こんにちは。夫です。
今日紹介するのは尖った角度で社会を切る作家、橘玲さんの「バカと無知」です。Webメディアの記事でよく名前は知っていて面白い角度から分析するな〜と思っていましたが、書籍を読むのは今回が初めて。もう衝撃的&刺激的&面白すぎて、過去の本もどんどん読みたくなりました。
どこから紹介しようか迷ったのですが、本書の最後の最後、あとがきを抜粋することから始めたいと思います。
自分が「絶対的な善」ならば、自分を批判する者は「絶対的な悪」以外にはない。このようにして、SNSで徒党を組み、敵対する集団に罵詈雑言を浴びせる無間地獄に陥っていく。これは「アイデンティティ政治」と呼ばれる。
当然のことながら、ふつうのひとたちはこんなことにはかかわろうとしない。人生に投入できる資源は有限で、その大半は仕事や家族・恋人との関係に使われるからだ。ネットニュースに頻繁にコメントするのは昼間からワイドショーを見ているひとたちだが、それは平均とはかなり異質な母集団だ。
まともなひとは、なんの「生産性」もないSNSの論争(罵詈雑言の応酬)から真っ先に退場していくだろう。このようにして、まともでないひとたちだけが残っていく。そう考えれば、いま起きていることがうまく説明できるだろう。解決にはならないだろうが。
引用:橘玲「バカと無知」
最後の一文が本書の本質を物語っていると思います。本書を読めば今社会に起こっている色々なことが説明できるようになります。SNSでのくだらない炎上、どこを向いているのかわからない政治、盛り上がる陰謀論と分断…なぜこんなことになってしまうのか、さまざまな研究(心理学、進化論など)から理解できるようになります。
ただし、解決する方法は一切教えてくれません。
普通の実用書、ビジネス書だったら課題と解決はセットです。でもそれは逆に言えば、解決策がある課題しか取り上げていないことにもなります。一方、橘玲さんは自分の本の最後に「解決にはならないだろうが」というほど割り切っているので、解決策が存在しないこと、一般には”言ってはいけない”ことに切り込んでくれています。だから刺激的なんです。まあ、解決策がないので刺激的なだけでどうしようもないんですが笑
- 僕たちは人を蹴落として快感を得る生き物:人類が進化してきた小規模なコミュニティの中で生き残り、子孫を残すためには、警戒センサーを最大音量で鳴らし「目立たずに目立つ」という難しい舵取りをする必要があった。そうした人類の進化の(今のところ)最終形態である僕たちも例外ではない。
- バカは原理的にバカだと気付けない:人類の進化の歴史の大半において、自分に能力がないとバレることは致命的だった。だから能力が低い人はバレないよう、自分の能力を過大評価しバレないよう振る舞った。一方、能力が高い人は逆に…
- 民主制はバカがいないなら有効:能力がある2人が話し合うとよりよい結論に辿り着ける。しかし、能力がない者が混ざると、能力が低い方に引きづられより悪い結論に辿り着いてしまう。つまり民主制は、バカを除外しないと成り立たない。
- 褒めて伸ばす」という時代遅れの教育法:褒めて自尊心を高める教育がもてはやされたのは半世紀も前の話。2003年、自尊心教育ブームを終わらせた研究
- 差別の源泉である合理的なステレオタイプ:なぜ差別は無くならないのか?そもそもなぜ差別が存在するのか?その理由は、差別することが生存に有利だったから。
生存警戒センサーは最大音量で鳴りっぱなし
A社の火災報知器は感度が高く、家事を素早く察知します。ですが、感度が高すぎるので料理で油を使うだけでも警報がなってしまいます。
一方、B社の火災報知器は感度が低いので、料理に誤反応してしまうことはほとんどありません。ですが、感度が低いので本当に火事の時に逃げ遅れてしまう可能性があります。
あなたならどちらの火災報知器を導入しますか?
A社のものを選べば料理中に警報がなって、警備会社に「誤作動でした」と報告したり近隣に謝りにいったりと不愉快なことがたくさんおこります。ですが、火事で逃げ遅れるという最悪の悲劇は避けることができます。B社を選べば、そうした不愉快とは無縁でいられるものの、万が一の時に最悪の悲劇に見舞われます。
こうしたトレードオフはいろんなところで発生します。そして数多のトレードオフの結果、進化を続け、生き残り続けてきたのが現代を生きる私たち。火災報知器を脳の警戒センサーと言い換えたらどうでしょうか。僕たちの先祖は、どちらの警戒センサーを選んだでしょうか?
