストだと考えられますね。自分の人生を作品化することについて、わかりやすくアート作品として作品化する人もいるでしょうが、仕事や家庭、人間関係で残したものも人生の作品化につながると思います。

教養としてのお金とアート

ということで今回は「教養としてのお金とアート」を紹介しました。

夫

僕はあまり対談本を読まないのですが、本書は話があっちに行ったりこっちに行ったり、全然関係ないこと、取り止めのないことを喋りながら、どこかでテーマの「お金とアート」に行き着く。そんな対談本ならではの魅力満載で楽しく読めました。

今回はあまり紹介しませんでしたが、本書では簿記や経済の歴史、アートの値段・価値の付け方、これからのアートのあり方、日本の近代史や貨幣など、色々な話が出てきます。本書は一つのテーマを深ぼっているというよりは、一つのテーマをどんどんいろんな話に展開していくタイプのものなので、興味の幅がものすごく広がりました。

夫

お金とアート、両方に興味を持って、そこから歴史や文化、思想や人生まで話を展開していくのを楽しいと思うタイプであればぜひ読んで欲しい一冊です。

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