「13歳からのアート思考」から音楽にできることを考える

「13歳からのアート思考」から音楽にできることを考える ビジネス・マーケティング

こんにちは。夫です。

夫

僕はギターやピアノを弾いていて、現在もバンド活動を続けるミュージシャンでもあります。イベントを企画したり、新しい音楽を作ったりと自由気ままに楽しんでいるのですが、「音楽」という観点から衝撃的な本と出会いました。

それが今回紹介する「13歳からのアート思考」です。

この本はすごかった。いちミュージシャンとして、この本を読んで「もっと音楽には可能性があるんじゃないか?」といろんなアイデアが浮かんできました。ということで今回は、いつものように本の内容を紹介するだけでなく、「13歳のアート思考」から、音楽にできることを考えていきたいと思います。

夫

僕の音楽活動はここ2年ほどで大きく変わりました。コロナが始まってから多くのミュージシャンが同じ状況でしょう。そんな状況を打破するヒントになるんじゃないかと思います。かなり長くなったので2回に分けて紹介しますね。

後編はこちら

13歳からのアート思考の概要

「13歳からのアート思考」というタイトル。アート思考は最近ビジネス界隈でもかなり人気で、一時期は「週末に美術館に行くビジネスパーソンは年収が高い!」みたいな記事が出て、美術館に行くことが流行った時期もありました。

夫

因果関係がめちゃくちゃなので、そういう記事を読んで美術館に行く人は多分出世しないだろうなと思ってたものです 笑

美術館に行けば収入が上がるのかはさておき、「アート思考が重要である」というのはアーティストだけでなくビジネスシーンでも常識になりました。

しかし著者は、多くの人は13歳頃にアートが嫌いになって、アート思考を失うと言います。ピカソも「子どもは誰でも芸術家だ。問題は、大人になっても芸術家でいられるかどうかだ」という有名な言葉を残していますよね。

夫

思い返せば子供の頃、拾った木の棒で丸一日遊んでました。一つの木の枝が魔法の杖になったり、伝説の宝剣になったり、忍術の道具になったり…今だったら北欧家具に使われる高級な木の棒でもそんなに時間は潰せません。誰でも子ども時代は自由なアーティストだったんです。

本書の冒頭で、そのことを実感できる実験があります。次の画を鑑賞してみてください。

13歳からのアート思考:クロードモネ睡蓮

クロード・モネ(1840~1926年)
「睡蓮」
1906年ごろ/キャンパスに油彩/大原美術館所蔵
印象派の中心人物と知られるモネが、彼が愛した水生植物の睡蓮を題材に、季節や時間とともに変化する光の効果を捉えた一連の絵画作品の1つ。岸や空を描かず、大胆に水面だけを描いた構図からは、日本美術の影響も感じられる。

どんな感想を持ちましたか?

「へえ、日本画の影響を受けているんだ」「一連ということは他の睡蓮もあるのか。確かにモネといえば睡蓮だよな」「岸や空を描いていないことがミソなのか」などと思ったと思います。

実はこれ、絵画を見ているんじゃなくてその下の解説文を見ているだけなんですよね。つまり、僕たちは1枚の絵画すらじっくり見れないのです。

夫

僕も美術館にはよく行きますけど、解説のある画とない画では見ている時間がぜんぜん違うんですよね…画からなにかを感じようとするより、解説文からなにかを学ぼうとしているんでしょうね。そしてそれはアート思考ではない。

じゃあ子どもはどうなのか?本書では面白いエピソードが紹介されています。

あるとき子どもが睡蓮を見て「カエルがいる」と言ったそうなんです。頑張って探してもカエルなんて描かれていません。どこにいるのか聞いたら「今は水に潜っている」と答えたそう。

これこそアート思考であると。

夫

なるほど。説明文を読んで納得するのはただの確認作業で、自分なりのものの見方や考え方を見つけ出すアート思考とは全く違う。画集を何冊か持っていますが、恥ずかしい。説明文ばかり読んでいました…

アート思考の正体

僕たちは絵画を観てもアート思考ができていない。では、アート思考とは一体なんでしょうか?著者はアート思考「完全なタンポポ」に例えています。

タンポポの花をイメージしたとき、黄色い花だったり、白い綿毛を想像すると思います。でも、実はタンポポが咲いているのは1年のうち1週間ほど。その後綿毛になって、ふわふわ飛んでいって、どうなるか。実は1年の大半は根だけになって地上から姿を消しています。