安全と快適さのトレードオフでは、冷徹な進化がどちらを選んだかは考えるまでもない。非常ベルが頻繁に鳴れば幸福度や満足度がさがるかもしれないが、大事なときに警報がならずに子孫(遺伝子)を残せないよりずっとマシだ。残念ながら、進化の目的はあなたの幸福ではないのだ。
引用:橘玲「バカと無知」
近くの茂みが揺れた時「どうせ風だろう」と無視した人と「ライオンがいるかもしれない」と警戒した人。生き残る確率が高いのは後者です。数万年に及ぶ長い進化の中で「どうせ風だろう」と無視する人は徐々に淘汰されていきました。
だから僕たちの脳は良いニュースより悪いニュースに強く反応するようにできています。悪いニュースに最大音量で警戒音を鳴らしてきた人類の子孫が僕たちだからです。
どれだけ文明・技術が発展しても、僕たちの体、脳はこうやって進化してきた時のまま。SNSで一瞬で数億人と繋がる方法が生まれても、脳は150人以下のコミュニティで狩猟最終していた時のままなんです。「スマホ脳」でも人間の脳はスマホを使うために進化していないことが問題視されていましたね。
人類は歴史の大半を150人以下のコミュニティで過ごしており、コミュニティから外れるイコール死を意味しました。だから僕たちは仲間外れにされそうになると脳内で警戒音が最大音量で鳴り響きますし、噂話がやめられません。一つのコミュニティから外れても、すぐに他のコミュニティを見つけることができるツールが誕生しても、脳はそう考えることができないんです。
このことはさまざまな調査から裏付けることができます。アメリカの調査では3人に1人がハラスメント被害を受けたことがあると報告されましたが、加害者になったことがあるのは2000人に1人しかいませんでした。ごく一部の人が大量の人にハラスメントをするからこんなデータが出ているんじゃありません。脳は被害の記憶を過大評価するように作られている一方、加害の記憶は過小評価するようにできています。生存確率を上げるという意味では、加害の記憶に価値はありません。この脳の構造のギャップこそが、ハラスメントから歴史問題まで、問題をややこしくしています。
わかりやすい例がキャンセルカルチャーです。
最近、何年も前の問題が取り沙汰されて芸能人が立場を追われるなどの事例が相次いでいます。もちろんその問題にもよりますが、ほとんどの場合、何年も前の問題を掘り起こして誰かの立場を追いやっても、なにも解決しません。
なのにSNSでは全く無関係の人まで「酷い!とんでもない!ゆるせない!」と大騒ぎしていますよね。なぜそんなことが起こるのかというと「気持ちいい」からだと橘玲さんはいいます。
徹底的に社会的な動物である人間は、不正を行ったと(主観的に)感じる相手に制裁を加えると脳の報酬系が刺激され、快感を得るように進化の過程で「設計」されている。それに加えて、下方比較を報酬、上方比較を損失と感じるから、自分より上の地位にあるものを引きずり下ろすことにはとてつもなく大きな快感がある。
この快感は、テクノロジーのちからによって、匿名のまま(なんのリスクも負わず)、スマホをいじるだけで(なんのコストもかけずに)手に入るようになった。これほど魅力的で安価な「娯楽」はほかにないからこそ、多くのひとが夢中になるのだ。
引用:橘玲「バカと無知」
150人以下の原始的なコミュニティで生き残り、子孫を残すには目立ちすぎず(目立ちすぎるとライバルが増える)、それなりに目立つ(目立たなさすぎると役たたずになる)という絶妙なバランスが必要です。そのバランスを取る一番良い方法が、噂話によって上の人を蹴落とす、もしくは下の人をさらにこき下ろすことです。直接対決しないのでリスクは最小限に、かつ自分の地位を相対的に引き上げることができます。これを快感に感じ、実践できた人が生き残り子孫を残しました。つまり僕たちの直接のご先祖さまはそういう人だったということです。
そんなことはない、と思う人もいるかもしれませんが、それさえも脳がちゃんと適応しているだけかもしれません。上の人を蹴落とし、下の人を蔑むことにいちいち罪悪感を感じていたら実践できませんよね。だからネットの炎上騒ぎなどでもみんな「正義の鉄槌」を下しているという認識です。
