こんにちは。夫です。今日紹介するのは認知科学と発達心理学、異なる角度で言語の研究を続ける二人の言語学者の共著「言語の本質」です。
タイトルを見た時、硬いな〜って思いました。とりあえず手に取って見たものの、相当読みにくいし、一度読んだだけでは理解できないタイプだろう…と。ところが読み始めると止まらない!めちゃくちゃ面白いんです。
本書はオノマトペ、「ドシドシ」や「サクサク」など、擬音語などでよく使われる言語の一部を突き詰める中で、なぜ人間だけが言語を操れるのか?簡単な単語なら覚えられるし使えるいろいろな動物は、なぜ訓練しても人間のように言語を使えるようにはならないのか?ChatGPTに代表されるAIが使う言語と人間が使う言語にはどんな違いがあるのか?を解き明かしていく本です。
僕はコピーライティングをメインのスキルにして働いていますが、そんな僕の心配事といえばChatGPTです。正直、まだまだChatGPTに負ける気がしませんが、このスピードで改良が進んでいくと5年、10年後にコピーライティングを仕事にできるのか、不安になります。でも本書を読んで言語に対する理解が深まり、AIにできることできないこと、そして人間にしかできないことの輪郭が少し見えた気がします。
ということで早速本書の内容を見ていきましょう。本書は前半部分で「オノマトペとは何か?」と深く向き合い、次に人間の言語学習プロセスを探っていきます。そして最終的に「言語とは何か?」を突き詰めていきます。
この記事は僕の備忘録。僕が「面白いな〜」「これは覚えておきたいな」と思ったところだけをピックアップしています。少しでももっと知りたいなと感じるトピックがあれば、ぜひ本書を手に取って見てください。
オノマトペは言語か?
そもそもオノマトペとは「ドシドシ」や「サクサク」など、擬音語の一つとしてよく使われているものです。オノマトペは英語で「onomatopoeia」といい、擬音語と訳されます。しかし「わくわく」のような感情を表す時にも使われるため、オノマトペ=擬音語とはいえません。
言語学者の間では「感覚イメージを写し取る、特徴的な形式を持ち、新たに作り出せる語」というオランダの言語学者マーク・ディンゲマンセの定義が一般に使われているようです。
オノマトペには「ドシドシ」「サクサク」のように2回繰り返す形が多いことからも「特徴的な形式」を持っているというのはイメージできますね。「新たに作り出せる」も直感的にわかります。例えば何かを食べて「モニュモニュしてる」とあまり聞き馴染みのないオノマトペを使ってもイメージが伝わります。漫画を読んでいると聞いたことがないオノマトペを見ることがありますが、シーンと合わせてなんとなく意味がわかりますよね。
「感覚イメージを写し取る」もオノマトペを使うシーンを考えたらわかりやすいですね。「ドキドキする」「ザラザラだ」「ゾクゾクする」「ホカホカ」どのオノマトペも「興奮する」「細かな凹凸がある」「身震する」「暖かい」という一般的な言葉より感覚イメージをよく写しとっている感覚があります。
オノマトペは「感覚イメージを写し取る、特徴的な形式を持ち、新たに作り出せる語」なので、通常の単語にはない優れた利点があります。それは、同じ言語を使う人の間であれば、聞いたことがないオノマトペであってもイメージを共有することができるということです。
「身震いする」という単語を知らない人でも、「ゾクゾクする」といえば、なんとなくのイメージを共有できるわけです。
例えば「ガタガタ」と「ギシギシ」では、どちらの方が大きな揺れを感じますか?