つまり、タンポポと聞いて思い浮かべる黄色い花や綿毛はタンポポのごく一部でしかない。目に見えない地下に根が伸びていて、そここそが本質であり、そこに目を向けるのがアート思考だというわけです。

13歳からのアート思考より

13歳からのアート思考より

13歳からのアート思考」ではこんな図で表現されています。地上に見える部分は「表現の花」、つまり作品です。絵画だったり彫刻だったり音楽だったり色々ありますが、最終的に出来上がったもの。それが「表現の花」です。

夫

そして「表現の花」の地下には「興味のタネ」があって、そこから「探究の根」が伸びています。「表現の花」を見て、「興味のタネ」や「探求の根」に目を向けるのがアート思考なんです。

例えばルネサンスの巨匠ダ・ヴィンチは「目に見えるものすべてを把握する」という興味のタネを持っていて、そこから探求の根を伸ばしていきました。その過程で人体を解剖したり、科学を探求したりと色々やった結果、遠近法やスフマート技法を生み出し、「モナ・リザ」という表現の花を咲かせたのです。

夫

表現の花は絵画という形に限りません。ビジネスでは商品は具体的な施策が表現の花になるでしょう。当然ですが商品や具体的な施策を真似ても成果は出ません。成果を出すためには、その地下にある興味のタネや探求の根に目を向ける。つまりアート思考が欠かせないんです。

で、ここからアート思考について色々教えてくれるのですが、本書の素晴らしいところは大量の作品を並べたり、アート思考のメソッドを紹介したりするのではなく、「アートの歴史を変えた6つの作品」に着目して教えてくれるところです。

そう、6つだけです。でも人々に衝撃を与え、アートの歴史を変えた6作品です。ミュージシャンでいうならレッド・ツェッペリンやQUEEN、The Beatlesとかですかね。彼らが出てきたとき「え、そんなのありなの?」となったわけです。QUEENは「ラジオで3分以上の曲なんて聞くわけねえだろ」って言われながらも6分くらいあるボヘミアン・ラプソディを作りましたし、レッド・ツェッペリンは第一印象が重要だった音楽において「聴けば聴くほど味が出る」音楽を作って一時代を築きました。

アートの歴史を変えた6つの作品から「表現の花」だけでなく、興味のタネと探求を深掘りし、アート思考の練習ができるわけです。

夫

これから「13歳のアート思考」で紹介されている6つの作品と、それをヒントに僕なりの「音楽にできること」を簡単に紹介したいと思います。

アンリ・マティス 見たものそのままが正解じゃない

まず紹介する作品は20世紀のアートを切り開いたアーティストと呼ばれるアンリ・マティスの「緑のすじのあるマティス夫人の肖像」です。

まずは作品そのものをどうぞ。

画像:緑のすじのあるマティス夫人の肖像

画像:緑のすじのあるマティス夫人の肖像

夫

一旦そのまま見てみましょう。お世辞にもキレイな画とは言えません。線は荒いし、色はめちゃくちゃです。背景もなにか意味があるのか3色に色分けされていますが、問題は顔ですよね。真ん中に緑のすじがあって、その左右で肌の色も質感も違う。

この作品が公開されたとき、「妻の公開処刑」とまで言われたそうです。でもそれは「表現の花」だけ見た場合で、アート思考とは言えません。大切なのはマティスがどんな興味のタネをもって、どんな探究の根を伸ばしたのかです。

時代背景を説明すると、この作品が公開されたのは1905年です。この頃、世界的に大きな発明が一般に普及してきました。「カメラ」です。

それまでの絵画作品は宗教や貴族、裕福な市民のためのものでした。教会は聖書にあるワンシーンを描かせ、貴族は自分の肖像を描かせ、裕福な市民は自分たちの日常を描かせました。

確かに、授業で習う作品の多くが宗教画か肖像画か、風景画です。これらが何をしたかったのかというと、残したい、伝えたい一瞬を画にしたかったんです。貴族だったら肖像画を描いてもらって数世代後も「うちの先祖、こんなんだったんだぜ」とか、風景画だったら「うちの地元ののどかな風景を都会のやつらにもみせてやろうよ」とか、そういう目的で絵を描いていたわけです。

