The Number Bias|全員が数字に騙される~数字のウソを見破る方法

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こんにちは。夫です。

今日はまたまた良い本に出会いました。その名も「The Number Bias 数字を見たときにぜひ考えてほしいこと」です。僕は数字や統計関係の本が好きなのですが、この本はその中でもピカイチ。目を開かれるとはまさにこのことです。

世界で最も使われている言語は中国語でも英語でもなく数字。そして、世界を動かしているのも数字です。

日々の生活、ニュース、仕事、どんなシーンでも数字を一切考慮せず考えたり、行動したりすることはないはずです。

なぜ僕たちは去年からマスクをつけて出歩くようになったのか?それは新型コロナウイルスの感染者が何人で、感染力がこれくらいで、重症化率や死亡率がこれくらいで、病床の使用率がこれくらいで…という無数の数字をもとに判断したからですよね。
なぜ、結構重い副反応があるワクチンをわざわざ有給を取ってまで打ちに行ったのかというと、ワクチンの有効性や予防効果がどれくらい、という数字が明確にあったからですよね。

そして今使っているパソコンやスマートフォン、これは全て数字によって動いています。「0」と「1」の無数の組み合わせとアルゴリズムによって、文字や画像が表示されているわけです。

本書「The Number Bias 数字を見たときにぜひ考えてほしいこと」の著者はジャーナリストとしてさまざまな数字と向き合ってきました。各国のGDPや幸福度、無数の経済指標や研究データなどです。

そしてその経験の中で「この世界は、ウソの数字にあふれている」ことに気がつきました。

まるで私たち人類は、数字によって集団催眠にかかってしまったかのようだ。言葉であれば、それが発せられた瞬間から重箱の隅をつつくように粗探しをするのに、相手が数字となると、ただ数字というだけでほぼ無条件に信じてしまっている
ジャーナリストになって数年がたった頃、私は数学の影響力があまりにも多すぎると感じるようになった。私たちの人生は、ほぼ数字に左右されてしまっている。数字の間違った使われ方を、このまま放置するわけにはいかない。
<中略>
私たち「数字の消費者」は、あまりにも簡単に数字に影響され、だまされる。

本当にその通りですね。「日本のGDPは20年以上横ばいが続いている」と言われたら、日本は成長していないんだなーと感じてしまいます。GDPの本当の意味も、横ばいになっている要因も知らず、GDPが横ばいだという数字、グラフを見せられただけでそう感じてしまうんです…

本書は現代を生きる人の必読書。数字は古くからありましたが、今ほど数字が世の中を動かす時代は初めてです。今後、ビッグデータやアルゴリズム、AIが進化することで、ますます数字が世界を動かすようになるでしょう。

筆者が言うように、僕たち数字の消費者は、簡単に数字を信じ、影響され、ときには騙されてしまいます。

数字は無条件に真実を伝えるものではなく、あくまでも意図を伝えるもの。これから数字を見たとき、グラフや表を見た時はぜひ今回の内容を思い出してください。必ずその数字の裏にある制作者の意図が見えてくるはずです。

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数字に潜む5つの主観

本書では第1章で数字の歴史や数字が持つ力を紹介していますが、それは省きます。数字がどんな効果を持っているのかなんて、現代を生きる僕たちからしたらあえて言われるまでもありません。客観的で、事実を正確に把握できて、比較したりグラフにしたりすることで全体を把握しやすくする。数字は人類最大の発明です。

数字が歴史を動かした事実はたくさんあります。身近な例で言うと知能指数(IQ)がそうです。人間の知能という包括的な概念を1つの数字で表そうとした壮大な試みです。

しかし、IQは現在まで続く人種差別の要因の一つになりました。IQを測ったところ、国や人種によって大きな差が出たんです。この数字は世論を動かし、「平均的なアメリカの黒人や白人よりIQが低く、IQが低い女性は子どもを産まないほうがいい」という趣旨の本まで出版されたそうです。

今だったらあり得ないことですが、当時は人種や地域によって知能が違うことが当たり前と考えられ、それが政治や世論にまで影響していたんです…

確かに数字だけを見ると、黒人は白人よりIQが低いことは明らかです。

これは人種別のIQ分布を示したものですが、白人(White)と黒人(Black)でかなり違いがあることがわかります。今もこうしたデータを持ち出す白人至上主義の人がいるそうです。

しかしこれについてはいくつもの問題があります。本書で挙げられているのは次の4つでした。

  • 平均のワナ
  • 試験方法
  • 分類方法
  • IQは何を測っているのか?

