集合知の時代に体系知を養う佐藤優の「読む力を鍛える」

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こんにちは。夫です。
今日紹介するのは佐藤優さんの「読む力を鍛える」です。

佐藤優さんといえば、外務省で外交、諜報活動に関わりながらもいろんな疑惑、事件に巻き込まれて失職。そこから作家として数々の本を書いたり、雑誌に掲載されたりしています。僕はよく雑誌で見かけていましたが、著書を読むのは初めて。政治専門かと思えば、哲学や宗教、さらに芸術まで幅広い”知”を持つ方です。

駅中の小さな本屋さんに暇つぶしに立ち寄って、電車の中でもさらっと読めそうな本を探している時に出会ったのが本書。

「読む力」という言葉に惹かれました。

書く力、話す力について書かれた本は多いですが、読む力についての本って意外と少ないですよね。それだけみんな読む力は当たり前に持っていると思い込んでいるんです…

ちょっと興味を持って最初数ページを読んでみると、こんな言葉がありました。

「読む力」は表現力の基本だ。「読む力」以上の「聞く力」「話す力」「書く力」を持っている人はいない。

そして、本書を書くきっかけになったエピソードが書かれています。

この2、3年、不思議な質問を受けることが多くなった。「ベストセラーになった本を手に取ってみても内容がわからない」という質問だ。
具体的には、何人もの人からトマ・ピケティの「21世紀の資本」、又吉直樹の「火花」、宮下奈都の「羊と鋼の森」、池上彰/佐藤優「大世界史」などを買って読んでみたが、字面を追うことはできるが、意味をよく取ることができないという相談を受けた。

耳が痛いエピソードですね…僕も最近、ちょっと難しそうなベストセラーを敬遠してきた気がします…

佐藤優さんは、日本人の読む力が低下している要因がスマートフォンにあると考えています。スマートフォンを手に入れて大量の情報にアクセスできるようになりましたが、SNSのような短いコミュニケーション、飛ばし読みされる前提で短く作られたネットメディアの記事、そうしたものに触れ過ぎているせいで、読む力が急速に低下しているんです。

佐藤優さんは難しい本が読めないことが問題なのではない、と言います。例えば、マルクスの資本論を理解するには当時の社会情勢を知らないといけませんし、かなり専門的な経済学の知識が必要になります。

そういうのが読めないのは仕方ないとしても、トマ・ピケティの「21世紀の資本」は難しい数式もありませんし、平坦な言葉で書かれています。
つまり、足りないのは知識ではなく、論理展開を掴む力、単純な「読む力」ということです。

でも先ほど書いたように、「読む力」以上の「聞く力」「話す力」「書く力」を持っている人はいません。
佐藤優さんは「読む力」の低下がきっかけとなって、日本人の知的能力全体が低下してしまうことを危惧されています。すでに「反知性主義」と呼ぶべき状況も起こっています。本屋さんの話題書コーナーには日本礼賛本や陰謀史観など、客観性、実証性よりも「こうだったらいいのにな」という態度の本が並んでいます。
この、客観性や実証性を軽視して、自分が望んだ情報、自分に都合のいい理解を求める態度を「反知性主義」と呼んでいます。

本書では、具体的に「こうすれば読む力が養われる」ということは書かれていません。もっと本質的に、百科事典や古典哲学など、”知の結晶”を読み解きながら、「こうして読む力を鍛えていくんだ」ということが書かれています。なので、メソッドをわかりやすくまとめるタイプの本ではありません。この記事では本書の中から面白い部分をピックアップしていきますが、ぜひ本書を手に取ってみてください。原文を読む方が間違いなく「読む力」を養うきっかけになります!