ガタガタは棚など比較的大きなものが、もう少し力を加えたら崩れて倒れてしまうイメージ、「ギシギシ」は椅子などの噛み合わせがちょっと悪くなっているイメージ。つまり「ギシギシ」より「ガタガタ」の方が大きな揺れを感じると思います。
これは人間の口の構造にあって、母音の「あ」や「お」を発音する時と「い」を発音する時では、口腔内の大きさが全然違います。だから母音の「あ」や「お」からは大きいニュアンス。「い」からは小さいニュアンスを感じ取るんです。「お(o)お(o)きい」「ち(i)い(i)さい」という言葉もそうした母音のニュアンスが出ていて、こうした口腔内の形状など身体的な特徴に基づいた単語は少なくないようです。また音波を調べた時にも「阻害音(k,sなどの子音)」と「共鳴音(m,u,yなどの子音)」に特徴を分けることができます。「カサカサ」は阻害音が多いので乾いた感じ、硬い感じが出て、「ムニャムニャ」には共鳴音が多いので柔らかい感じが伝わりますが、これは音波の特徴からも説明できます。だから人は初めて聞いたオノマトペからもニュアンスを感じることができるんです。
本書ではこうしたオノマトペの言語学的な側面が、他の言語との比較なども行いながらいろいろと書かれています。
例えば、全く言語が違う人に対して、ギザギザした三角形が重なったような図形と、柔らかい丸が重なったような図形を見せる。そして「どちらが”タケテ”でどちらが”マルマ”でしょう?」と聞くと、多くの人がギザギザした図形を”タケテ”、柔らかい丸でできた図形を”マルマ”だと言います。
これは”m”や”l”といった共鳴音からは柔らかいイメージを、”t”や”k”という阻害音からは硬いイメージを感じ取るからで、多くの言語に共通しているんです。
音波を計測しても、共鳴音は柔らかい波形を、阻害音は硬い尖った波形をしています。「やわらかい」という言葉自体、”y”や”w”、”r”といった共鳴音が、「かたい」という言葉には”k”、”t”といった阻害音が使われています。ちなみに日本語を知らない外国人に「やわらかい」と「かたい」、どちらがsoftでどちらがhardでしょう?と聞くと、結構な確率で正解するそうです。音の印象はちゃんと意味に含まれているんですね。
言語の十大原則
本書ではオノマトペに関するいろいろな学術研究や考察が続きますが、一気に飛ばして「言語の10大原則」を紹介しましょう。そもそも言語とは何か?という問いにどう答えればいいでしょうか。
単なるコミュニケーション手段というのであれば、犬の鳴き声は言語でしょうか?絵文字やスタンプ、標識は言語でしょうか?ここでは言語とは何かを見ていきます。
コミュニケーション機能
まず言語はコミュニケーションに特化している性質を持ちます。これは一番イメージしやすいですね。普段話している言語はもちろん、手話も絵文字も、絵も、何らかのコミュニケーションの手段です。
この定義だけを考えると、咳払いによって「タバコが煙たいです」と暗に伝えることもコミュニケーション手段なので、咳払いも言語だといえてしまいます。ですが言語の要素はこれだけではありません。
ちなみにこの十大原則は20世紀半ばにアメリカの言語学者チャールズ・F・ホケットが人間の言語と動物のコミュニケーションの違いを論じるために作り上げた基準を元にしています。なのでこの10個を満たせば、動物の鳴き声とは違う、完全に人間の言語だと言える、そんな原則です。
意味性
特定の恩恵が特定の意味に結びつくことを、意味性と言います。「イヌ」という音は、動物のイヌという概念と結びついています。
一方、先ほど取り上げた咳払いで「タバコが煙たいです」と伝える時の咳払いは、別のシーンでは「ちょっとジャマです」という意味になったり、音と意味が結びついていないという点ではこの原則を満たしていません。音に対するシチュエーションが意味を持たせています。
あるサルは鳴き声で「ライオンが来たぞ!」を表現するそうです。この鳴き声には意味性があるという意味で言語的ですね。
超越性
言語は目の前の物事だけでなく。その場にいないものや過去や未来の出来事も話題にできます。つまり、時空を超えた超越性を持っているということ。私たちは大阪にいながら「東京に行きたいなあ」ということもできるし、今何も食べていなくても「一昨日のラーメンは美味しかったな」ということができます。何気ないことですが、これは時空を超越しています。