まずは人種別の平均IQを出している点です。平均はかなり誤解を生みやすいデータだということを知っているかもしれません。たとえば、金融広報中央委員会が令和元年に行った「家計の金融行動に関する世論調査によると、20歳代単身世帯の金融資産額の平均は106万円です。

みんなすごい貯めている印象ですよね。僕はまだ20代ですが、結婚前は106万円もありませんでしたし、そんなに持っている友人もいませんでした。僕の周りが特別貧乏なんでしょうか…?

この調査では平均の他に中央値も出されています。中央値というのはデータの中央の値です。100人の貯金を調べた時、ちょうど真ん中50番目の人の貯金が中央値ということですね。

平均で106万円なので、ちょうど真ん中の人はそれくらい持っているように思えますが、この調査で発表された中央値はたった5万円でした。
20代単身世帯の平均金融資産額は106万円なのに、中央値、つまり一番真ん中にいる人の資産額は5万円なんです。

つまり、一部の富裕層が平均を引き上げているだけで、20代単身世帯の半分は5万円以下の資産しかないということです。

平均の話で、バスの乗客にビル・ゲイツが乗り込んだら、その乗客の平均資産額はとんでもないことになる、という冗談もあります。外れ値が少しあるだけで実態から大きく離れてしまう。これが平均のワナです。

次は試験方法。このテストはかなりずさんな方法で行われていることがわかりました。アメリカに移り住んだばかりで満足に英語が話せない、英語の読み書きができない人もいましたが、そうした人にも英語でテストを受けさせていたんです。

そして最後に分類方法です。そもそも人種を明確に分ける定義は存在しません。国や時代によって人種の分け方は大きく異なります。ヨーロッパ人以外は全員黒人という認識が当たり前だった国や時代も存在していました。アメリカの国税調査でも数百万人が2000年と2010年とで違う人種を申告しています。

そして最後に、そもそもIQとは何かという問題があります。IQが低いということは知能が低いことと本当にイコールでしょうか?
もしそうならそのテストが英語で行われていたら、英語が読めるかどうかが知能を分けることになります。母国語であれば素晴らしい演説ができる人でも、英語が読めなければ知能が低いのでしょうか?そんなことはないですね。

また、IQテストが測ろうとする知能は、試験を行う側にとっての知能です。IQテストではサイコロの分解図を正しく組み立てる問題や、複数のものをグループ分けしたりする問題が出ます。でも日常生活においては、サイコロの分解図を組み立てられる人よりも、冷蔵庫の中身を記憶して最適な献立を見つけ出す人のほうが生活に役立つ知能を持っていると言えるはずです。

つまり、アメリカの文化、習慣、常識などをもとに作られたIQテストが、アジア人やアフリカ人にとっても意味のあるIQテストだとは限らないんです。

IQという明確な数字にも当てにならない要素がたくさんあることがわかりましたね。数字は必ず作った人間の意図や主観、思い込み、目的が入り込んでしまいます。ここからは「数字に入り込む5つの主観」を見ていきましょう。

ないものを計測している

数字は文字通り数を数え計算するためのものですが、世の中には数字で表せられないものを数字にしようという試みがたくさんあります。
先ほどあげたIQは人間の知能という包括的な概念を1つの数字にする試みでした。他にも、国の経済力を数字で表そうとするGDP、企業の価値を数字で表そうとする株価、国民の幸福度を数字で表そうとする​​幸福度ランキングのスコアなど、物質的価値を1つの基準で統一しようとする価格、これらは全て数字として表せないものを、数字として計測しているものです。

ものの価値を価格という数字で表すことに慣れてしまいましたが、めちゃめちゃ牛肉が好きな人にとっての牛肉と、ベジタリアンにとっての牛肉は全然価値が違いますよね。でも、ベジタリアンには牛肉が安く売られるなんてことはありません。価格は価値を表しているわけではなく、なんとか数字で表現しようという試みでしかないんです。

