こんにちは。夫です。
先日、妻と京都の「アンディ・ウォーホル展」「シダネルとマルタン展」を見に行ってきました。
「アンディ・ウォーホル展」が開催された京セラ美術館にいくのは、2016年の「ダリ展」以来。最近大阪の美術館ばかり行ってましたが京セラ美術館は建築物としても素晴らしいですね…っと余計な話をしてしまいましたが、その帰り、京都美術館で手に入れたのが今回紹介する「After Steve-3兆ドル企業を支えた不揃いの林檎たち」です。
挑戦的なタイトルデザインです。バラバラに切られた林檎の写真、帯には「鳴り止まぬ不協和音、上がり続ける株価」の文字。タイトル通り、2011年10月5日にスティーブ・ジョブズが亡くなった後のアップルについて書かれた本です。
現代のレオナルド・ダ・ヴィンチとまで呼ばれたスティーブ・ジョブズ亡き後、アップルは偉大な天才が不在でも革新的な製品を生み出し、企業として成長していける様を社内外に見せつける必要がありました。その役割を担ったのが、スティーブ・ジョブズの後を継いだ新CEOティム・クックと、iMacやiPhoneのデザインを担ったジョナサン・アイブです。
本書はティム・クックとジョナサン・アイブが幼少期から成長しアップルに入社、そしてスティーブ亡き後のアップルを担いiPadやApple Watchなどの新製品、iCloudなどのサービスを育て上げ、アップルが名実ともに世界No1の企業として成長していった2020年ごろまでを描いた実話です。
しかし本書の帯にある通り、順風満帆とはいきませんでした。アップルはスティーブ・ジョブズがいた頃の反骨精神があり、イノベーティブな集団から、社会的な大義を持つ存在に生まれ変わる必要がありました。その過程では役員クラスの退職やチーム内の不和、計画通りに進まない製造、政治的闘争まで、無数の問題にぶつかります。
本書にはそんなチーム内の不和とそれを乗り越えるエピソードがたくさんあります。マネジメントとクリエイティブの衝突はあらゆる職場で日々起こっていることでしょう。それらをアップルがどう乗り越えてきたのか。もちろん全部を乗り越えてきたわけではありません。失ったもの、失敗もたくさんありますが、その中で企業として成長し続けてきました。これは全ビジネスパーソンにとって学ぶことがたくさん見つかる指南書だと思います。
本書は章立てごとに主人公がティム・クック、ジョナサン・アイブが入れ替わり、それぞれの立場や考え方が描かれています。この記事では前後編に分けて、それぞれの主人公から僕が学んだこと、面白いと思ったエピソードをピックアップしていきます。
田舎町に生まれた10歳のビジネスマン
後にアップルCEOに就任し、10年で株価を10倍に上げ、アメリカで初めての1兆ドル企業へと押し上げ、さらに2兆ドル、3兆ドル企業へと加速度的に成長させていった立役者の一人、ティム・クックは時給5ドルで働く父親の元、じゃがいも栽培が盛んな田舎で育ちました。
そんな彼はアメリカの田舎の、比較的裕福ではない家庭の子どもらしく10歳で初めて仕事をします。配達からバーガー屋、薬局でのモップがけなどあらゆる仕事を経験しました。
この薬局で彼は、のちの人生を決定づける自発性や商才を発揮した。さまざまな銘柄が置かれたタバコ売り場を人気に基づいて整理し直し、売り上げアップに貢献した。
引用:After Steve
ジョブズのようなカリスマ性も、アイブのようなデザインセンスも持たないティム・クックの特異性は「勤勉さ」です。この勤勉さが、のちにサプライチェーン管理で実績を上げ、データに基づいて物事を最適化するティム・クックの能力に繋がりました。その片鱗は10歳の頃から発揮されていたんですね。
その後、高校に進学した時にはブラスバンドに所属したり課外活動にも積極的に参加。なかでも興味深い課外活動が「学校年鑑」の制作です。ティム・クックはこの学校年鑑の営業責任者として、地元の店が並ぶリストを見て、年鑑に広告を出した店や額を追跡。実際に営業をかけていきます。
アメリカの学校ではこのように生徒たちが自分で資金を集め年鑑などを残すことがよくあるそうです。当時の担任曰く、ティム・クックは期日通りに年鑑の広告費を集め切った唯一の生徒だったそうです。