動物にも意味のあるコミュニケーションを取るものがいます。鳴き声で「”ライオンが来たぞ!」と「鷲が来たぞ!」と伝えることができるサルも「昨日はここにライオンがいたよ」と伝えることができません。つまり言語を扱っているように見える動物も、超越性がないという意味で人間の言語とは違うんです。
継承性
生まれてきた子どもは言語を話せませんが学ぶことで単語や単語の組み合わせを学ぶことができます。このように伝統的、文化的に継承され、習得されることも人間の言語の特徴です。
オノマトペは音のイメージを発話しているだけなので継承性がないように思えますが、実際には文化的に継承されています。犬のことをオノマトペを使って「ワンワンがいる」と言いますが、英語圏で育ったのなら「bowwowaがいる」となります。つまり「ワンワン」というオノマトペは日本語という文化の中で継承された言語だといえます。
習得可能性
言語には知識として学んで使いこなせるという特徴があります。継承性と似ていますが、母語以外にも後からしっかり学ぶことができることを、習得可能性と言います。日本語で「空」を学んだ後、英語で「sky」を知れば、それが空を表していると理解することができます。
生産性
当たり前のように言語を使っていて、それは子どもの頃から徐々に培ってきたものだと認識していますが、僕たちは文章を丸暗記して暗唱しているわけではありません。次々と新しい発話を作り出し、無限大に表現を広げていくことができます。この特徴を生産性と呼びます。
僕が今タイピングしている文章も、全く同じものは一つとして存在しなかったものです。僕が勝手に組み合わせて、誰もが始めてみる記号の組み合わせを作り出したわけですが、あなたは違和感なくそれを読むことができます。
これは文章だけでなく、単語レベルでもいえます。実際、「就活」「婚活」「妊活」といった昔からあるパターンに照らし合わせて「腸活」という新しい言葉を作り出すことができます。
「ぴえん」のように一見意味がわからないけど、何となくニュアンスが伝わって広まっていく新語は決して珍しくないんです。
経済性
言語にはお互いの考えをやりとりするコミュニケーション性がありますが、コミュニケーションができればそれでいいわけではありません。そこには経済性が必要です。言語は伝えたい情報がある中で最も単純で、応用しやすいものになります。それが言語の経済性です。
「さがる」という言葉には、「上下に移動する」という意味の他に、後ろに移動する、値が小さくなる(物価が下がる)のように、近しい印象の出来事をまとめて表現する機能があります。一見、ややこしいように思えますが、全てに単一の意味しかなければ、事象の数だけ単語を覚える必要が出てきてしまい、経済性が低い、効率が悪いのです。
「さがる」というイメージだけ共通していれば「物価が下がる」という言葉を聞いた時にも、物価のグラフが下の方に移動していくイメージ、つまり値段が安くなっているというニュアンスを掴むことができます。
この特徴があるから生産性があるともいえますね。伝えたいイメージがある時、初めて作り上げた文章であっても、それを構成する単語の印象からイメージを伝えることができます。濃いという単語がパッと出てこなくて「このコーヒー、強い」と言っても、たぶんコーヒーが濃いんだろうなとわかりますよね。
離散性
離散性とは数学の概念で、表現の仕方が連続的ではない、アナログではなくデジタルだということです。
「赤」というのは一つの単語、概念として存在していますが、「赤」は無限にある特定の波長以外を吸収する性質をもった物質が反射した光が脳内に焼き付けるイメージを、一定のレンジで「赤」と呼んでいるにすぎません。アナログな世界では同じ色はほぼ存在しないので、「赤」という単語がもしアナログなら、ものすごく限定された特定のものしか表せないことになります。
言語自体がデジタルなのでこれを表現するのが難しいですが、アナログの世界ではりんごの赤と、消防車の赤は別ですが、どちらも赤と表現することができます。