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更新されない情報|時代の視点を残す

本書ではまずウィキペディアと百科事典の違いについて、さまざまな視点から書かれています。
ウィキペディアは集合知に重きをおいたもので、多くの人が自由に編集すれば、最終的に質が高く、正しいものが残るはずだという前提に立っています。
一方、百科事典は体系知に重きをおいています。体系知とは、知識には必ず根拠があり、体系的に辿ることができる、という前提のものです。だから百科事典は、その時代の専門家が、その時代において正しいとされたことを体系的にまとめたものになります。

集合知が悪くて体系知が良い、という話ではありません。どちらにも一長一短があります。いろんな意見、最新情報が知りたい場合は集合知が向いていますし、正確な情報を、関連する情報や根拠まで含めて知りたい場合は体系知が向いています。

本書では、ウィキペディアと百科事典を引用して具体的な違いを紹介したり、その内容がどう変わってきたのかなどが紹介されていました。

その中で面白いのが「ロボット」に関する項目です。
今僕たちが「ロボット」という言葉を聞くと、工場で動いている機械などを想像すると思います。

でも、1931年の大百科事典でロボットを引くと、ゴーレムや人造人間といった意味合いで説明され、「自動的に操作する機械の総称になろうとしている」と書かれています。
つまり、当時ロボットと言えば、ゴーレムのような空想上の存在を指すもので、最近新しくできた自動販売機のような自動で動くものをそう呼び始めたということがわかります。

そして今の百科事典でロボットを引くと、「現在一般にロボットという言葉は無人装置、自動制御などと同じ意味に用いられている」と定義した上で、ゴーレム的な意味でのロボットは歴史上の話として書かれています。
その後、産業用ロボット、知能ロボット、その他のロボット、ロボットの諸問題と各論を定時していきます。

このことからわかるのは、80年以上前と今では、ロボットという言葉の意味が全く違っているということです。
知識は時代によって変わります。当時、自動販売機でも最先端の機械で、そうしたものをロボットと呼ぶのかどうかも曖昧でした。でも今では人工知能によって将棋のチャンピオンに活用なロボットもあれば、複雑な機械の組み合わせである自動車を自動で組み立てるロボットもあります。

でもこうした変化がわかるのは、百科事典がその時代において正しいとされていることを体系知としてまとめているからです。
現在のウィキペディアにもロボットの歴史としてゴーレム的な意味合いに触れていますが、今そうした意味で使われているわけではありません。集合知のウィキペディアは多くの人が正しいと認めたことが、正しいとされるので、10年、20年後にはゴーレム的な意味合いが消えているかもしれませんし、ロボットという言葉がどのように変化してきたのかもわかりません。

読む力がある人は何が意見で、何が事実なのか、これは今だけ正しいことなのか、これからも変わらず正しいことなのかを判断することができます。そのためには、ウィキペディアやネットメディアのように集合知を前提としたものを読むよりも、百科事典のような体系知を前提としたものを読んだ方がいいでしょう。本書では実際に百科事典のロボットの項目を引用して、詳しく書いてくれているので、中身がどのように変化したのか実感できます。

ヘーゲル的哲学視点で現代の問題を見る

本書は大きく、前半で百科事典について、後半でヘーゲルの哲学的視点について書かれています。

ヘーゲル。18世紀の哲学者で、名前は聞いたことがあると思います…ヘーゲルの弁証法に関する本は僕も読んだことがあります。でも、日本人がわかりやすく書いてくれたものは読めますが、原著なんて読もうと思ったこともありません…

佐藤優さんもヘーゲルについて、

ヘーゲルは難しい。ヘーゲルが読めるようになれば、古典だったらカントやフッサール、現代物だったらハーバーマスやルーマンも読めるようになるでしょうが、日本は哲学教育をほとんどしないので、大半の人がヘーゲルの本を見ると、まずその文体に驚いてしまって読み進めることができません。

と言います。ちなみにフランスやイギリスでは中等教育で哲学教育があり、理系文系を問わず哲学を必須にしている大学も珍しくないのだそうです。

体系的な知識という意味で、哲学に勝るものはほとんどないと思います。哲学と言えば思考や倫理に焦点があるように見えますが、本質的には心理を追求する試みなので、数学や物理、化学も含んだ知の結晶です。

じゃあそんな哲学をどうやって理解したらいいのか。佐藤優さんはまず哲学の型と流れを抑えろと言います。
どんな学問でも、必ず型と流れがあります。常に先人の意見を学び、それを批判したり、発展させたりして最新の学問になります。