IBMで花開いた才能
高校を卒業したティム・クックは、オーバーン大学の生産工学・システム工学部に入学します。
生産工学は、製造業が生産性を向上させる方法を模索していた20世紀の初頭から発展した学問だ。<中略>このプログラムで「あらゆることを考え、あらゆることを疑う」ことを学んだ。同級生たちの話によると、「なぜこのやり方でやってきたのか」を常に問えと教わったという。「そういうものだから」というありがちな答えは受け入れられず、過去の慣習ではどこが重要だったかを分析し、いまはどこを改善すべきかを突き止めるためにさらなる問いを行いなさいと、この学校は教えてくれた。
引用:After Steve
この大学での学びがのちのティム・クックの土台になります。ちなみに大学の同級生からは「誰よりも賢いわけでも、誰よりも有能なわけでもない、巻き毛の静かな男」と記憶されていましたが、全米の優秀生協会に入り、工学部学生諮問委員会の代表にも選ばれます。目立たないものの着実に成果を上げる。まさに仕事人って感じですね。
ティム・クックは大学卒業後、IBMに入社します。当時IBMはアップルが「無情なコンピューター帝国」と呼び、小説1984の悪役「ビッグブラザー」として広告に描かれるなど、官僚的巨大企業でした。
そこでティム・クックはPCの製造部品の確保を担います。材料が届かないと生産ラインの全てが止まる。一方で材料がありすぎると在庫コストがかさむ、バランス感が求められる仕事です。
ティム・クックは日本のジャスト・イン・タイム方式を取り入れ、小規模サプライヤーから低価格で部品を仕入れるなど、さまざまな改革を行いました。
順調に仕事をしていた中、上司が急に退職。彼はクリスマス商戦に向けた25万台万代の生産を任される重役を急に担います。それを見事やり遂げたティム・クックは31歳で北米担当部長に昇格し、北米の製造・流通管理を任されました。
ここで一気に知名度が上がった彼の元には、PC関連の上場企業からヘッドハンティングのオファーが相次ぐことになります。
転職した後も主にサプライチェーンの管理担当として、大幅なコスト削減や事業効率化に成功します。そしてついに、アップルからヘッドハンティングのオファーが届きました。スティーブ・ジョブズが復帰した直後、まだボロボロだったアップルからのオファーです。普通なら断って当たり前、というほどティム・クックは地位を上げていましたが、スティーブ・ジョブズと直接会ってアップルに転職することを決意。
ちなみにこのとき、ジョブズが怒り出すほど高額な報酬を提示。それを認めさせます。やるべき交渉はしっかりやる、というのがいかにも仕事人のティム・クックらしいエピソードです。
大人を泣かせる業務執行人
アップルに入社したティム・クックはもちろんサプライチェーンに関するオペレーション改善を担当します。彼が入社した頃、アップルには余った部品と大量の在庫が積み上がっていました。効率化を至上命題とするティム・クックが最も嫌う状況です。
オペレーションチームがプログラムの進捗状況を詳述する席で、クックは次から次へと質問を浴びせた。「なぜそうなんだ?いまのはどういう意味だ?」
「大人の男たちが泣いていました」クックの着任当時、オペレーションチームの責任者を代行していたジョー・オサリバンが言う。「呆れるくらい細かなところまで、彼は立ち入ってきたんです」
この会議はクックがこれからどのように指揮をとっていくかを方向づけた。彼は職場の雰囲気が一変するくらいスタッフを鞭打って正確な調査を行わせた。徹底的に、詳細に、神経が擦り切れるくらい、間違いを許さなかった。部下から提供されるあらゆる情報を吸収して記憶し、誰もの予想を上回るスピードで事業の状況を把握していった。
引用:After Steve
スティーブ・ジョブズはティム・クックに4ヶ月かけて業務状況を把握させようと考えていたそうですが、4、5日で把握し切ってしまったそうです。
