こんにちは。夫です。
今日は「映画を早送りで観る人たち-ファスト映画・ネタバレ、コンテンツ消費の現在形」という本を紹介したいと思います。
僕自身、映画制作に関わったこともあれば、Youtuberとして活動したこともあります。音楽活動もしているので「コンテンツ」とは深く関わってきました。しかし気づけばアラサー。Z世代で流行っているコンテンツもある程度は理解しつつ、ちょっと距離を感じるようになってきました。
そんな中、出会ったのが本書「映画を早送りで観る人たち」です。いわゆる倍速視聴というやつで、Youtubeはもちろん、Netflixにも早送り機能や10秒スキップといった機能が搭載されるようになりました。
本書では、Z世代をはじめとする今のコンテンツ消費について「早送り」という角度から切り込んでいます。早送りというと一つの視聴形態、機能にすぎないと思いがちですが、そこにはコンテンツとの向き合い方、Z世代に代表される現代のコンテンツ消費者の悩みが表れていました。
筆者の稲田豊史さんは元々映画業界のライターで、業界誌の編集長なども務めていました。そんな稲田さん自身、過去には早送りで動画を見ていたことがあるそうです。しかしある時、雑誌の特集でながら見、倍速視聴、会話のないシーンや風景描写を飛ばすが一般化しているということを知り、胸がざわついたそうです。
正直、筆者も胸がざわついた。というより、居心地が悪くなった。なぜなら、かつての自分も倍速視聴にどっぷり浸かった時期があったからだ。
出版社でDVD業界誌の編集部にいた頃、毎月決まった時期に編集部総出で大量のVHSサンプルを視聴する必要があった。ある期間内に発売されるDVD作品の中で、どれがどのくらい売れそうなのかを予測して、誌面での掲載順を決めるためだ。
サンプルが手に入るタイミングは、多くが掲載順検討会議の数日前。会社から終電で帰宅して、翌朝までに2時間の映画を3本見なければいけない日はざらだった。そこで効果覿面だったのが、倍速視聴である。
<中略>
ある日、かつて倍速視聴した作品をDVDレンタルして観直し、愕然とした。作品の印象が全く違うのだ。初見の倍速視聴では作品の滋味を–あくまで体感だが–半分も味わえていなかった。
引用:映画を早送りで観る人たち-ファスト映画・ネタバレ、コンテンツ消費の現在形
筆者自身、仕事で仕方なく倍速視聴を使っていました。作品を観るプロでもそれだと半分も味わえない。それに気付いたからこそ、趣味で味わうための鑑賞で倍速視聴を多様している現状にざわついたんです。
ちなみに僕自身、映画や音楽は倍速、スキップしませんが、Youtubeはかなりの割合で倍速視聴しています。もちろん内容によりますが、岡田斗司夫、中田敦彦、山田五郎、本ようやくチャンネル…知識を得るために見ているものは倍速で効率よく見ています。まあ、見たものの8割は頭に残っていないので効率がいいのかわかりませんが…
それでは早速、本書の内容を見ていきましょう。本書では、なぜ倍速視聴するのか?その理由から現代のコンテンツ消費を探っていきます
- 作品鑑賞ではなくコンテンツ消費:だれが映画を倍速で見ているのか?多数のインタビューで見えてきた作品との向き合い方の変化
- 鬼滅の刃第1話、炭治郎の「助かった、雪だ」に見える作品制作の変化:わかりにくいものは面白くない?解釈の自由度は不親切?作品に間違いのない答えを求める風潮
- 友達の広告化:倍速視聴、ファスト映画、ネタバレサイトはコミュニティの中で存在意義を維持するための生存戦略
映画を早送りで観る人たち
ある映像作品が視聴者にとってどういう存在かによって、「コンテンツ」と呼ばれたり、「作品」と呼ばれたりする。どういう視聴態度を取るかによって、「消費」なのか「鑑賞」なのかが異なってくる。新聞の価値を、食器の包み紙や廃品回収でのキロ単位引き取り額で測る人もいれば、世の中を知るための情報源と捉える人もいる、ということだ。
引用:映画を早送りで観る人たち-ファスト映画・ネタバレ、コンテンツ消費の現在形
本書の主張を要約すると、上の引用部分になると思います。作られた映像などのモノそのものではなく、消費者がそれをどういう存在と捉えるか、どんな態度で向き合うか、それによって視聴方法が変わってきます。
倍速で映画を観る人は、映画を作品ではなくコンテンツと捉え、鑑賞ではなく消費するために見ているのでしょう。ではなぜ、「作品鑑賞」ではなく「コンテンツ消費」が増えてきたのでしょうか?
