こんにちは。夫です。
さあ、「禅」ですよ。スティーブ・ジョブズが禅を学んでいたと聞いて意気揚々と「禅マインドビギナーズ・マインド」を読んで「よくわかんねえな」となっていた僕も、随分大人になったようです。最近は禅の本を読んでもふむふむと納得できることが多い。
そろそろ「禅マインドビギナーズ・マインド」も読み返してみようかな。あんまり記憶に残ってない…
さて、今日紹介するのは益野俊明さんの「怒らない禅の作法」
二十歳すぎの頃、「禅マインドビギナーズ・マインド」を読んで挫折はしたものの禅には興味があって色々読んでいた本の中で、一番心に残っている本。久しぶりに読み返しました。
僕はあまり怒らない。苛つくこともたぶん少ない方。だいたいのことは「そういうこともあるよね〜」で流します。そんな性格も、”怒らない禅の作法”を読んでいたからかも。
著者の益野俊明さんは、住職でありながら庭園デザイナーとして、教授職、海外での造園創作などをされています。
著書も多く、「禅、シンプル生活のすすめ」や「人生が豊かになる禅シンプル片付け術」など、禅のマインドをわかりやすく教えてくれます。
そんな益野俊明さん、以前はかなり短気だったそうです。それが、禅の修行僧として生活を送ってからガラリと変わったそう。
本書は、そんな益野俊明さんが教えてくれる「怒らない作法」です。
現代人は数分に1回は怒っているんじゃないかってくらい、怒りますよね。怒るまでいかなくても、ちょっと苛ついたり、ムカついたりは日常茶飯事。
心が張り詰めたゴムのようになっていないか?
本書の大半は「怒らない人になる43個の禅の習慣」なのですが、いちばん大切なことは冒頭にありました。
43個もある禅の習慣から、僕が大切だと思ったものをまとめていこうと思いますが、その前に「怒る」とはどういう状況なのか、考えてみましょう。
怒った、腹を立てた、苛ついた、ムカついた。そんな経験、思い返せばいくらでも出てくると思います。上司が嫌味を言ったとか、通勤電車の中にマナーが悪いやつがいたとか、スーパーの野菜の陳列が汚いとか。
そういう”状況”のせいで、怒っていると思っていませんか?
益野俊明さん曰く、怒るというのは周りの状況によるものではなく、その人の心の状態によるものなのだそう。
たしかに、同じ状況にいても怒る人と怒らない人がいますよね。電車にマナーが悪い人がいても、それを見た全員が怒るわけではありません。
怒りやすい心の状態とは、例えばピーンと張られたゴムのようなもの。たわんでいるゴムはちょっと引っ張ってもしんなりしていますが、ピーンと張られていたらちょっとの刺激ではち切れてしまいます。
つまり、確かにきっかけとなった出来事はあるものの、怒ることの原因は外部からの刺激ではなく、自分の心の状態にあるんです。
現代は超スピード社会。スマホを開いたら大量の情報が得られ、仕事に行ったら四半期ごとの目標があり、少しでも早くレジを通り抜けるためセルフレジとキャッシュレス決済の二段構え。
並んだレジが隣より遅いだけで「しまった!」と思ってしまうほど、僕らは超スピード社会に生きています。
こうした状態の中、ちょっとしたことで少しずつ心のゴムが張り詰めていきます。一呼吸置いてゴムをたわめればいいんですが、そんな暇もなく、次のタスク、次のタスク。明日は絶対一番早く進むレジに並ぶために並んでいる人のカゴの量だけでなく、レジの構成員にも注目しよう!あの人はベテランっぽいな…とか考える。
そしてその合間合間にスマホを見て「ネットに繋がらない!読み込みが遅い!」とか言うわけです。通信速度はこの10年で何百倍にもなりましたし、ネットサービスの利用しやすさも日々進化している。ガラケー時代と比べたらめちゃくちゃ便利になっている。にもかかわらず、もっと速く、もっと速くと求めてしまう。
そりゃ、そんなときに上司から「この資料だけどさ〜」と小言を言われたらイラッとしますよね。
益野俊明さんが言いたいのは、怒りというのは外部の環境によるものではなく、自分の心の中から出てくるということ。そしてその一番の原因は、超スピード社会の中で忙しく過ごしすぎているからだということです。
たしかに僕らは忙しく生きすぎています。一日に何十回もスマホを触り、分単位のスケジュールで動き、そして何より、結果や効率を求めてしまう。しかもそれがいいと思っている…