硬貨や紙幣は、それ自体には何の価値もない。
<中略>
お金に価値があるのは、お金を使う全員が「お金には価値がある」と言うことで合意しているからだ。
<中略>
このような合意があるおかげで、人類は狩猟採集の時代よりはるかに大きな規模で協力できるようになった。お金以外にも、国民国家、人権、宗教などは、すべて人間が想像した架空の存在であり、参加者すべてが「それは存在する」という合意を守ることで成立している。

ここで危険なのは、参加者である私たちが、それらを客観的な概念だと勘違いすることだ。豊かさや教育レベルといった概念は架空の存在であることを忘れ、確固とした事実と思い込む。
<中略>
人間は自分の頭で何かを考えると、それが自分で考えたものであるということを忘れ、最初から実態として存在していたと勘違いしてしまうのだ。

つまり、国の経済力という測りようがないものについて「GDP」という数字を作り出し、「GDPが国の経済力だ」という共通認識ができてしまうと、人はGDPそのものが国の経済力だと勘違いしてしまうということです。GDPという数字ができるずっと昔から、国の経済力という概念は存在していたので、GDP=国の経済力というのはおかしな話です。

これは数字が持つ暴力的なまでの客観性ですね…数字は客観的で、誰が見ても1は1で2は2です。1+1は100回計算し直しても2にしかなりません。この場合、数字に解釈の余地は全くありません。そして僕たちは無意識に、人がないものを測るために作った指標までも、そうした客観性のある、解釈の余地がないものだと思ってしまうんです。

実際、GDPはかなり主観的、恣意的に作られた指標です。GDPという指標は、第二次世界大戦前のアメリカで不況に苦しむ中で生まれました。アメリカは、国の経済力を測る方法を見つけるよう学者に依頼しました。依頼された学者は、シンプルに家計と企業の収入を合計する方法を提案しました。
そしてこの方法でアメリカの経済を測ると、国民の実感通り歴史的な大不況に陥っていることがわかったんです。

でもこれにはアメリカ政府にとって大きな問題があります。そう、政府の支出が含まれていなかったんです。世界中が戦争に向かう中、アメリカ政府としてはなんとか軍事費を増やしたいと思っていましたが、歴史的な大不況になる中、国民経済を差し置いて軍事費にお金を使うわけにもいきません。

そこで考案されたのがGDPという考え方です。これは国内で生産されたすべての財とサービスの合計なので、政府支出も含まれます。つまり、軍事費を投じれば投じるほど、GDPという経済指標が良くなるんです。

依頼された学者は軍事費まで経済力を測る指標に入れることに反対しましたが、最終的にはGDPが採用されました。これでアメリカ政府は”経済を良くする”という大義名分のもと、軍事費を増やすことができたのです。

GDPは日々ニュースでも見かけますし、政治や経済、金融を動かす重要な数字です。でもその数字は、軍事費を正当化するために作られた、100年程度の歴史しかない”数字のようなもの”でしかないんです。そもそもの成り立ちから、国の経済力を正確に測るために作られたものでさえないんです…

主観が否応なく混ざる

ないものを計測しようとする時、必ず何かの基準を作る必要があります。GDPには何を含めるべきか、IQとは何ができる能力なのか、といった基準です。そしてこの基準は、否応なく基準を作る人の主観が入ります。

GDPは軍事費を正当化するために、国民の収入ではなく、生み出された財とサービスの合計という基準に置き換えられましたよね。これも国の経済力はこういう基準であるべきだ、その方が都合がいいという主観によるものです。

多くの政府にとっては、経済成長、すなわちGDPの数字が増えることが至高の善だ。しかしそれらの政府は、GDPを絶対視することで、主観的な価値判断をしている。GDPに含まれるものは、何であれいいものだとなってしまうからだ。
しかし実際は、GDPの数字を上げるものが、必ずしも国民にとっていいものとはかぎらない
たとえば、有害物質を撒き散らす産業もGDPの数字に貢献するが、環境を破壊する側面もある。また、犯罪が多発する社会は安全といえないが、そのおかげで防犯カメラや頑丈な鍵が売れるのであれば、経済成長に貢献していることになる。

IQテストも時代によって基準が変わります。最近は抽象的思考が重視されるそうですが、そもそも抽象的思考という定義が曖昧ですし、抽象的思考力を知能の高さと考えるのも、今の時代の主観です。