ただ、カメラの登場で見たものを正確に表現する、一瞬を切り取るという役割を絵画が担う必要がなくなった。一瞬をそのまま切り取るなら圧倒的にカメラのほうが強い。有名な画家もカメラを見たときに「今日を限りに絵画は死んだ」と言ったそうです。つまり、アートのこれまでの役割は写真に取って代わられた。新しいアートの役割を見つける必要が出てきたわけです。

ここにマティスの挑戦があるわけです。

それが「見たままを正確に表現しなくていいんじゃない?」という問いかけです。

マティスは「緑のすじのあるマティス夫人の肖像」を描くとき、美しい妻の肖像を残したいとは考えませんでした。その役割はカメラに任せたらいい。実物を参考にする必要はなく、色も質感も好き勝手にすれば、写真には表現できない何かができると考えたのです。

夫

「うちの妻は左右で肌質が大きく違うわけじゃないんだけど、別によくない?肌質が知りたいんならカメラで撮ればいいじゃん。せっかく面白い絵の具と変わった筆があったからそれを使ってみたんだよ。それってアートにしかできないでしょ?」みたいな感じでしょうか。

マティスは「見たものを正確に表現する」という絵画の役割を壊しました。その代わり「カメラにできないことやろうよ」というコンセプトを創ったのです。

著者曰く、この作品から現代アートが始まったんだそうです。

音楽にとって”正しい”とはなんだ

ということで、マティスの「緑のすじのあるマティス夫人の肖像」から、音楽について考えていきましょう。

マティスの投げかけた問いは抽象化すると「正解ってなに?」ということになると思います。よくよく考えると、音楽はこの問いを何度も繰り返しています。例えばQUEENは「売れる音楽の長さは3分半くらい」という正解に対し、「いや、ボヘミアン・ラプソディは6分くらいあるけど売れたやん」と反論したわけです。

音楽は「こうあるべき」という常識のぶち破りの連続です。少し前の日本だとゴールデンボンバーもそうですよね。「バンドなのに演奏しないの?」ってツッコミたくなりますが、「バンドは演奏するもの」という正解を壊してきたわけです。初期のボーカロイドとかもそうですよね。もともとなんのために使えるのかもよくわからなかった技術を、ボカロPと呼ばれる人たちがどんどん曲を創っていき、一つのジャンルにまで成長しました。「ポップミュージックは人間が歌うもの」という正解を壊してきたわけです。

夫

では、今ある音楽の正解を壊すことができるか。これがアート思考ですね。「音楽の正解を壊したい」という興味のタネから、色々調べたり経験したりして探究の根を広げ、何らかの形で表現の花を咲かせたいと思います。

色々考えてみても新しいものはパッと思い浮かびませんでした(簡単に浮かんだら苦労しません 笑)。でも僕は音楽の正解を壊した面白い取り組みとして、落合陽一氏の「耳で聴かない音楽会」を思い出しました。メディアアーティストの落合陽一氏(2025大阪万博のプロデューサーにも選ばれたすごい人)が2018年に開催した取り組みで、聴覚障害者も楽しめるクラシックコンサートとして話題になりました。

夫

「SOUND HUG」という音楽に合わせて光ったり振動したりする球体を抱いて音楽を聴覚以外の感覚で感じる音楽で、かなり衝撃を受けたことを覚えています。

「音を抱きしめたことがありますか?」「あなたの体が耳になる」という最高にキャッチーな製品で、イベントでレンタルすることもできるらしいです。「音楽は耳で聞くもの」という当たり前過ぎて壊しようがなさそうな正解を、振動と光で感じるという方法でぶち壊したのです。

でもよくよく考えると、僕のようなバンドマンからしたら当たり前の感覚です。ミュージックビデオは視覚と聴覚の両方で楽しむコンテンツだし、ライブハウスの爆音は間違いなく皮膚を揺らし、触覚に届きます。照明や匂いなど、音以外のあらゆる要素がライブハウスにはあります。
そこに目を向けて「音楽は音を楽しむもの」という正解から「音だけじゃない」「音以外の要素を楽しむ」と考えたら、新しい発見があるかもしれません。

夫

コロナ禍でライブ配信が増えましたが、「音楽は音を楽しむもの」とだけ考えたらライブ配信で十分です。でも匂いや音の振動、その他いろんな空気感に目を向けると、ライブハウスにしかできないことって結構ありそうですよね。

ピカソ 人間の目ってそんなに信用できるのか?