有名人が過去に非道徳なことをしていれば、正義の鉄槌の名のもとに言及し、その人の立場を追うことで快感を得ているんです。が、本人の脳内では快感のためではなく正義のため、と正当化されています。
人間がステイタスを誇示する方法は「支配(権力)」「成功(社会・経済的地位)」「美徳(道徳)」の3種類しかありません。権力や成功は誰にでも手に入るものではありません。だから多くの人が美徳という形でステイタスを得ようとします。それはSNSを開いて、(自分には全く関係がない)芸能人など地位が上の人たちのスキャンダルな記事を引用リツイートするだけで簡単に得られます。
バカの本質的問題は自分がバカだと認識できないこと
「ダニング=クルーガー効果」と呼ばれる有名な心理傾向があります。
ダニング博士とクルーガー博士は「能力の低いものは自分の能力が低いことを正しく認識しているのか?」を確かめるために実験をしました。その方法はシンプルで、ユーモアや論理的思考力、文法問題などさまざまな問題を用意し、その平均点と自己評価を比較するというものです。
例えば平均点が50点の場合、みんなが正しく自分の能力を評価していたら自己評価も50点くらいになりますよね。ですが自己評価の平均は66点でした。つまり16点分自分の能力を過大評価していたのです。これは「人並み以上効果」と呼ばれ、テストの結果だけでなく、車の運転や他者への貢献度(家事分担とか)などいろいろなところで見られます。
ここで終わっていたら心理傾向の名前に自分たちの名前が載るほどの功績ではないでしょう。彼らは「一体どういう人たちが、自分を過大評価しているのか?」を調べました。
実際の点数が上位4分の1の人たちは、自己評価で74点と見積もっていました。ですが実際の点数は平均で86点だったんです。つまり点数が高い(能力が高い)人は、逆に自分の能力を過小評価していたんです。
一方、実際の点数が下位4分の1(平均点数12点)の人の自己評価は、68点。自分の能力を5倍以上も過大評価していました。
つまり、全員が満遍なくちょっとずつ自分の能力を過大評価しているわけではないんです。実際にはもうちょっと複雑で、能力が高い人は過小評価し、能力が低い人はものすごく過大評価していたんです。
ここでダニング博士とクルーガー博士はさらに考えました。能力が高い人は「自分にもこれだけ解けたのだから、他の人もある程度解けているだろう」と想定したことで、自己評価が低くなったのではないか?という仮説です。
そこで次の実験では、能力が高い人に他の人の解答を見せました。すると能力が高い人は「思ったよりみんな解けていないんだ」と理解して、自己評価の点数を少しひきあげたんです。つまり、情報を追加することで、正しい自己評価に近づいたということです。
では、能力が低い人に他の人の解答を見せたらどうなるでしょうか?自分の能力の低さを自覚して、得点予想を引き下げるでしょうか?結果は逆で、他の人の回答を見たことで、より自分の能力を過大評価してしまったんです。
こうした実験結果を簡潔に表現すると、こうなります。
自分の能力についての客観的な事実を提示されても、バカはその事実を正しく理解できないので(なぜならバカだから)自分の評価を修正しないばかりか、ますます自分の能力に自信を持つようになる。まさに「バカにつける薬はない」のだ。
ここまで読んで、あなたは「バカってどうしようもないなあ」と思ったにちがいない。だがダニング=クルーガー効果では、バカは原理的に自分がバカだと知ることはできない。私も、そしてあなたも。
引用:橘玲「バカと無知」
こんなことを言ってしまう橘玲さんがすごいですよね。普通の実用書、ビジネス書であれば頭をよくする方法や自分の能力を正しく認識する方法など解決策を教えてくれるのですが「バカは原理的に自分がバカだとしることはできない」つまり、どうしようもないんです。
なぜこんなことになるのか?その理由も進化論的に説明できます。