哲学教育を受けておらず、哲学の型も流れも知らない僕たちが最新の哲学や過去の哲学者が書いた本1冊を読んでも、理解できないのは当然なんです。

じゃあどうすればいいのか?ということですが、佐藤優さんが哲学の型や流れが学べる本をいくつか紹介してくれています。
哲学の研究者でもない一般の人が読みやすいものを厳選しているので、ぜひ気になったものをいくつか読んでみるといいかもしれません。

「ソフィーの世界」は僕も読んだことがありますが、物語調なので読みやすかった記憶があります。また読み返したらIntro Booksでも紹介しますね。堅苦しいのが苦手な人にもおすすめなのが「哲学に何ができるか」らしいです。僕も堅苦しいのは嫌なので、これを読んでみようと思います。

と、ここまで書いてきて結局、哲学を学ぶとなんの役に立つのか?が大事ですよね。それについても佐藤優さんが教えてくれています。

ひとつのことが立場によって違って見えるというのは、まさにヘーゲルの世界です。ある当事者にはこう見えて、また別の当事者からはこう見えて…と常に複線的な思考を行うことが、ヘーゲルのものの見方なのです。
「精神現象学」は、ある仮説を立て、結論を出し、また考えなおして…という、いわば思考のプロセスを延々と続けます。すべてはプロセスであるから、「精神現象学」はくねくねと長大に展開していきます。私から見るとこう見えて、別の人からはこう見えて、全体像を鳥瞰しているであろう読者諸君からはこう見えるでしょう、という議論を続けていくのです。

複線的な思考は、まさに現代に足りていない知ではないでしょうか。社会の分断や格差が問題になっていますが、結局のところ、意見や立場が違う人の視点でものをみることができていないことが要因だと思います。
ヘーゲル的な思考を学ぶと、現代の複雑な問題、異なる意見が乱立するネット情報の中で冷静に”自分にとって・相手にとって・社会にとって”違うスケールでの最適解を見つけるために役立ちます。

正義が武器になる時代に生きる

ということで今回は、ざっくりとですが佐藤優さんの「読む力を鍛える」を紹介しました。

読む力に関するノウハウや技術が学べるかと思ったら、体系知を養うために百科事典を紐解き、多視点的な思考を身につけるために哲学書を紐解くという、予想外のアプローチでした。その分、本質的で、本書のタイトルが「読む技術」ではなく「読む力」である理由がわかります。

序盤に引用した文章をもう一度引用します。

「読む力」は表現力の基本だ。「読む力」以上の「聞く力」「話す力」「書く力」を持っている人はいない。

この一文に出会えただけでも、本書を読んだ価値があると思います。本書を読んだだけで読む力が身に付くわけではありませんが、読む力の重要性は十分に伝わりました。

コロナ禍で「分断」という言葉が広く浸透してしまいました。ただの意見の違いが、敵と味方に分けられ、無茶苦茶な陰謀論が人命や政治を動かすほどの力を持ってしまいました。

情報は溢れています。科学技術も発達して、大体の問題には答えが見つかりますし、便利な技術もたくさんあります。

足りないのはなんでしょうか?

誰かの正しさが暴力的な正義の武器になる。佐藤優さんは日本人の読む力が低下していると書かれていますが、僕はコロナ禍で世界中の読む力の低下が明らかになったと思います。

情報源が明らかではない情報を信じてしまったり、異なる意見を間違いだと決めつけたり、読む力の低下が思いやりや心の余裕をなくし、なんとなく息苦しい時代を作っているように思えます…

そんな時代に真っ先に身につけるべきは「読む力」ですね。
僕も普段から本を読む方ですが、本書で紹介されている哲学書など体系知の本、普段自分が読まないタイプの本や自分と違う意見の本も積極的に読むようにしたいと思います。

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この記事を書いた人

かれこれ5年以上、変えることなく維持しているマッシュヘア。
座右の銘は倦むことなかれ。

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