言われてみれば確かにとなりましたが、何となくアナログな印象があったので、言葉がデジタルというのはちょっと意外でした。でも確かに言葉で何かと何かの中間、例えば赤とオレンジの中間の色を的確に伝えることはできませんよね。〜みたいな色、のように比喩を使うしかなさそうです。
恣意性
言語の形式と言語の意味の間には必要性がありません。「犬」という言葉が犬という概念を表しているのは、そう使っているから以上の理由がない、ということです。もし言葉に恣意性がないなら同じ概念を表す言葉は違う言語でも似寄るはずです。しかし「犬」と「Dog」の間に、言語の形式的な関連性はありません。日本では文化的に犬の概念を「犬」といい、英語では文化的に「Dog」と呼んでいるだけです。
やわらかいという言葉が共鳴音を多く含んでいるため、やわらかいニュアンスをイメージさせるように、100%完全な恣意性があるわけではないものもあるでしょう。でもせいぜいその程度で、「やわらかい」と英語のSoftの間に、形式的な共通点はありません。
二重性
音声言語を構成する音のそれぞれは意味を持たないが、その連なりに意味があることを二重性と言います。「あ」という音にも「か」という音にも、それぞれ固有の意味があるわけではないけれど、「赤」という単語には意味がある、これが二重性です。
ヒエログリフや日本語の漢字のように、言語を文字で表す時には二重性が薄れる場合もあるようです。「山」という記号は、山が表す事象そのもののニュアンスを形として捉えています。こうした文字を表意文字と言いますが、英語圏の言葉をみる限り、日本語の漢字のほうが特殊だといえそうですね。
本書ではこの十大原則に照らし合わせて、オノマトペは言語なのか?を紐解いていき、オノマトペは言語であるという結論に達します。
次なる疑問は子どもの言語学習です。体感としてわかる通り、「犬」を「ワンワン」と呼ぶように、子どもはオノマトペを多用します。そういう意味で、オノマトペは言語でありながら、より原始的で学習しやすい、音と事象のイメージの結びつきが強いといえます。
ではなぜ言語はオノマトペだけではないのでしょうか?
そこにはオノマトペの限界、例えば、音と事象の結びつきが強いから似たものを区別できない(鳥の名前が全部「チュンチュン」「カーカー」のように鳴き声に依存するものだったら大量の鳥を区別するのが難しい)や、抽象概念を表しにくい(“正義”や”道徳”を表すオノマトペが思いつきますか?)などによるものです。
本書ではそれらも深掘りして言語の本質を探っていくのですが、僕が興味を持った子どもの言語学習の章を紹介したいと思います。
「赤」を理解するために必要なことは?
消防車の色を「赤」、バナナの色を「黄色」と区別すること自体は難しくありません。2、3歳の子どもでもできますし、チンパンジーでも訓練すれば可能です。
でも消防車の色を「赤」と知っているからと言って、赤というデジタルな抽象概念を理解できているわけではありません。消防車を「赤」と知っている2、3歳の子どもでも、赤色の積み木を取ってきてと言った時に、正しく赤色の積み木を取ることができないんです。
なぜか。「赤」という概念を正しく理解するために必要な知識は、意外と膨大だからです。
まず「消防車は赤で、バナナは黄色」と知ったとしましょう。その時、まず消防車の形が赤で、バナナの形が黄色なのでも、人工物が赤で自然物が黄色という意味でもなく、その見た目の色を指している言葉だと理解する必要があります。
そのためには、同じ形の黄色い消防車を見せて、こっちは黄色だと教える必要があるでしょう。
その上で、言語はデジタルなので、どこまでが赤なのかを理解する必要があります。デジタルな記号としての言語ではどちらも赤と表現しますが、消防車の赤と積み木に塗られたペンキの赤は厳密には違う色です。そのためにはみかんを見せて「これはオレンジ」バナナとレモンを見せて「これは両方黄色」のように教える必要が出てきます。
そう考えると言語の学習ってめちゃくちゃ難しい…
筆者は「ゆる言語学ラジオ」という番組をやっていて、子育て中の色々なエピソードが寄せられます。その中には、言語が意外なほど複雑な概念であることがわかるエピソードがたくさんあります。