人類はずっと150人ほどのコミュニティの中で地位を争い、生き延びてきました。地位を決める評価は時代や環境によって狩猟能力だったり統率力だったりさまざまですが、能力がある人が地位を獲得するという原則は同じだったはずです。
つまり、そのコミュニティの中で地位を上げる(生存確率を上げ、子孫を残す)時に、自分の能力が低いと他者に知られるのは致命的です。なので、能力がなくても能力があるフリをしないといけません。バレるまで生き延びて、子孫を残すことができれば遺伝子的には大成功です。
一方、能力が高いことを知られることにもリスクがあります。現在地位が高い人は、自分の地位を脅かす能力が高い人を真っ先に排除しようとするからです。だから能力が高い人は自分の能力を過小評価し、極端に目立つことを避けるように進化しました。
ハリネズミが自分を大きく見せるのも、能ある鷹が爪を隠すのも、脳に埋め込まれた戦略なのかもしれませんね。
バカと利口の議論。その行く末は…
能力が低い人は能力を過大評価し、能力が高い人は過小評価する。では、能力が低い人も高い人も一緒になって考える民主制はどのように機能するのでしょうか?これも面白い実験があります。
2人1組の被験者に、ディスプレイに映った6つの円を見てもらいます。6つの縁の中で一つだけわずかにコントラストが強くなるので、強くなったものを選ぶという単純な実験です。
しかしここで面白い工夫がされました。コントラストが変わる瞬間、片方の被験者のディスプレイが一瞬乱れます。これによってディスプレイがはっきり見えている(能力が高い)人と、ディスプレイがはっきり見えなかった(能力が低い)人を意図的に作り出すことができます。
2人の解答が一致したら実験終了ですが、不一致の場合は次の3つの方法で最終的な答えを決めてもらいます。
- コイントスでランダムにどちらが正しいか選ぶ
- 能力が高いものの選択を常に正しいとする
- 2人で話し合って決める
民主制が正しく機能するなら、一番正解に近づくのは③のはずです。少なくとも①よりは正解率がよくなるでしょう。
この実験をディスプレイに乱れを入れなかった(2人ともディスプレイがはっきり見えた=2人とも能力が高い)人に行うと、①より②が、②より③の方が正解率が高くなりました。
ですが、ディスプレイに乱れを入れ、能力が低い人を意図的に入れた場合は全く逆で、③は①のコイントス以下の正解率になってしまったんです。
これも人類が何万年、もっと前の祖先から何百万年も続けてきた小規模なコミュニティで説明できます。自分の能力が低いと知られるのは致命的な危機なので、人は無意識に自分の能力を過大評価し、自信過剰に振る舞います。一方、能力が高い人は相手も自分と同じくらいの能力を持っていると想定して、相手の意見を尊重しようとします。自分の能力が周りより高いと自覚して振る舞うと目立ちすぎて危機につながるからです。そのため、能力に違いがある2人が話し合うと、能力を過小評価する能力がある人が、能力を過大評価する能力がない人に引きづられてしまうんです
賢い者がバカの過大評価に引きづられることを「平均効果」という。実験では、一方が他方の能力の40%を下回ると、話し合いの結果は優秀な個人の選択よりも悪くなった。これが何を意味しているのかを考えると、次の二つの結論に至る。ただし、いずれもかなり不穏な話だ。
一つは、集合知を実現するには一定以上の能力を持つ者だけで話し合うこと。これならかけた知識を持ち寄って、それを一つにまとめることで、個人の判断より正しい選択をすることができる。
もう一つは、それが無理な場合は話し合いをあきらめて、優秀な個人の判断に従った方がよい選択ができること。これはある種の貴族政だ。
”不穏”というのはいずれの場合も、能力の劣った者を決定の場から排除する必要があるからだ。
引用:橘玲「バカと無知」
バカに引きづられてより悪い方向にいってしまう…単純に考えられる解決策は、性悪説にのっとって周りを信用しないことです。みんながそのように考えればギスギスはしますが能力の高い人がちゃんと能力を発揮できるようになります。