ティム・クックが「今日は何台生産した?」と聞くとスタッフは「1万台です」と答えます。するとクックはさらに「イールド(品質検査に合格した割合)は?」と聞くと、スタッフが「98%です」と答える。これで終わりかと思うと、クックはさらに「その2%が検査に合格しなかった理由は?」と突っ込んできます。
大学で学んだ生産工学に裏付けられたティム・クックの姿勢はオペレーションチームに染み渡り、スタッフは部品の性能や組み立てラインの生産実績を調べ上げ、クックが質問してきそうな詳細の全てに答えられるよう準備するようになります。
製造業は一般的に、在庫回転率が上がるほど廃棄コストを削減できます。当時のアップルの回転率はティム・クックの活躍もあり年間8回から25回に増え、PC業界ではデルに次ぐ2位になりました。
それをスタッフが説明した後、ティム・クックは彼らに「どうすれば年間の回転率を100回にできる?」と聞きます。すでに3倍以上に改善したものを、さらに5倍も改善しろと言うのですから無茶な要望に思えますが、オペレーションチームのスタッフはティム・クックがそう質問してくることを予測していました。そしてさらなる改良計画を得意げに説明します。
するとクックは「どうすれば1000回にできる?」と聞いてきました。さすがにそれは予測していなかったですし、常識的に考えられない数字でした。ですが数年でその目標を達成し、のちの業界スタンダードとなる在庫管理方法などを編み出していきました。
ジョブズとは全く違いますが、凄まじいリーダーシップですね。ちなみにティム・クックのエピソードは「倹約」がメインに見えますが、そのための投資は惜しみません。例えば業務を効率化するための100万円ほどの機械を3台買いたいと提案された時、その要望を却下して14台も導入。それにより生産能力を2倍にしました。ただの倹約家ではないということです。
他に選択肢がない唯一のCEOへ
ティム・クックはサプライチェーンの管理という一見つまらない仕事でありながら、次々と不可能を可能にしていきます。
例えばデザインチームが提案したデザインが、それまでの常識では実現不可能な仕様だった時、ティム・クックはそれまでの商習慣を破る大胆な契約を行いました。一台100万ドルもする機会を、1万台まとめて購入したり、今後3年間で製造された全ての機械を購入するなど、大型で大胆な契約です。それにより請け負う会社も安心して新技術の開発に取り組むことができます。既存のものを組み合わせるのではなく、この世に存在しないものを生み出すアップルの製品を現実のものにするには、ティム・クックの交渉力が不可欠でした。
iPhone誕生の時も、ティム・クックは裏方として活躍しました。2007年にスティーブ・ジョブズがiPhoneをお披露目した際、サンプル品の画面はプラスチックでした。そのプラスチックの画面はポケットで鍵などにぶつかるとすぐに傷がついてしまいます。発売日は6ヶ月先でしたが、スティーブ・ジョブズはなんとしてもガラス製に変えるよう命令しました。
しかしすでにあるガラスは全てテストし、落とした時に割れるため採用しませんでした。技術者は、ジョブズが求めるガラスを作るには3、4年かかると言ったそうです。それでもジョブズは「方法はともかく、出荷する時にはガラスだ」と譲りません。ジョブズの無茶振りエピソードはいろいろありますが、販売日が決まった時点でこれは地獄ですね。
その無茶振りに対応すべくティム・クックはガラスメーカーのコーニングと協議し、今や有名になった強化ガラス「ゴリラ・ガラス」の導入を決定。半年で大量生産するために工場を訪れ、実現させてしまいました。
そしてその頃にはすでに癌に侵されていたジョブズから、CEOを譲り受けます。
2011年8月11日、ジョブズはクックを自宅へ呼び出した。そして、自分は会長に退き、クックをCEOにするつもりだと伝えた。二人はそれが意味するところを話し合った。「きみがすべての決断を下すんだ」と、ジョブズは言った。
<中略>
ジョブズは次のように言った。ウォルト・ディズニーで何があったか、共同創業者のウォルトが亡くなってから、いかにディズニーが麻痺してしまったかを研究してきた。みんながこう言ったんだ。ウォルトだったらどうするだろう?ウォルトだったらどんな決断をするだろう?