数えられるものだけで考える

またGDPの話になりますが、GDPは生み出した財とサービスの合計を、お金に換算したものです。つまり、お金に換算できないものはGDPに含まれません。
当然、料理人が仕事として料理をすればGDPになりますが、家族仲良くキッチンでご飯を作った場合、GDPになるのは材料費と水道、ガス代くらいです。つまり、GDPの観点から見れば家族で楽しくご飯を食べるより、家族全員が別々にレストランに行った方が良いということになるんです。

アインシュタインはオフィスの壁に「大切なものすべてが数えられるわけではなく、数えられるものの全てが大切なわけではない」と書いていたそうですが、本当にその通りですね。GDPにはなりませんが、家族と過ごす時間は国民の豊かさに直結しているはずです。

また、本来は数字として存在しないものに無理やり基準を作り、数字で測ろうとすることによって「数字が良ければいい」と考えてしまうことも問題になります。

極論、日本のGDPを上げたいなら日本中の高速道路を爆破してもう一度建設すればいいんです。以前より豊かになった人も便利になった人もいませんが、GDPはかなり押し上げられます。

イギリスは昔、医療の質を上げるために「救急外来は4時間以内に診察しなければならない」というルールを作ったことがあります。救急外来で来た患者を長時間放置するわけにもいかないので、まともなルールに見えますよね。
でも、このルールができてから、救急車の中で放置される患者が急増してしまったんです。

病院に来られたら4時間以内に診察しなければならない。でも今は手が空いていない。だった手が空くまで病院の外、救急車の中で待機してもらおう、と考えたわけです。

数字は改善されましたが、医療の質が向上したかというと、全く正反対のことが起こりました。救急車の中で放置するくらいなら、1秒でも早く手術室に入れるよう病院内で待機しておいた方が良いでしょう。
医療の質も本来、数字で測ることはできません。少なくともたった一つの基準となる数字を満たせば医療の質が上がったといえるようなものは存在しないはずです。

たった一つの数字で語られる

世界初のIQテストを考案した学者は「IQテストのスコアを知能を計測する道具として使うべきではない」と言ったそうです。なぜなら、人の知能はたった一つの数字で表せるものではないからです。

しかし残念なことに、IQは知能を計測する道具として広がってしまいました。その理由は単純に「わかりやすいから」です。
知恵、知識、発想力、人間関係力、コミュニケーション力、人柄、道徳性など無数の要素を並べるより、IQというたった一つの指標で表した方がわかりやすいんです。

経済や知能といった複雑な存在を一つの数字で表すには、必ず何かの要素を除外することになります。
IQならテストで測れないタイプの能力です。例えば、その人が人生経験から得た知識は、一般的なテストで測れるものではありませんよね。GDPの場合は、お金に換算できない全てのものが除外されています。家族の絆や地域の助け合いなどはGDPに一切含まれていません。

(より経済の実態を示しているであろうさまざまな数字は)新聞に取り上げられることはめったにない。数字が1つだからわかりやすいのであって、数字がいくつもあったら却って分かりにくくなってしまうからだ。現実をできる限り忠実に反映しようとしたら、「もし」や「しかし」といった条件がずらりと並ぶことになるだろう。

例えば、貧困を計測する数字は、貧困をどう定義するかによって大きく変わります。1日◯ドル以下で生活する人を貧困と表現することもありますが、もしその人が多くの人に助けられ、満足できる生活を送っているなら貧困とは言えないでしょう。
国連食糧農業機関による貧困の定義は、十分なカロリーを摂取できているかどうかです。しかし、十分なカロリーは人によって、仕事によって違います。

実際、世界の飢餓率が増えているというデータと、減っているというデータの両方が存在するそうです。その違いはもちろん、何を貧困と定義するかによる違いですね。そのどちらを見るかによって、世界の捉え方や政府の施策、個々人の行動は変わるわけです。特定の数字や基準だけで、実態を知ることはできません。

給付金など政府の施策で「このルールだと受け取るべきなのに受け取れない人が出る!」などといった批判がありますが、仕方ない面もあります。百人いれば百通りの生活があるのに、特定のルールで分類できると考えることが間違いなんです。

出てほしい結果に寄せる

ここまで見てきたように、多くの数字は唯一絶対の真理を表すものではありません。誰かの思惑や目的があって数字が作られ、誰かの価値観や概念によって基準を決められ、時として実態を表さない指標として世の中に出てしまいます。