ですが、それも簡単ではありません。僕たちの脳は150人以下の小さなコミュニティを想定して構築されていますが、今の世の中はバカか有能か区別がつかない数百、数千万人とSNSで一瞬で繋がってしまうからです。
例えば、反ワクチン的な投稿で「私は医療関係者ですが、健康だった知人がワクチン接種後に突然死しました。報道もされていませんし、死因の特定も進んでいません」という投稿があったとします。こういう投稿は一時、SNSで無数にありました。
では、それら全てに対し、本当に医療従事者なのか、そんな知人がいるのか、報道されていない、死因の特定が進んでいないのは事実なのか、を検証していくのは不可能です。できたとしても脳のエネルギーを使いすぎます。150人未満のコミュニティに対応した脳は、そんな情報処理を効率よく行うようには設計されていないのです。
SNSは人類の進化には存在しない環境で、自分は安全な場所にいながら、相手を一方的に攻撃できるという、言論空間のプラットフォームとしては最悪の環境を作り出した。そこでは、ささいなことで自尊心を傷つけられたと感じた者たちが罵詈雑言や誹謗中傷をぶつけ合っている。
ここまでは、人間の本性からの論理的帰結だ。悩ましいのは、だったらどうすればいいかの答えが、まだどこにもないことだ。
引用:橘玲「バカと無知」
完全に個人的な意見ですが、僕は選挙の投票率は低くてもいいと思っています。だって、誠実についてちゃんと勉強して、各候補者、政党の主張を理解、比較検討した上で1票を投じるなんて難しいこと、僕を含め多くの人にはできないだろうと考えているからです。なので僕は一応選挙に行きますが、毎回白紙表を入れています。賢い人たちの決定を邪魔しないように…
褒めても伸びない
先ほどの引用で「自尊心」という言葉が出てきました。自尊心は脳に対する暴力です。そして脳は直接痛みなどを感じることができない器官なので、自尊心を傷つけられる(罵倒されたり、SNSで罵詈雑言を浴びせられたり)することは、実際に殴られたり蹴られたりした時と同じ生理的反応が出ます。
つまり、脳にとって自尊心への攻撃は現実の暴力と同じだということ。SNSでの無意味なリプライの応酬でどんどん攻撃的で低俗になっていくのは、シンプルな防衛本能。殴ってくる相手に紳士的に振る舞う余裕がないのと同じ状況だということです。
逆にいうと、誰かの自尊心を傷つけることは、直接暴力的な攻撃で相手を屈服させるのと同じくらいの優越感があるということです。
これはさまざまな差別問題の原因になります。「自分たち」が「自分たち以外」を攻撃するのはまぎれもなく快感で、「自分たち」の結束を強めるために有効だからです。
本書では白人・黒人の子どもに対して行ったさまざまな実験で、人種差別は3歳ごろには生まれていることなどにも触れ、自尊心の本質に迫っていますが、ちょっと紹介しにくい内容なので省きます笑
人間にとって自尊心がこれほど重要なら、自尊心や自己肯定感を高めることにはどんな意味があるでしょうか?さまざまな研究から、自尊心が高いと社会的、経済的に成功し、健康で幸福度が高いことがわかっています。それによって教育現場でも、自尊心ブームのように「褒めて育てる」「批判はしない」「敗者を作らない」ことがもてはやされました。
しかしこれはもう古い話。最近では自尊心を高めることによる弊害や、効果のなさがどんどん明らかになってきました。2003年には自尊心の重要性を説いていた著名な心理学者が、1万5000件もの研究結果をレビューし「自尊心を養っても学業やキャリアが向上することはなく、それ以外でもなんらポジティブな効果はない」と発見しました。これによって学術界で自尊心ブームは終わりました。
ある実験では、成績がギリギリの大学生に責任を強調する(計画して勉強しなさい)と自尊心を高める(君ならできる)を伝えた際、前者だとその後の成績には影響しませんでした。しかし後者の自尊心を高めるメッセージは成績に影響がありました。それも悪い方向に。成績がギリギリの生徒の自尊心を高めると、落第レベルにまで成績が低下してしまったんです。