「絶対にそんなことをしてはならない」ジョブズは言った。「ひたすら正しいことをしろ」
引用:After Steve
ジョブズの顧問だった一人は「CEOを引き受けられるのはクックの他にいない。アップルの価値の半分以上はサプライチェーンにある」と語っています。他にもたくさんの天才がいましたが、ジョブズの後を継ぐ、そしてアップルという巨大企業を率いる。その2つを達成できる人はティム・クックしかいなかったんです。
もっといけないか?
ティム・クックがCEOになって数年後、アップルはヘッドフォンメーカーのビーツを買収します。すでにiTuneで音楽産業でも成功を収めたアップルですが、iTuneが生み出した音楽のデジタル販売は、Spotifyなどのストリーミングに圧されていました。当時社内では独自の音楽配信サービスを生み出そうとする勢力が優勢で、アップルの核心であるクリエイティブ分野に他の企業を入れてうまくいくのか、不安を抱かれていました。
しかし、ティム・クックはビーツの買収を推し進めます。その後誕生したApple Musicのデザインは、元ビーツのデザイナーが提案したものが採用されました。スティーブ・ジョブズというクリエイティブ指揮者がいなくても、元ビーツとアップルのチームが競い合うことで、より良いサービスが誕生したのです。
しかしその事業計画でも、これまで何度も発揮されてきたクック節が炸裂します。Apple Musicの事業計画では、元ビーツのスタッフが中心となって、1000万人の加入者の獲得を目標としてプレゼンしました。元々ビーツが行っていたビーツミュージックの加入者が10万人なので、その100倍に相当する野心的な目標です。
しかしその計画を聞いたティム・クックは「それはけっこうだが、もっといけないか?」と言いました。そしてチームは元々野心的だった目標の2倍、2000万人という目標を打ち出しました。
そして実際に6ヶ月で1000万人を突破しました。これはSpotifyが6年かけて達成した数字です。2000万人という目標も1年以内に達成してしまいました。以前「ピープルビジネス」でリーダーとマネージャーの違いを紹介しましたが、ティム・クックは優れたマネージャーであると同時に、高い目標でスタッフを鼓舞するリーダーでもあるんです。
犯罪とセキュリティ
ここまでティム・クックの功績を中心に見てきたので、順風満帆に成果をあげているように見えますが、本書ではさまざまな問題にぶつかった時のエピソードも紹介されています。1年以内に野心的な目標を達成し大成功をおさめたApple Musicも、リリース前にテイラー・スウィフトとアーティストへの還元率の話で揉めたこともありました。
そうしたエピソードも面白く、ティム・クック以外のスタッフの活躍も多く書かれていますが、今回はティム・クックを苦しめたある犯罪事件とFBIの要請について紹介したいと思います。
2015年12月、ある会合で銃乱射事件が発生しました。14人が命を落とし、逮捕の過程で容疑者も死亡した事件です。
その捜査の焦点は、容疑者のiPhoneにありました。iPhoneのロックを解除し、中身を見れば、犯人の動機や過激派組織とのつながりなどを明らかにできるからです。当然、捜査にあたったFBIはアップルにロックの解除や情報へのアクセス権を要請しました。
社の方針として、アップルがスマートフォンのロックを解除することはない。
この方針には賛否両論あった。このモバイル装置が医療情報や通信情報など機密データの拠点になるにつれ、エンジニアはハッカーからユーザーを守るためにセキュリティと暗号化を強化していた。いっぽう、捜査当局は事件解決と人命救助に役立つ細かな情報があるかもしれないから、スマートフォンにアクセスしたい。ユーザーを守りたいアップルと地域社会を守りたいFBIの利害は対立を深めていた。
引用:After Steve
想像以上に深い問題です。iPhoneにユーザー以外が操作できるバックドアを設けて、もしそれが流出したり悪用されたらアップルが築き上げた信頼は失墜。しかし現実に人の命が奪われた事件の糸口が、ロックされたiPhoneの中にあるのです。
これは単一の事件の問題ではありません。そもそもアメリカ政府は勢いを増すハイテク企業に規制をかけたいと考え、さまざまな法整備も進めていました。