GDPは軍事費を正当化したいという目的のために、軍事費が国の経済力に直結するように見せる集計方法を採用しました。
IQテストの結果は、その背景にあるさまざまな要因を無視して、人の知能を測る指標に使われ、人種差別などの原因になりました。
貧困を救うために活動する団体の多くは、世界の貧困が悪化しているように見える方法でデータを集めるでしょう。貧困がなくなったら自分達の役割がなくなるからです。

本書に書かれている印象的な一文に「事実は複数存在する」というものがあります。貧困が減っている、増えているというデータのように、一つのことを表す矛盾する数字があったとしても、それは両方成り立つんです。

この章を通して見てきたように、知能のような抽象的な概念を標準化する時、そこには必ず研究者の主観的な判断が介在する。こう書くと数字には何の意味もないのかと思うかもしれないが、そんなことはない。数字には、数字がなければ見えなかったような隠れたパターンを明らかにする力がある。
しかし、数字に間違った期待を持つのは危険であり、数字はいつでも客観的だと信じ込まないように注意しなければならない。

ここまで、数字は客観的な事実ではなく、主観的な意見を表現している5つの理由を見てきました。数字というだけで事実だと思ってしまいますが、世の中の多くの数字は人間が意図的に作り出したものだということはちゃんと認識しておきたいですね。

数字が嘘をつく3つの相関関係

「コウノトリが赤ちゃんを運んでくる」という言葉を聞いたことがありますよね。実はこれ、荒唐無稽なお伽噺ではなく、ちゃんと数字による裏付けがあったんです。実はコウノトリの巣が多い家には赤ちゃんがたくさん生まれるという統計的なデータがあるんです!

当然、コウノトリは赤ちゃんを運んできません。でもコウノトリと赤ちゃんの数には相関関係があります。
種明かしをするとシンプルで、大きな家には煙突が多くあり、コウノトリは煙突に巣を作ります。大きな家を持つ裕福な家庭ほど、多くの子どもが生まれるのはある意味当然かもしれません。

つまり、コウノトリと赤ちゃんの数には統計的な相関関係はあるけれど、コウノトリがいるから赤ちゃんが多くなるのではなく、赤ちゃんがたくさん生まれるような大きな家にはコウノトリが巣を作る。因果関係が逆なんです。

時として全く関係ない数字が因果関係のない相関関係によって、もっともらしく語られてしまいます。ここからは相関関係のある数字を見た時に考えるべき、3つのウソを紹介します。

ちなみに、イギリスの20の大学が発表した医学と健康科学の研究では、研究結果の33%で因果関係が誇張され、その研究を取り上げられたニュースの80%が誇張されたまま伝えていたそうです。

僕たちが日々ニュースを見る時にも意識しておくべきということですね。

ただの偶然

世の中にはよくよく調べると矛盾する健康医学に溢れています。例えば、ワインには癌を予防するという研究と、癌の原因になるという研究の両方が存在します。

なぜそんなことが起こるのか。本書では「出版バイアス」「公表バイアス」という言葉で説明されています。研究の現場では有意な相関を見つけることが正義。相関しないというデータは論文になりにくいという現実があります。
そのため、ただの偶然で相関がみられたとしても、それが論文として発表されてしまうことがあるのです。

ある研究で被験者を2グループに分け、片方に毎日赤ワインを飲んでもらい、もう片方には別のものを飲ませる。10年後、赤ワインを飲んでいたグループの方が癌になっている人が少なければ、赤ワインには癌を予防する効果があると発表されるわけです。しかし本当の因果関係はわかりません。赤ワインを飲まなかった人には喫煙者が多かったのかもしれませんし、赤ワインの代わりに飲んだものが癌の原因になっているかもしれないからです。

本書では、偶然の一致があたかも因果関係があるかのように発表されたいろいろな事例が紹介されていますが、重要なことは、データをあらゆる方法で切り分ければ、どこかで必ず意味のある相関が見つかってしまうということです。

大事なことが欠けている

「喫煙者は学校の成績が悪い」という研究データがあります。つまり、タバコには知能を低下させる物質が含まれているのでしょうか?タバコをやめさせたら成績が上がるのでしょうか?
いえ、このデータからでは何とも言えません。喫煙する人は学校をサボりがちなのかもしれません。社交的で遊び回っているから勉強する時間がないのかもしれません。