なぜこんなことになってしまうのか。研究者はその理由を、「自尊心は報酬だから」と説明する。頑張って勉強して、よい点数をとって教授からほめられることで自尊心が高まる。だが試験を受ける前から教授にほめられると、報酬を先に受け取ることになるので、努力しなくなってしまうのだ。
引用:橘玲「バカと無知」
かといって自尊心に意味がないわけではありません。自尊心が高いと失敗に直面しても粘り続けることができるという研究結果もあります。一方で、自尊心が高いと諦めが低い(難しい問題ならできなくても仕方ない、できなくても大丈夫と考える)という結果もあります。
結局、自尊心について教育で植え付けようとしても良い影響はないし、成功者の自尊心が高いのは因果と結果が逆ということです。本書では自尊心がもたらす無意味なマウンティング、ボランティア活動の心理など、”言ってはいけない”ことがたくさん出てきます。
ちなみにこの章で一番面白いなと思ったのは、直接自尊心にはないのですが「性差別」について書かれた部分です。
性差別は全部ダメ、何がなんでも平等にしないといけないという風潮がある現代ですが、そもそも男女では生物学的な体の作りが違います。進化の歴史において果たしてきた役割も違うので、さまざまな特性に違いがあるのはある意味当たり前なので、何でもかんでも平等にするのは不毛です。
例えば、女の子はピンク、男の子は青、みたいなステレオタイプも嫌われる風潮で、女の子にピンクの服を着せていたらフェミニストから「ステレオタイプの押し付け」と言われてしまうかもしれません。
ですが、男女では網膜の構造も違います。網膜には物の動きを捉えるM細胞と、色や質感を捉えるP細胞という2種類の細胞があります。男女の網膜を比べると、男性はM細胞が多く、女性の網膜にはP細胞が多いことがわかっています。
なので幼い子どもに好きな絵を書かせると、女の子は暖かい感触の色をいろいろ使って、人や草や木などを描こうとします。一方、男の子は黒や灰色など冷たい色を使って、ロケットや車などの動きを描こうとします。
これはステレオタイプなジェンダー圧力を親や教師が与えたのではなく、生物学的な構造から本人の好みによって生まれた違いです。男の子に淡いピンクを見せても、P細胞が発達していない間はほとんど白と区別できていないのかもしれませんし、女の子に青と黒でスピーディーに動く車を見せてもM細胞が少ないのでピンと来ないのかもしれません。
こうした違いは網膜だけではありません。当然、見える世界が違うのですから他の脳の構造にも違いがあります。例えば、男性は空間的知能が発達し、女性は言語的知能が発達しています。
ですが、現代では「女性は数学が苦手」なんて言えば激しくバッシングされるでしょう。一方で、「男性はコミュニケーション下手」と言ってもあまりバッシングされません。結局、みんなどこかで男性と女性に違いがあることは理解しつつも、フェミニズム的な風潮によってそれを言うことができなくなっているんです。
差別の迷宮と正しい偏見
差別や偏見の議論がややこしいのは、「差別主義者」がどこにもいないことだ。なぜなら、リベラルな社会ではそのような者は社会的に抹殺されて生きていけないから。
このことは、「自分を”差別主義者”と名乗っている者は誰か」を問えばすぐわかるだろう。現代社会では、「差別だ」との糾弾は他者から貼られるレッテルで、本人がそれを認めることは滅多にない。
引用:橘玲「バカと無知」
この引用に差別の本質が表れています。差別する人はどこにも存在せず、差別だと認める人だいるだけなんです。そしてこれは常に差別と逆差別がセットであることも示しています。最近は人種差別が問題視され、差別を是正するための制度がたくさんあります。しかしこれが逆差別だという意見もあります。
例えば、黒人の差別是正は、白人ではなく有色人種を”優遇”する差別でもあり、白人が被害者になってしまいます。つまり、差別をなくすためには別の差別を生む必要があり「差別主義者がどこにもいない」という言葉にあるように、それを差別されていると考えている人に、実はそちらの立場も誰かを差別しているという事実を理解してもらうのは簡単ではないということです。
ではそもそも差別はなぜ生まれるのでしょうか?