夫

次に紹介するのはピカソの作品です。生涯で15万点もの作品を残し、ギネスブックに「史上最も多作なアーティスト」と認められた画家。1日1作品作っても400年くらいかかります。わけがわからないですね。1日10作品でも40年です。

画像:パブロ・ピカソ「ゲルニカ」

画像:パブロ・ピカソ「ゲルニカ」

ピカソといえば、ゲルニカですよね。教科書にも載っていた作品でドイツ空軍がゲルニカという都市に対して行った無差別爆撃に影響を受けて作られ、反戦のシンボルとして物議を醸したらしいです。

ただまあ僕らの感覚からすると「教科書に載っていたからすごい」とかそんなレベルです。物々しい感じは伝わってくるけど、子供の落書きみたいな人いるし、幽霊みたいに顔だけ浮いてる人もいるし、なんの生物かわからないやつもいる。正直、「戦勝中の無差別爆撃のシーンを書いた絵」と言われなかったら何が描いてあるのかさえよくわからない。
Wikipediaの解説とか読めばある程度わかってくるんですが、そういうものを読むのはただの確認作業であり、アート思考ではない。

夫

でもピカソの作品って多くがそうですよね。キュビズムという画法であることは知っているけれど、何がそんなにすごいのかわからない。子どもなら誰しもピカソの画を見て「下手くそやん!」思ったことがあるはずです。つまり、ピカソの作品も「表現の花」だけ見てもその価値は理解できないということです。

ということで学びましょう。ピカソは何を壊し、何を創りたかったのか。

本書で紹介されている作品は「アビニヨンの娘たち」です。

マティスが「緑のすじのあるマティス夫人」を公開して20世紀アートを切り開いた2年後、1907年に公開されました。

画像:パブロ・ピカソ「アビニヨンの娘たち」

画像:パブロ・ピカソ「アビニヨンの娘たち」

「緑のすじのあるマティス夫人」もなかなか衝撃的でしたが、これはそれ以上にわけがよくわかりません。まずは表現の花としての作品を、ちゃんと見てみましょう。

どうやら5人の人間らしきなにかが描かれています。男か女か僕には判別できない人がいますが、娘たちというタイトルからも女性を描いているのでしょう。

まず一番左の女性。顔だけ黒いし、真横向いてるのに視線がどこ見ているのかよくわかりません。そして鼻がでかい。右か左かはわかりませんが、片方の足がよくわからないことになっています。頭の上に謎の手が伸びていますね。6人目がいるのでしょうか?
その隣にいて正面を向いている2人の女性はポージングを決めていますが、腕も足もどうなっているのかよくわかりません。
更に問題なのが右側にいる2人の女性です。もう腕の角度とかどうでもいいくらい顔がすごいことになっています。上の女性なんて、人かどうかもわかりません。どちらかというとヒヒみたい。ライオンキングに出てきそう。

中央下には果物的な何かがありますね。手前にある赤いやつは一体どういう形しているんでしょうか。ひねくれたイチゴのような形ですが、隣にあるブドウのようなものと比べると、リンゴくらいの大きさがありそうです。

夫

見れば見るほどわけがわかりません…有名な建築家がピカソの絵を見て「醜いばかりで、観る者の心を萎えさせる」と言ったそうですが、たしかに見ていて気持ちいい絵ではありませんね。でもこれが「20世紀を代表する芸術」とか言われているんです。

なぜこの作品が「20世紀を代表する芸術」と呼ばれているのか。「アビニヨンの娘たち」という表現の花だけを見ても答えは出てきません。どういう興味のタネから探求の根を伸ばしたかが重要です。

ピカソが抱いた興味のタネは「3次元空間を2次元上で表現する優れた手法として”遠近法”が用いられてるけど、それは本当に3次元空間を2次元上に表現できているのか?」です。

絵画とは何らかの3次元空間にある何らかのシーンをキャンパスという2次元上で表現するものです。そのときに使われるのが遠近法ですね。ルネサンスの頃から常識的に使われてきた遠近法に対して、「それは違うんじゃないか」と問いかけたのです。

画像:遠近法

画像:遠近法

こういう図を見たことがあると思います。何かを描くとき、僕たちは当たり前のように遠近法を使います。直感的にもそれが正しく、現実世界を表現できているように思えます。
遠近法の基礎になっているのは「視点」です。遠近法とはそもそも、特定の視点から見たときに現実に沿った見え方をするように描く技法です。自分が見た状態をそのまま正確に表現するときには非常に合理的です。しかし、すでに紹介したようにその役割はカメラに奪われました。

夫

遠近法で世界を表現するならカメラで十分。じゃあ、本当に3次元空間を2次元で表現するときに、遠近法で十分なのでしょうか?