しかしアップルは競合するAndroid OSよりセキュリティが高く安全であることも打ち出していました。だからこそユーザーはiPhoneに医療情報や写真、財務データ、さらには決済手段まで入れているのです。
政府に屈するという選択肢はない。クックはサンバーナーディーノ(銃乱射事件)事件のずっと以前から、裁判所命令と戦う覚悟を決めていた。iPhoneのセキュリティを強化しながら、誰かが誘拐されて被害者を救出するには誘拐犯のiPhoneにアクセスするしかないと法務執行機関が言ってきた場合にアップルはどうすべきか、仮定のシナリオを立てて法務チームと検討を重ねてきた。クックがシナリオをあらゆる角度から精査し、「ここは考えたか?」と質問を投げた。最終的に、「バックドア」を設けずアップルの全顧客を守ることが、ひとつの犯罪を解決するより大事、という判断に至った。
引用:After Steve
非情な選択のように思えますが、全世界で10億人以上が使うiPhoneにおいては唯一の選択と言えます。FBIの要請に答えるということは、アップルがその気になればいつでも個人のプライバシーを閲覧できる状況を作れ、ということです。そのシステムが完成し、万が一流出すれば、10億台のiPhoneが無防備な状態になります。
非常にセンシティブな問題なので、ティム・クックは自分のオフィスでインタビューに答えることにしました。ティム・クックがオフィスでのインタビューを許可したのは、これが初めてです。
「アップルは今回の事件でFBIに全面的に協力してきました」と彼は続けた。「彼らは私たちのところへ来て、例のスマートフォンについて私たちが持つすべての情報を求め、私たちは持てる情報をすべて提供した。それだけでなく、自発的にエンジニアを派遣して協力し、今回の事件についてさらに情報を得るための方法をいろいろと提案しました。しかし、これは1台のスマートフォンに関わる事例ではありません。未来に関わる事例なのです。ここで問題になっていること、それは、世界中の何億人ものお客様を無防備状態にするソフトウェアを作るよう、政府はアップルに強制できるのかという問題です」
引用:After Steve
最終的にFBIは他の方法で問題のiPhoneにアクセスでき、今回の事件ではアップル側の主張が通る形で終わりました。しかしこの辺のコミュニケーション力はさすがです。本書ではティム・クックの他の言葉もいろいろと載っていますが、被害者への追悼と企業としての責任、アップルの信念が絶妙なバランスで伝えられています。もしこの時のCEOがティム・クックではなく、スティーブ・ジョブズだったら一体どうなっていたんでしょうか?
破天荒なアメリカ大統領との付き合い
アップルを襲った次の試練は、トランプ政権の誕生でした。「アメリカを再び偉大に」というメッセージで大統領に当選したトランプは、製造の大部分を中国に依存し、アメリカ人を十分に雇用していないアップルに目をつけます。
スティーブ・ジョブズは政治と距離をとりたがりましたが、ティム・クックは違います。なにより、政治を無視するにはアップルは大きくなりすぎました。しかしここでアップルにとって大問題となる大統領令が下ります。それは移民を禁止するというもの。全米で抗議デモが発生し議論が巻き起こりましたが、アップルにとっては特に問題でした。
創業者のスティーブ・ジョブズはシリア移民の息子で、もし当時この大統領令があればジョブズは生まれておらず、アップルも存在しなかったからです。
ティム・クックはこの問題に対処すべく、トランプ大統領と会うことにします。しかし正面から戦えば、トランプ大統領は中国で製造された部品に多額の関税をかけたり、アップルの根幹であるiPhoneの製造に悪影響が及ぶ可能性があります。ティム・クックは、トランプ大統領に移民問題で抗議しながら、かつ製造面ではアップルが敵視されないよう、微妙な立ち位置を取る必要があったのです。
討論が終わったとき、クックはトランプにそっと近づき、「移民政策にもっと心を砕いていただけるよう願っています」と伝え、そそくさと退場した。早口だったため、ほとんどトランプには伝わらなかった。だが、この短いやり取りはすぐアクシオス(政治メディア)に漏らされ、同サイトは「ティム・クック、トランプに『移民問題にもっと心を砕け』」という見出しで、このやりとりを対立の構図に仕立てた。