橘玲さんはその理由をステレオタイプだといいます。ステレオタイプとは、集団をいくつかのカテゴリーに分けて理解するもので「男性」「女性」「白人」「黒人」「若者」「老人」などです。「LGBTQ」という言葉は多様性を認め、差別を無くそうとする方向で生まれた言葉に思えますが、本来グラデーションで一人一人違う個性を「LGBTQ」というカテゴリーに分けているという意味ではステレオタイプです。
そしてステレオタイプが生まれる理由は、脳の処理容量にあります。人間の脳は大量の他人を細かく把握するほどの能力がないため、ある程度ざっくり捉えるしかありません。研究では、初対面の人を「性別」「年齢」「社会(僕たち、僕たち以外)」の3種類で即座にカテゴリわけしているそうです。
これも進化論で説明できるそうです。人に限らず多くの類人猿は把握可能な数を超えると、コミュニティが分裂することがわかっています。でも人類は分裂しない方法を身につけました。それが、共通するしるし (言葉、服装、音楽など)を持つことです。昆虫のように膨大な数のコミュニティを作る生き物は、他者を個別の存在ではなく同じしるしをも「俺たち」という括りで捉えます。そう捉えないのコミュニティを維持できないのですから、僕たちは脳の構造、本能として瞬時にしるしを読み取ろうとするんです。
そしてさらに厄介なことに、こうしたステレオタイプは現代においても有効な場面が多々あるんです。先ほども書いた男女の網膜細胞の違いによる特性のように、性ホルモンもその名の通り男女で大きな特性の違いを生みます
筋肉や骨格を発達させ、冒険や競争を好むようにする働きがあるとされるテストステロンは、思春期の男女で分泌量に60~100倍の差があります。これが男性の攻撃性・暴力性を高めているというのは筋が通った話でしょう。
ということは警察官が男性を中心に職質するのも、事件の調査で身近な男性に疑いが向くのも、理にかなった話と言えてしまいます。
要するに人類の歴史において、暴力的な事件の犯人は男性だと想定したほうが解決できる可能性が高く、僕たちの脳はそのことを無意識的に理解しているということです。
男性の言語能力は左脳に偏り、右脳は論理や数学的な処理に割り当てていますが、女性は右脳と左脳の両方で言語処理を行っています。いわゆるステレオタイプ、差別の源泉は生物学的に正しいことが立証されてきているものもたくさんあるんです。
バカと無知なりに生きていこう
ということで今回は一切救いのない不都合な事実を突きつけられる「バカと無知」を紹介しました。
3回読んだのですが、結局、何をどうしたらよくなるのかわかりませんでした。今社会にあるさまざまな問題は、僕たちの脳(数万年変化していない)と、技術(数年単位で生まれ変わる)とのギャップによるもので、僕たちの脳を急速に進化させることもできなければ、数千年前の技術レベルに戻ることもできない以上、どうしようもない、という話になります。もしかしたら数万年後にはSNSとうまく付き合える脳の構造に進化していくのかもしれませんが、今の僕たちには関係ありません。
SNSには陰謀論が渦巻いている。そのなかには世界は「闇の政府(ディープステイト)」に支配されているとか、新型コロナワクチンを摂取するとマイクロチップを埋め込まれるというような荒唐無稽なものもある。
ひとびとが誤解しているのは、これをなにか異常な事態だと思っていることだ。そうではなくて、ヒトの本性(脳の設計)を考えれば、世界を陰謀論(進化的合理性)で解釈するのが当たり前で、それにもかかわらず理性や科学(論理的合理性)によって社会が運営されている方が驚くべきことなのだ。
引用:橘玲「バカと無知」
最初に書いたように、僕たちは少しのことにも警報音を鳴らして、誤作動だらけで不快でも、生き延びることを選択した生き物の子孫です。小さなコミュニティのなかで生き延び、子孫を残すために、他者を偽り、時には自分さえ偽って(バカが自分の能力を過大評価するのは無意識)、いわば陰謀を仕掛け、仕掛けられながら生きてきました。
コミュニティに属さないと生き延びることができない生き物でありながら、子孫を残すには他者を蹴落とさないといけないという矛盾と向き合い続け、矛盾と付き合うための能力を手に入れたものが今も生き残っている僕たちです。
わたしたちは、徒党を組んで敵と対抗する一方で、表向きは協力するふりをしながら裏では足を引っ張って、仲間を陥れて自分のステイタスを上げるという複雑な戦略を駆使するようになった。ヒトの脳は哺乳類の中でも以上に発達しているが、それは相手をだまそうとしつつ、相手にだまされないようにする「進化の軍拡競争」の結果だと考えられている。
引用:橘玲「バカと無知」
だから、陰謀論が拡散されるのも、誰かの不祥事を無関係の個人がバッシングするのも、当然でどうしようもない、ということですね。僕は今SNSをやっていないんですが、今後もプライベート目的でのSNSは一切やらないようにします。橘玲さんの言葉を受け取れば受け取るほど、SNSを幸福に使える気がしません。その役目は、数千世代あとのSNSに対応した人類に委ねようと思います。
この記事を書いた人
- かれこれ5年以上、変えることなく維持しているマッシュヘア。
座右の銘は倦むことなかれ。
最新の投稿
- 自己啓発2024-01-07【The Long Game】長期戦略に基づき、いま最も意味のあることをする
- 資産形成2024-01-07賃貸vs購入論争はデータで決着!?持ち家が正解
- 資産形成2024-01-06「株式だけ」はハイリスク?誰も教えてくれない不動産投資
- 実用書2023-12-18【Art Thinking】アート思考のど真ん中にある1冊
コメント