ということでこの画像を見てください。

画像:サイコロの画 どっちがより”リアル”か

画像:サイコロの画 どっちがより”リアル”か

サイコロを2つの方法で表現しました。サイコロは3次元空間のものですが、それを2次元上に表現しています。片方は遠近法を使って描いたもので、もう片方はよくあるサイコロの分解図です(サイコロの目を上手くかけなかったのでちょっと違和感がありますがご愛嬌)。

どっちが「リアル」かと聞かれたら、多くの人は遠近法を使った方を選ぶと思います。だって、実際に見たときはそういうふうに見えますから。
でも、遠近法を使った状態だと「その視点」からの立方体しか見えません。サイコロの裏側がどうなっているかわからないわけです。3次元空間であれば、持ち上げて裏を見るか、自分が裏に回ればいい。でも2次元上ではそれができません。つまり、3次元空間を遠近法を使って2次元上に表現した場合、特定の視点以外の情報が失われてしまうんです。

ピカソは「遠近法はリアルじゃない」と考えました。むしろ、分解して平面にした図のほうが、サイコロの実態をよく表しているのではないか?と考えたわけです。
ピカソは「アビニヨンの娘たち」で、多数の視点から見た3次元空間を2次元上に表現しました。腕の角度がおかしかったり、肌の色が違ったりしたのは、別の視点からみたものを組み合わせたからなんです。

夫

正直、そういう説明を受けても納得いかない部分は多いです。どんな角度から見てもそうならないでしょう…という顔がある気がします 笑

でも「遠近法って本当に正しいか?」という問いに対して咲かせた表現の花と考えると、ピカソのわけがわからない絵も少し理解できた気がします。
「リアル」に対する問いかけ。これがピカソがやりたかったことです。遠近法の基となる考え方は紀元前5世紀ごろからあり、15,6世紀ごろにレオナルド・ダ・ヴィンチが手法として確立しました。つまり、数万年前の壁画に始まったアートの歴史において、遠近法が常識とされていたのはこの数百年のことでしかないのです。

夫

エジプトの壁画とか、ありえない手の角度、不自然なポーズで平面的に描かれていますよね。あれも、一種のリアルさなのだそう。見たままでは不完全と考えたエジプトのアーティストたちは、必要な要素をすべて書き出して1枚の画に表現しました。1つの視点だと角度によって片方の手が見えなかったりしますが、それでは不完全だったのです。腕は同じ長さのものが2本、指は5本あるもの。それを表現することが、彼らにとっての「リアル」だったわけです。

音楽にとって”リアル”さはなにか

ここから音楽について考えるのはすごく難しい。言葉にすると常識を疑うという単純なことですが、疑えないから常識なんです。
ただ当たり前を壊してきた人が音楽業界にもたくさんいます。僕が思いついたのは秋元康氏。作詞家、作家、プロデューサーとして活躍されていますが、おニャン子クラブで一時代築き、美空ひばりの「川の流れのように」で全く違うジャンルでも地位を確立されました。そしてAKBグループです。日本の音楽シーンを語る上で欠かせないですよね。

秋元康氏がどんな当たり前を疑ったか。これは僕の私見ですが「プロフェッショナルであること」だと思います。音楽家、ミュージシャンってプロの領域です。才能に恵まれ、厳しい訓練を積み、人々から尊敬を集める存在、それがミュージシャンだったわけです。アイドルもものすごい倍率のオーディションを乗り越えて訓練を積んでデビューさせることが当たり前だった時代。

夫

そんな中、秋元康氏は「普通の女の子で良くない?」って考えたんでしょうね。厳しい訓練を積んで才能に満ち溢れた完成された存在より、普通の人が頑張って成長していく姿のほうが感動的じゃないか?と。