例えば、お菓子の袋を「開ける」と言うことを学んだ子どもがみかんを持ってきて「開けて」と頼んでくる。日本語的には「剥いて」が正解ですが、「何か表面を覆うものを取り除いて食べられる状態にする」という概念的には、お菓子の袋を「開ける」なら、みかんの皮を剥くことを「開ける」といってもいいような気がします。
お風呂に入ることを「入る」と知った子どもが、お風呂から出る時も「入る」と言うエピソードもありました。大人からすると単なる誤用ですが、その子は「入る」と言う単語を「跨いで移動する」ことだと捉えていたんです。その概念だと、お風呂に入るのも出るのも「入る」ですね。
そう考えると、言語を理解するって相当難しい事のように思えます。世のお父さんお母さんは一つ一つ「閉じられている空間の一部だけを取り除くことを開けると言うが、物の表面を覆っているものを薄く取り去って、中にある物を外に出す場合は剥くと言う」とか「中と外という概念があり、外から中に移動する時は入る、中から外に移動する時は出るという。お風呂は中でそのほかの空間が外だから、浴槽に跨いで移動する時には入る、浴槽から外に跨いで移動する時には出る」のように一つ一つ教えているんでしょうか。
そんなわけありません。そもそもそうした概念を正確に説明するには、さらに多くの単語理解が必要になってしまうので、無理でしょう。
人間だけに備わった推論力
それにもかかわらず、文明的な社会に育てば両親が言語学のプロでなくても、大抵の子どもは母国語でコミュニケーションできるようになります。
それこそ、人間に備わった特殊な能力だと筆者は言います。人間の言語学習は、単語を丸暗記するようなものではありません。それで学習できないことは、前述のように概念的な行動や物事を、デジタルな言語に置き換える時に起こる齟齬があるので明らかです。
筆者は言語学習について、次のように書いています。
言語習得とは、推論によって知識を増やしながら、同時に「学習の仕方」自体も学習し、洗礼させていく、自律的に成長し続けるプロセスなのである。
<中略>
言語を学習することができるヒトと、言語を学習しないヒト以外の動物で、学習の仕方にどのような違いがあるのか
<中略>
知覚能力と記憶能力は学習になくてはならない能力であるが、これらの能力はヒト以外の動物にも共有されている。また、そもそも、ある出来事の経験に含まれる情報をビデオカメラのようにすべて取り入れることも記憶することも私たちにはできない。「学習」と呼べるものは、必ず何らかの粒度で情報の取捨選択と抽象化をしなければできない。その時点で、学習は「経験の丸暗記」によるものではなく、「推論」というステップを経たものなのである。
引用:言語の本質
学習には推論能力が必要。そう聞くと当たり前のように聞こえますが、これは非常にすごいことです。人が話す時、単語ごとにストップしているわけではありません。
「お姉さんがボールを持ち上げている」と言った時、「お姉さん」「が」「ボール」「を」「持ち上げ」「ている」という単語に分割し、それぞれが独立した意味を持っていることを、推測する必要があります。
そして「お兄さんがボールを持ち上げている」という言葉を聞いた時、そのシーンを見て「変化したのは持ち上げている人。そして言葉の違いは”お兄さん”と”お姉さん”だ。なので、お兄さん、お姉さんという言葉は人を指し、そのほかの単語は動作や状況を指しているのだろう」と推論することで、文法や単語を理解することができます。
ここで重要になる推論が「演繹推論」と「帰納推論」です。演繹推論はルールをもとに結果を出す推論方法で、帰納推論は事例をもとにルールを導きます。
すべての人間は死ぬ(規則)
ソクラテスは人間である(事例)
ゆえに、ソクラテスは死ぬ(結果)
ソクラテスは人間である(事例)
ソクラテスは死んだ(結果)
ゆえに、すべての人間は死ぬ(規則)
この例ではどちらも間違いないように見えますが、帰納推論には間違いがつきものです。例えば袋から豆を取り出して「取り出した豆はすべて白い」「ゆえにこの袋の豆はすべて白い」といえてしまうのが帰納推論。実際には黒い豆も入っていてたまたま白い豆だけ取り出した可能性もあるわけです。