ではそんな社会で生きる我々が”怒らない作法”を身につけるための習慣を見ていきましょう。
本書では43の習慣が書かれていますが、僕の独断と偏見でいいなと思ったものを8つピックアップ。
怒らない禅の習慣
心の色眼鏡を外す
コーチングなどでもよく言われることですが、僕たちは必ず、色眼鏡をかけて世界を見ています。
7つの習慣風に言うなら、「刺激と反応の間の隙間」や「パラダイム」というやつです。
事実としての世界があって、僕らはそれを解釈して、対応します。嫌な上司なんて存在しなくて、その上司が嫌だという”解釈”だけが存在している、ということです。そしてその解釈は、相手のものではなく、自分自身のものです。
本書ではそれを”心の色眼鏡”と言っています。
嫌いなやつがいいことをしていても「人前でいいかっこしやがって」「腹黒いだけだ」とか思ってしまうことがありますが、その人が嫌いという色眼鏡が、事実を歪めて解釈しているんす。
仏教では、一転の曇りもない心、「仏性」を持っていると言われます。これはピュアな自分とも言うべきもので、色眼鏡を取り払った状態。仏性は誰にでもあるものですが、色眼鏡をかけていると自分の仏性はもちろん、相手の仏性も見えません。
だから物事を素直に受け止められず、歪んで解釈してしまうんです。
僕らは色眼鏡をかけて世界を見ていて、それのせいで歪んだ解釈をしている。そのことを認識して、素直に事実として世界を見ようとする。それが禅の第一歩です。
心のメタボを治す
体のメタボは現代病ですが、あまり注目されていない現代病が、心のメタボです。
あれが欲しい、これが欲しい、もっといいものが欲しい、もっといい生活が、もっと良い給料が、もっといい結果が、もっと、もっともっと、、、と求めてしまう状態。それが心のメタボ。
お金はいくらあっても足りないといったことがよく言われます。生活水準は稼いだ額に応じて上がり続けるという皮肉もありますね。結局、大きく稼ごうが幸せになることはなく、いつまでも満足することはないということです。
仏教ではこうした心を「煩悩」と言います。
僕の地元では年越しの時、除夜の鐘を叩いて108煩悩を払うお祭り的なものがあるんですが、もう何年も聞いていない‥今もやってるのかな…
禅語に「明珠在掌」というものがあります。これは、珠(大切なもの)は掌(すぐ近く)にあるよということ。
もっともっと、、と求めてしまう心のメタボは、現代社会では仕方ないのかもしれません。なんだかんだ言って、もっともっとと求め続けて発展してきたのが今の資本主義社会ですから。
しかしたまには落ち着いて、掌にある大切なものを見つめたいですね。
道元禅師は「磨けば玉になる」という言葉を残しています。どんな石ころも磨けば玉になるということです。この精神で、今あるもので満足する心も大切にしましょう。
さらにお釈迦様は「知足」つまり足るを知る、という言葉を残しています。これも今あるもので満足することの大切さを教えてくれます。
向上心や周囲への期待、よりよいものに向けて邁進することが悪いわけではありません。が、もっともっと、、が執着に変わり、余裕がなくなってしまう心のメタボは治したほうが良さそうですね。
どうしようもないことは、どうしようもない。
世の中にはどうしようもないことがたくさんあります。
例えば、天気。天気を予測することは難しいですし、まして天気を自分の都合でコントロールすることなんてできません。
他にも、電車の遅延。電車の中で急病の人が出て遅延することがありますが、急病の人が出ないようにすることも、なかなかできないでしょう。
そう考えると、世の中にある大半のことは、どうしようもないんです。
配達が遅いと怒っても、それでヤマトのお兄さんが優先的に配達してくれるわけではありません。
同僚が仕事をしないと怒っても、同僚が仕事をするかどうかは同僚次第です。
パソコンがフリーズしたからといって、エンジニアでもなければしばらく待つしかありません。怒鳴ってもパソコンには聞こえませんからね。
自分の頭の中と、自分の行動。
この2つ以外、僕たちがコントロールできることってないんです。
そして怒りというのはだいたい、このどうしようもないことをコントロールしようとして発生します。
最近怒ったこと、苛ついたこと、腹が立ったことを思い返してみてください。その中でいくつ、あなたにコントロールできることがありましたか?