これが衝撃的でした。昔から売れてないアーティストを見つけてその人達の成功を願う、みたいな層はいましたが、あくまでも「才能も実力もあるのにまだ認められていない」人を見つけたい、という感じですよね。一方、AKBグループは「クラスに一人や二人はいるくらいの女の子ががんばります」というスタンスです。

「アーティストはプロフェッショナル」という当たり前を疑ったのが秋元康氏。

ではピカソが行った「一度分解して再構築する」というアプローチはどうでしょうか。これも私見ですが、僕が知っているアーティストではKing Gnuや藤井風、YOASOBIなんかが近いことをやっているように思います。

King Gnuはロックなど芸術的要素が強い音楽をポップスというジャンルで再構築しています。だから新しい。藤井風は逆にポップスを分解して違うジャンルに昇華させているように思えます。YOASOBIもわかりやすいですよね。小説とか、他カテゴリの作品を音楽という形に昇華させています。

こういうアプローチ、自分に何ができるかなって考えたとき、パッと思いついたのは「リスナーが創るミュージックビデオ」。

ミュージックビデオって何時間も複数のカメラで大量に撮影して、かっこよく編集して集約された状態で公開されます。例えば、演奏シーンメインのミュージックビデオの場合、ボーカルのカットが圧倒的に多いと思います。でも中には、ベーシストのカットがもっと見たいという人もいますよね。ギターソロの時はギタリストのカットが増えますが、そのときにボーカルがどう振る舞っているのかみたい人もいるはずです。

ピカソは遠近法に対して「それは1つの視点から見たときの正解であって、情報量が少ない」と考え、「いろいろな角度で見たものを再構成したほうがよりリアルである」と考えてキュビズムを開発しました。
そう考えると、ミュージックビデオは作り手にとっての1つの正解であって、それぞれのリスナーにとって正解ではないと考えられます。

夫

ライブの魅力ってここですよね。ステージのどこを見るかはリスナーが自由に選べる。場所によって音が違ったりするけど、それもリスナーの好みで選んでいい。

ミュージックビデオに限らず、完成された作品にはこういう余裕が少ない。提供者が「これが一番良いと思う」というものをリスナーに押し付けているとも言えます。

どう実現すればいいのかわかりませんが、最近はブラウザで使える動画編集ツールも充実しています。なので、編集前のカットを提供して、リスナー自身が好きに組み合わせて自分にとって最高のミュージックビデオを創ったりできるものがあってもいいかもしれません。

夫

「アーティストが完成させたものをリスナーに届ける」という常識を「リスナーの好みで作品を完成させる」という風に変えられたら面白ですですね。1億総クリエイター時代。「自分なりの作品」を創りたい人は多いと思いますし、多様性の時代らしくて面白くなりそう。

アート思考で常識を再構築する

ということで今回は「13歳からのアート思考」から、アート思考そのものについてとアンリ・マティスとパブロ・ピカソ、2人の作品を紹介しました。

夫

それぞれについて僕なりにアート思考をやってみて、自分の趣味でもある音楽で何かできないか考えてみました。もう新しい音楽なんて必要ないくらい、大量の音楽が世の中にあります。常識に囚われると音楽にできることが見えなくなりますが、アート思考をしてみるとまだまだ余白がありそうです。

今回は僕の趣味の音楽を中心に考えてみましたが、この2作品から学べることだけでもアート思考の重要性が見えてきた気がします。

普段の仕事でも同じですよね。大きな成果は常識を疑ったり、新しい価値、役割を見つけたことから生まれます。作業労働の価値が下がり、知的労働の価値が上がる今、アート思考はExcelより重要なスキルだといえます。

夫

後半ではあと4つの作品からアート思考を深掘りしていきます。ピカソより難解な作品が出てくるので、ぜひ楽しみにしてください。アート思考という点では、以前紹介した「知覚力を磨く」もおすすめの一冊です。

知覚力を磨く|VUCA時代に求められるリベラルアーツの源泉
こんにちは。夫です。 夫 今日紹介するのは以前から気になっていた本、神田房枝さんの「知覚力を磨く〜絵画を観察するように世界を見る技法」。タイトルにあるように、アート、絵画を見る力を生活、ビジネスに活かすための方法...
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こんにちは。夫です。 夫 今回は前回紹介した「13歳からのアート思考」の続きです。いきなり本題に入ろうと思うので、アート思考とはなにか?を中心に紹介した前回の記事もご覧ください。 カ...

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