ホワイトハウスのスタッフはクックの工作に驚嘆した。会に出席して大統領の右に座り、大統領の面子を立てた。そのうえで、ほかの誰にも聞かれないようそっとではあったが、移民問題でトランプに苦言を呈したことを巧みに漏らし、クパティーノ(アップル本社がある場所)のスタッフへの面目も保った。
引用:After Steve
絶妙な政治的やりとりで局面を乗り越えたティム・クックは、次にiPhoneのサプライチェーンを守るべく動きます。トランプ大統領はアメリカの労働力を使わず海外で生産し、ノウハウが流れたり、税金を逃れたりすることに否定的でした。しかし現実として、iPhoneの製造の大半は中国が担っています。
そこでティム・クックは、もともと存在していた支出計画の名目を「アメリカの雇用を創出するため」と変更し、トランプ大統領に直接伝えました。もともとあった計画なので、トランプ大統領に望まれて行ったわけではありませんが、名目だけ変更してプレスリリースを出したのです。
国内では顧客サポート用キャンパスとデータセンターの新設など、およそ300億ドルを投じて工事を開始する予定だった。これにプラス、国内のサプライヤーのために年間550億ドルほどを使い、国内で年間5000人ほどの新規雇用を行う。つまり、税制改革を機に、今後5年間でアメリカ経済に3500億ドルの直接投資をし、2万人の新規雇用を創出するという主張が可能になる。トランプが大好きな類いの、大きくてシンプルな数字だ。
<中略>
金額のおよそ8割は税制改革の有無にかかわらず継続的な事業の一環として行われたはずのものだったが、報道発表はその点に触れなかった。トランプにとって細かな話はどうでもいい。きっちり計算したりはしないだろう。
トランプは一般教書演説で、アメリカ第一主義政策が順調な証拠としてアップルの3500億ドルの貢献を挙げた。
引用:After Steve
トランプ元大統領の性格を熟知した巧みな戦略ですね。これもおそらくスティーブ・ジョブズにはできない、ティム・クック流の経営でしょう。結果、トランプ元大統領とティム・クックの関係は、他のCEOと比べてかなり良好だったそうです。そしてその年の四半期決算で、アップルは過去最高益を記録しました。
ロボットのような業務執行人の実力
ということで今回は「After Steve-3兆ドル企業を支えた不揃いの林檎たち」に登場する二人の主人公の片方、ティム・クックのエピソードを紹介しました。
本書を読むと、なぜスティーブ・ジョブズが自分の後継者としてティム・クックを指名したのかよくわかります。もしジョブズが健康だったとしても、どこかの段階でティム・クックにCEOを譲るのは必然だったと思います。後半のエピソードにあるような社会的・政治的な仕事は、おそらくジョブズだと全く違う結末になっていたと思います。
ティム・クックは間違いなく、アップルを世界一の企業へと成長させた一流の経営者です。しかし本書ではロボットのような、冷徹でクリエイティブへの理解がない「業務執行人(オペレーター)」のように描かれています。
もちろんティム・クックがそういうタイプの経営者であることは間違いないでしょう。もう一人の主人公、ジョナサン・アイブが燃え尽き、アップルを去ることになったのも、ティム・クックの業務執行人としての経営が要因の一つでしょう。
本書の裏には「10億人のポケットにiPhoneを滑り込ませた陰で、アップルは何を失ったのか」と書かれています。ティム・クックの下、アップルが失ったのはジョナサン・アイブをはじめとするクリエイター、ジョブズが築き上げたクリエイティブな文化です。
ということで、次回は本書のもう一人の主人公、ティム・クックCEOの元アップルが失った天才デザイナー、ジョナサン・アイブのエピソードを取り上げたいと思います。
この記事を書いた人
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かれこれ5年以上、変えることなく維持しているマッシュヘア。
座右の銘は倦むことなかれ。
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