禅語には「山是山、水是々」という言葉があります。山は山で、水は水。山が水になることも無ければ、水が山になることもない。ということです。
なにを言ってるんだという感じですが、天気は天気。会社は会社。電車は電車。他人は他人。自分は自分、ということです。
被害者にならない
怒りというのはだいたい、このどうしようもないことをコントロールしようとして発生する、ということを言いました。
7つの習慣では「影響の輪」と「関心の輪」という言葉で紹介されていました。影響の輪というのは、自分が影響を発揮できる、コントロールできる範囲で、関心の輪はコントロールできない範囲です。7つの習慣では、影響の輪にフォーカスすることが、主体的であるということと言っていましたが、禅でも同じです。
自分がコントロールできないことに振り回される、つまり「被害者意識」です。
街を歩いていてぶつかられた時とか、頑張って作った企画書がボツになったときとか、一生懸命教えた部下が全然仕事できないとか、そういう時、被害者になっていませんか?
被害者意識はは多くの場合、コントロールできない範囲の物事が自分を苦しめていると勘違いすることで発生します。
自分が正しいという思い込みも、被害者意識の原因です。
「俺はちゃんとまっすぐ歩いていた。だからぶつかってきたあいつが悪い」
「俺の企画書は完璧だった。だからボツにしたあの上司が悪い」
「俺はちゃんと指導した。だから覚えられない部下が悪い」
そういう感じですね。
禅の小話でこんなものがあります。
ある時、二人の僧が風に揺れる旗を前に、言い争いをしていました。一人は「旗ではなく、風が動いているのだ」と言い、もう一人は「いや、動いているのは旗で、風ではない」と言い、両者とも譲りません。
そこへ通りかかった師は一言、こう言って立ち去りました。
「旗や風が動いているのではない。おまえたちの心が動いているだけだ」と。
いやあ、痛烈な話ですね。ほとんどの場合、どちらが正しいかを主張しても無意味。この二人の僧は言い争いをして、どちらかが勝ったとして、なにかを得ることができるのでしょうか?