つまり、たとえ数字に有意な相関関係があったとしても、そこに直接原因があるとは限らないということです。学校の成績が悪くなる原因は複数考えられ、それらが重なり合っているはずなのに、たった一つの数字(喫煙率など)が原因だと決めつけてはいけないということです。

こうした例はいろいろあります。例えば、過去に行われた乳がん治療の研究でも同じ過ちがありました。膨大な乳がん患者のデータを調べたところ、乳房温存手術を選んだ患者は、乳房切除手術を選んだ患者より長生きする傾向にあったんです。

乳房温存手術では放射線治療が用いられるため、リスクが高いと考えられていました。にも関わらず、乳房切除手術を選んだ患者より長生きしていたんです。乳房を切除するより、放射線治療を選んだ方が良かったのでしょうか?

これも原因と結果の因果関係を無視した相関関係です。患者の健康状態が悪い(他の病気も併発しているなど)場合、過酷でリスクが高い放射線治療は選ばれにくいんです。
つまり、もともと健康だった人が放射線治療を選び、健康状態が悪い人は乳房切除手術を選ぶ傾向にあるから、放射線治療を行った患者の方が長生きだったんです。

でもこうしたことを知らず「放射線治療の方が長生きしている人が多い」と言われたら、放射線治療を選んでしまいそうですよね…大事な要素を省いた相関関係には注意したいです。

原因と結果が逆

雨が降っていると傘を差している人が多い。つまり、雨と傘を差す人には相関関係があります。では、傘を差す人が多いと雨が降るのでしょうか?そんなわけないですよね。雨と傘の因果関係は、雨が原因で傘が結果で、その逆ではありません。

でも、世の中の因果関係の多くはこんなにはっきりしているわけではありません。

例えば、お金持ちは株や不動産で資産を築いているというデータがあります。でも、株や不動産を持っているからお金持ちになれたのか、お金持ちになったから株や不動産を持っているのか、どちらが原因でどちらが結果なのかは一概に言えません。

街でランニングしている人を見ると、太った人はほとんど見かけません。ランニングしている人のほとんどはランニングする必要がないくらいスリムで健康的な人ばかりです。ランニングをしたから健康になったのか、健康な人がランニングをしているのか、これも単純に答えを出すのは難しそうです。

ここで大切なのは、相関があるからといって、必ずしも因果関係が証明されるわけではないということだ。もしかしたら、その関係は単なる偶然かもしれないし、何か欠けている要素があるのかもしれないし、あるいは原因と結果が逆になっているかもしれない。

数字を過信するな!

ということで今回は「The Number Bias 数字を見たときにぜひ考えてほしいこと」を紹介しました。

以前紹介した「Numbers Don’t Lie 世界のリアルは「数字」でつかめ」という本では数字をもとに正しく世界を捉える方法を見ていきました。この本でもGDPや失業率といった身近な数字の正体を教えてくれています。

Numbers Don’t Lie-嘘のない数字で世界のリアルを掴む
こんにちは。夫です。 最近よく行く本屋さんでひときわ目立つ位置に、ひときわ目立つ黄色い本が置かれていました。 それが本書、「Numbers Don't Lie 世界のリアルは「数字」でつかめ」です。 夫 僕は元々こういうデータを基に常識をぶ...

本書では今回紹介した他にも、ビッグデータやアルゴリズム、AIなど、これからさらに世界を支配していくであろう数字の問題点にも触れています。

ここまで読んでくれたならピンとくるかもしれませんが、ビッグデータやアルゴリズムの問題点は、相関関係と因果関係がごっちゃになることです。膨大なデータを調べてコウノトリが巣を作る家には子どもが多いという相関関係が出たら、AIはコウノトリが赤ちゃんを連れて来ると考えるかもしれませんね。

そして本書の最後では数字に騙されず、世界を正しく見るためのヒントを教えてくれています。最後に、そこを紹介して終わりにしたいと思います。

自分の感情を自覚する

人はいつでも数字を中立に見れるわけではありません。例えば、あなたが地球温暖化を何とかしたいと強く考えているなら、地球が温暖化しているというデータは完璧なものに見えるでしょう。逆に、地球が温暖化していないというデータはウソくさく感じ、実際にツッコミどころを見つけるかもしれません。