さらにもう一つ別の推論方法として、仮説形成推論(アブダクション)という形式もあります。これは帰納推論と似ていますが、帰納推論が規則を見つけ出すのに対し、仮説形成推論は結果の由来を導き出します。
すべての人間は死ぬ(規則)
ソクラテスは死んだ(結果)
ゆえに、ソクラテスは人間である(結果の由来)
この方法にも誤りがあります。死ぬのは人間だけではなく、犬も死にます。ここで話題にしているソクラテスが犬の名前なら、推論で導いた結果の由来は誤りになります。
そして推論としては穴がある帰納推論と仮説形成推論こそ、人間が言語学習の時に使っており、人間だけに備わった機能だと言います。
例えば子どもが練乳のことを「イチゴのしょうゆ」と言ったとします。これを単なる誤りと切り捨てるのは勿体無い。実は高度な推論の賜物です。
この子は刺身にかけて味をよくするもののことを「しょうゆ」だと学びました。そこから帰納推論で「食べ物にかけて味をよくするものをしょうゆという」という規則を導きます。そして、イチゴにかけて味をよくするものをしょうゆと呼んだ。
ただの言い間違い、語彙力不足に思える文章の中にもこうした推論をした形跡がたくさんあるんです。そして穴のある推論方法で考える人間だからこそ、言葉は柔軟に変化し、組み合わせて無数の意味を表現できるように進化したんです。
より重要なことに、動物はこの推論方法を使えません。あるチンパンジーに「黄色の積み木なら三角形」「赤の積み木なら四角形」「黒の積み木なら丸」を選ぶように教育します。チンパンジーに赤の積み木を見せると、三角形を選ぶ。これはほぼ完璧に学習させることができます。
しかし逆に、積み木の色から図形を選ばせようとすると、全くできなくなるんです。訓練された方法の関連付けは理解できるのに、それが逆になるだけでは対応できないんです。
一方、人間は「黄色の積み木の時は三角形を選んでね」と教えて訓練した後、「三角形を選んだから積み木をとってきて」と言った時に、当たり前のように黄色の積み木をとってくることができます。
これは動物が演繹推論しか行えないことを示唆しています。
黄色の積み木では三角形を選ぶ(規則)
この積み木は黄色である(事例)
ゆえに、三角形を選ぶ(結果)
これはできるんです。でもこの事例をちょっと変えてみましょう。
黄色の積み木では三角形を選ぶ(規則)
三角形が選ばれている(事例)
ゆえに、対応する積み木は黄色である(結果)
これは演繹推論として正しいでしょうか。いや、三角形が対応する積み木が黄色だけという規則はありません。三角形は黄色の積み木にも対応するし、青色の積み木にも対応する可能性があるため、この結果は推論として誤りです。
つまり「黄色の積み木では三角形を選ぶ」という規則を学んだからと言って、三角形の時に黄色の積み木をとってくることができないチンパンジーの行動は、推論形式としては正しいわけです。
一方、人間の子どもは勝手に帰納推論や仮説形成推論を使います。
黄色の積み木では三角形を選ぶ(規則)
三角形が選ばれている(結果)
ゆえに、対応する積み木は黄色である(結果の由来)
確かにこの仮説形成推論は間違っています。「福山雅治は男である。私は男である。ゆえに、私は福山雅治である」という言葉が流行ったことがありますが、これは帰納推論の誤った使い方で、僕たち人間でもそりゃちがうだろwって思います。が、三段論法としては正しいような気がしてしまうけどありえないから面白いわけですよね。一方、こうした推論を全く行わないチンパンジーからしたら、何言ってんの?って感じになるわけです。
チンパンジーだけではありません。あるサルは蛇を怖がります。そして蛇が通ったところに這った跡が残ることも知っています。ですが、這った跡をみても怖がりません。「蛇が通ると這った跡ができる」というルールから「這った跡があれば蛇が通った証拠である」という推論は、演繹推論では成り立たないからです。
人間は誤りだらけの帰納推論や仮説形成推論をあたりまえのように使っています。コップとスプーンが置いてある状態で、子どもに「スプーンをとって」と頼んだとします。この時、子どもがコップという言葉を知っていて、スプーンという言葉を知らない状態だったとしても、かなりの精度でスプーンをとってくることができています。