議論するのは楽しいし、勝てば気持ちがいい。でもそれが怒りの原因になることも確か。勝敗を付ける意味がないことまで勝敗をつけようとするのは、やめたほうがいいですね。
完璧は存在しない
僕は一時期、古代の西洋哲学にハマっていて、完璧というと「イデア」を思い浮かべます。ギリシャの哲学者プラトンが唱えたイデア説で、この世はイデアの影である、というやつですね。
「イデア」という完璧完全な世界があって、その影としてこの世の中がある。この世の中はあくまでも影なので、イデアのように完璧な姿はしていない、だから間違えるし、失敗するし、不条理なことが起こるんです。
僕はこのイデアという考え方が好きなので、完璧というものは「絶対に存在しないもの」だと思っています。あるとすればそれはこの世ではなく、イデアにあるもので、どこまで追い求めても届かないもの、それが完璧だと思っています。
その影響か、僕は自己採点が低いですが、それを悪いと思ったこともない。100点満点はそもそも取れるわけがないので、細かな失敗や「あともうちょっとな…」ということにいつまでも囚われたりもしません。
もともと完璧主義というわけでもありませんでしたが、イデアという概念を知ってから「完璧なんて存在しない。その前提でできる限り頑張ろう」と考えるようになったので、僕の心のゴムはちょっと緩みました。禅とは全く違うギリシャ哲学ですが、大切な真理はどこでも同じなのかもしれません。
呼吸・運動・食事
なんだかんだいって、人間の生活は、寝て食べて呼吸をすることが基本です。栄養さえとれたら食事はなんでもいいという効率至上主義の人もいますが、やはりゆとりのある生活、人生の幸福はこうした基本的なところから湧き出てくるんだと思います。
本書では、「怒らない体」の作り方としていくつか教えてくれていますが、どれも基本的なことばかり。
1つは呼吸。ちょっとイラッとしそうだなと思ったら、5,6回、下腹を意識してゆっくり呼吸してみてください。心がゆったりしてくることがわかると思います。呼吸が心に影響することは科学的にも証明されていますし、ストレス化では無意識で呼吸が浅くなります。意識的に息を吐ききって、意識的に深く吸う。一瞬でできるので、ぜひやってみてください。
2つ目は運動。運動のことは聞きたくないという人も少なくありませんが、別に汗だくになるまで走れとか、筋細胞が悲鳴を上げるのを感じながらベンチプレスを上げろとか、そういう話ではありません。たった10分でいいので歩いてみる。普段掃除していないところを掃除してみるなど、その程度で十分です。
そして食事。野菜中心の和食を味わってみましょう。日本人の肉食化が問題視されることもありますが、やっぱり野菜生活の、体に不可がかからない食事は大切です。なにを食べるかは思っている以上に精神に影響すると筆者は言います。もちろんたまにお肉をお腹いっぱい食べるにもいいですが、日本人の日本人らしい食事も楽しみましょう。
本書では他にも、ちょっとした所作を丁寧にすることや、少し早起きして朝をゆっくり過ごすなど、生活のいろいろな面で怒らない作法を教えてくれます。確かに、所作が荒いと物音が大きくなり、周りまで苛つかせてしまうこともありますからね。丁寧な所作、心がけたいと思います。
本来無一物
本書ではいくつか禅語が紹介されているのですが、その中でも特に好きなのがこの「本来無一物」人間はそもそもなにも持っていない存在である、ということです。
さて部屋を見渡して見ましょう。本当に自分に必要なものがいくつあるでしょうか?なくなっても、明日から普通に生活できるもの、結構たくさんありませんか?