あなたがお酒が好きなら、アルコールの健康被害のデータより、お酒が健康に良いというデータ(探せばいっぱいあります)を見つけるでしょう。

残念ながら、数字を正しく解釈するために感情を除外することは、不可能です。でも、その感情を自覚することはできるはずです。数字を見た時に自分が何を感じたのかを意識し、自分に都合のいい解釈を選んでいないか考えてみましょう。

インターネット時代で、人は好む情報ばかりに触れるようになりました。ここ数年アメリカで問題になっている「分断」もまさに自分に都合のいい解釈ばかり選び、それがインターネットのアルゴリズムによってどんどん極端になっていることが原因の一つだと思います…

好奇心を重視する

数字を正しく理解するには、さまざまな観点から見る必要があります。そのために大切になるのが好奇心です。

例えば、あなたがトランプ元大統領は不正選挙で負けたと思っているなら、バイデン大統領が不正をしたという情報ばかり目にしていると思います。実際、僕も興味を持って調べてみましたが、バイデン大統領が不正をしたという”もっともらしい”データはたくさんあるんです。

しかし、ここで立ち止まって好奇心を持ってみると、また違ったことがわかります。バイデン大統領が不正を行ったという数々のデータの中には、出典が曖昧なものやよく考えると筋が通っていないものもたくさんありました。また、バイデン大統領ではなく、トランプ元大統領が不正をしたというデータも、同じくらいたくさんあります。

どちらが正解なのかはわかりません。しかし、一つの意見に偏るのではなく、好奇心を持って複数の視点、特に自分の意見と反対の立場の視点をみることで、少しだけかもしれませんが正解に近づくことができるはずです。

不確実であることを受け入れる

ここまで、数字に関するさまざまな側面、特に数字が嘘をつく、多くの人を騙す側面を見てきました。とはいえ、本書は数字を無視しろという趣旨のものではありません。ただ鵜呑みにするのではなく、考えるきっかけを与えてくれる本です。

世界の全てを把握することなんてできませんし、全てが完璧な絶対的な答えが存在しない場合も多々あります。
アルコールが体に良いという研究も、癌など病気の原因になるという結果も、どちらも信頼できる研究結果として存在します。つまり、アルコールは体に良くも悪くもあるんです。

数字を見た時、それが唯一絶対の正解であるという考えは捨てましょう。

個人的にはこれが一番重要だと思います。人は不確実なものを嫌います。絶対的な正義や絶対的な悪、なんであれ唯一の答えが存在すると思いたい生き物なんです。でもそんなものは存在しない。数字も、何かを表現するための一つの側面でしかないんです。

数字はその答えを教えてくれない。数字に従っていれば自分で考えなくて済むと思ってしまいそうだが、数字の役割は簡単な答えをすぐに提供することではない。数字にできるのは、せいぜい道なき道を進む手助けをすることだけだ。

利害関係に注意する

「ハンマーを持つ人には全てが釘に見える」という言葉があります。ある目的や立場、道具を持つと、全てがそれを正当化するものに見えてしまうという意味です。

数字も同じです。地球温暖化を何とかしないといけないと考えている人にとっては、あらゆるデータが地球温暖化を証明するものに見えています。しかし、同じデータが別の人には地球温暖化を否定するものとして使われることもあります。

研究結果を発表する時にも必ず目的があります。例えば、癌治療の研究をしているなら、癌治療に役立つ物質を見つけ出すことが目的です。その人にはたとえ偶然の一致でも、因果関係があやふやでも、相関関係があれば癌治療に役立つ物質に見えてしまうでしょう。

もっと極端な例もあります。タバコ産業は研究者を雇い、タバコの健康被害の研究を行っていました。タバコ産業に雇われた研究者の目的はもちろん、タバコに健康被害がないことを証明することです。
似たようなことがアルコールなど、さまざまな業界で行われています。

数字を正しく理解したいのなら、大切なのは推論の誤りを見つけることと、自分の感情を理解することだ。
しかし、おそらく一番大切なのは「この数字の裏にいるのは誰?」と自分に尋ねることだろう。この人物は、結果に対して何らかの利害関係を持っているだろうか?

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この記事を書いた人

かれこれ5年以上、変えることなく維持しているマッシュヘア。
座右の銘は倦むことなかれ。

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