これも「コップはこれである」「これでないものがスプーンである」という誤った推論の結果です。
いずれにせよ、対称性推論による(論理的には正しくない)逆方向への一般化は、言語を学び、習得するためには不可欠なものであるし、我々人間の日常の思考においても、科学の中で現象からその原因を遡及的に推論する因果推論においても必要なものである。
帰納推論・アブダクション推論という誤りを犯すリスクのある非論理的推論が持つ利点をあらためて考えよう。先述のように、これらの推論は、既存の限られた情報から新しい知識を生み出すことができる。しかも、より少ない法則や手順で多くの問題を解くという節約の原理にかなっており、不確かな状況、能力的な制約の下で、限ら手た情報でも、完全ではないにしろそれなりに妥当な問題解決や予測を可能にしている。
また、事例をまとめるルールを作ることで、外界の情報を整理・圧縮することが可能になり、情報処理上の負荷を減らすことができる。現象からその原因を遡及的に推理し、原因を知ることで、新しい事態にも備えることができるのだ。
ヒトは、居住地を全世界に広げ、非常に多様な場所おに生息してきた。他方、そのために多くの種類の対象、他民族や自然などの不確実な対象、直接観察・経験不可能な対象について推論・予測する必要があった。未知の脅威には、新しい知識で立ち向かう必要があった。この必要性を考えれば、たとえ間違いを含む可能性があってもそれなりにうまく働くルールを新たに作ること。すなわちアブダクション推論を続けることは、生存に欠かせないものであった。アブダクション推論によって、人間は言語というコミュニケーションと思考の道具を得ることができ、科学、芸術などさまざまな文明を進化させてきたと言えるかもしれない。
引用:言語の本質
演繹推論は間違いなく正しい結論を導くことができるけれど、発展性がない。ルールが直接的に通用する場面でしか成り立たない。一方、帰納推論や仮説形成推論は間違いがおこる可能性もあるけれど、新しい仮説やルールを導いたり、ルールにない事柄に応用したりすることができます。
これが人間だけが言語を持っている理由です。鳥類やサルの中には音声コミュニケーションを行うものがいますが、すでにあげた言語の十大原則を満たしているわけではありません。その場のことをただそのまま伝えることしかできず、無限の意味を表現するため自在に生み出したり、今ここにないものを話題にすることもできないんです。
なぜ人間が無限の意味や今ここにないもののようにあやふやなものを表現する言語を持てたのか。それは人間だけが、帰納推論や仮説形成推論といった誤りの可能性のあるあやふやな推論を行うからです。
ちなみにチンパンジーの中には特異的に帰納推論ができる個体もいることが実験で確かめられています。ですが単純な社会の中で、帰納推論は特別メリットになりません。むしろ誤りの可能性があるのでデメリットの方が大きいくらいです。なので、特異的に帰納推論をもった個体が生まれても、種全体に広がっていかないんです。人間の脳だけが特別高性能なわけではなく、ただどこかで特異的に帰納推論できる個体が生まれ、人間社会の中ではそれが有利だったから広がったというだけなのかもしれませんね。
言語の本質というタイトルでオノマトペ研究から始まっているので、どこに結論を持っていくのかと思いきや、人間の進化、それも人間の脳が特別上等だからという結論ではなく、サルでもたまに持っているけど、誤りがあるので種全体には広がらない穴だらけの推論方法を人間が使っている、だから言語を身につけた、という結論には驚きでした。
「浮気人類進化論」という本でも、人間が言語を持った理由は、頭がいいからではなく、浮気をする社会性が元になっているという話がありました。そう考えると、人間がここまで発展してきたのは単なる偶然ということがわかりますし、何より、穴だらけの推論方法、間違った判断や感情的な行動、全部愛せる気がします。
この記事を書いた人
- かれこれ5年以上、変えることなく維持しているマッシュヘア。
座右の銘は倦むことなかれ。
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