実際、今僕たちの身の回りにあるもののほとんどは100年前には存在していなかったものです。これだけモノに溢れているのに、次から次へと新商品が発売され、日々流行が変わるなか、満足することはほとんどどありません。
そんな社会では「ほしいから自由になる」ことが大切です。「ほしい」の根底にあるのは、他人との比較。誰々が持っているからとか、流行に遅れるからとか、そういう感情です。そんなつもりはないかもしれませんが、テレビや雑誌で見たおしゃれな部屋、SNSで見た友人の暮らしに影響されていないとは言い切れませんよね。
ほとんどの物は自分に必要だからではなく、他人と比較して見劣りしたくないから、ほしいと感じてしまうんです。
スマホを見ても、テレビを付けても、街を歩いても、誘惑だらけ。
そんなときは「本来無一物」そもそもなにも持っていなくて、それで十分な存在なんだということを思い出しましょう。
一日一止を心がける
中国には「一日一止」という言葉があるそうです。これは、「一日に一度立ち止まれば正しい生き方ができる」というもの。「一」という字と「止」という字をくっつけると「正」という字になりますから、漢字というのはよく考えられていますね。
禅では「七走一坐」という言葉があるそうで、これは7回走ったら1回座れという意味。人間、全力疾走を続けることはできません。ちゃんと休んで、息を整えて、ようやく次のことができます。
忙しい現代人ほど、意識したいですね。週末も仕事に追われている人、珍しくありません。かくいう僕も、週末まで仕事に追われることはあまりありませんが、なにかやっていないと落ち着かない。一日ボーっと過ごしていたらすごくもったいないことをしたような気分になります。
でもそういう時間を取らず、全力疾走を続けていたらいつか壊れるのは必至。
筆者は「一日一止」は朝の時間がいいと言います。忙しい朝の時間に止まるのは大変ですが、朝を制するものは一日を制す。
朝起きて、すぐに着替えて、テレビやネットニュースで情報収集。その合間に家事をして、仕事に行く準備をする。のではなく、「さて今日はどんな一日にしようかな」などと静かな場所で考えるのもいいかもしれません。
ちなみに、禅では月を真理と考えていて、「水急不流月」(急な水の流れでも、水面に映る月を流すことはできない。つまり月は普遍の真理である)という言葉があるそうです。朝どうしても時間が取れないという方は、夜に月を見上げるのもいいですね。
禅のマインドは全てに作用する
さて今回は、益野俊明さんの「怒らない禅の作法」にある43の習慣から8つをピックアップしました。
他の禅の本を挫折した僕でもわかりやすく読めて、かなり生き方が楽になったなと感じているので、伝わりやすいというか、今すぐ意識してできそうなことばっかりだったと思います。
本書の後半では「怒りを消し去る禅の作法」として、怒りに対するいろんな悩み相談に応えてくれているのですが、最後にそこから2つの言葉をピックアップして終わろうと思います。
三世の中に生きる
人は三世の中に生きるという言葉があります。三世とは、過去、現在、未来の3つ。私たちは過ぎ去った時間を過去と呼び、これからやってくる時間を未来と考えています。しかし禅では、一瞬前は過去であり、一瞬先は未来だと考えます。つまり、生きているのは「今この瞬間だけ」だということです。人生とは「今この瞬間」が連なったものであり、未来でも過去でもない。だから、過去を後悔することも、未来に期待することも、基本的には意味がありません。
過去も未来も意味がないとは厳しい言葉。僕たちにできることは「今この瞬間」をいかに過ごすか、ということだけです。スティーブ・ジョブズは「今日が人生最後の日だとしたらなにをするか?」と日々問い立てていたそう。その考え方も、禅の三世に生きるということから来ているのかもしれませんね
それは美しいですか?
本書には時折、「美しい」という言葉が出てきます。美しい所作、美しい言葉などですね。禅ではこの「美しい」を重視します。例えば、電車の中でマナーが悪い行動をするのは「美しく」ありません。部下を怒鳴ることも、苛ついて大きな音を立ててコップを置くことも「美しく」ありません。
「蓮は泥より出て泥に染まらず」という言葉は、泥沼からきれいな蓮が咲くことを指した言葉ですが、僕たち一人ひとりにも言えます。そして、仏教では蓮の花が大切なモチーフとして書かれ、仏様はだいたい蓮の花の上にいます。
周りが美しくないからといって、僕たちまで汚れる必要はない。マナー違反をする人がいる、失礼な同僚がいる、悪いニュースが多い。世の中は確かに美しくないように見えますが、蓮のように自分だけは美しくいよう、という教えですね。
怒りたくなった時、こう問いかけて見てください。
「今、怒りを表現することは”美しい行為”なのか?」
正しい正しくないでは議論のぶつかり合いで決着が出ません。でも、美しいかどうか?ならすぐに答えが出そうですね。
この記事を書いた人
- かれこれ5年以上、変えることなく維持しているマッシュヘア。
座右の銘は倦むことなかれ。
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