筆者はそこには3つの理由があるといいます。
- コンテンツの供給過多-現代の人類は歴史上最も、多くの作品を安価に視聴できる時代に生きている。サブスクサービスによって常時数千~数万の作品を1作品あたりの体感は無料で観ることができる。
- コスパ思考-コスパやタイパを重視する風潮により、本を速読するように映像を倍速で観ることを良しとする風潮がある。作品を鑑賞すること自体が目的ではなく、話題についていけるなど別の目的を達成するためにコンテンツを消費している。
- 説明過多な作品が増えた-映像作品は本来、映像で語るものだが、最近の作品は心情や状況を逐一言葉で説明するものが増えている。間や表情、景観によって表現していたものが全て言葉で説明されているため、倍速視聴でも理解することができる。
どれも言われてしまえば確かに…と納得できてしまう理由です。本書ではそれぞれの理由について、若者へのインタビューや業界人の話などから、背景を探っていきます。ではそもそも、どんな人が、どんなふうに作品を観ているのでしょうか?本書で紹介されている幾つかの事例を紹介します。
「ああ、観たよ」って言えるじゃないですか
Amazonプライムやネットフリックスで映画やドラマをよく観るという大学4年生の女性、Aさんはあるドラマ作品をずっと早送りでみて、何か重要そうなところだけ通常速度に戻す、という方法でみているそうです。Aさん曰く、最初と最後がわかればそれでいい、最初と最後が解るための部分だけちゃんとみたら他は飛ばして大丈夫なのだそう。
筆者がAさんに「それで面白かった?」と聞くと、「面白かった」と答え、「面白い作品なら飛ばしてみるのはもったいなくない?」と聞いたら「全然。時間をかけてみたら面白かったより”こんなに時間を使っちゃった”みたいな後悔の方が強くなる」と言ったそうです。
さらにAさんに、時間がもったいないなら観ないという選択肢はないのか?と聞いたら「ちょっとでもつまんで観ておけば誰かが話題にした時に「観たよ」って言えるじゃないですか」と答えたそう。
Aさんは他にもYoutubeのコメントで「◯分◯秒のシーンが良かった」と書かれていたら、そこまで倍速で見てそこだけ通常速度で観るのだそうです。他にも、お目当ての俳優さんが出ているシーンだけ見て他はスキップするのだそう。
僕自身、Youtubeの教育コンテンツは倍速視聴していますが、ドラマや映画を倍速視聴したことはありません。とりあえずつまんでおくについては、「観たよ」っていうより、見ていない方が相手の話を聞いて盛り上がれるんじゃないかって思います。
どうでもいい日常会話
大学3年生の男性、Dさんは、「人間が能動的に集中できる時間は90分だという説があって、平均2時間前後の映画はそれを超えている」という持論を持っています。そんなDさんは普段は早送りをしないものの「どうでもない日常会話とか、ただ歩いているだけのシーン」は飛ばしてみるそうです。会話の内容さえ取りこぼさなければ、話についていけるから問題ないそう。
筆者が「10秒の沈黙には5秒でも15秒でもない、10秒の意図があるのでは?」と聞いたところ「僕が長ったらしいと感じたということはその意図が伝わっていなかったということ」と答えました。
ん〜人間の集中時間が90分だというのはその通りだと僕も思いますが、作り手もそれを理解した上でいろいろ工夫して2時間の映画を作っているわけで…プロの脚本家、監督が伝えたいことを凝縮し切ったのが作品の完成系ですから、「どうでもいい日常会話」なんてものは本質的にない気もしますが…面と向かってそう言われると否定するのも難しいですね…
他にも、例えば東京リベンジャーズで印象に残りそうなケンカシーン以外は大体飛ばしてしまうという人もいました。日常会話の中にケンカに至る理由が語られていたとしても、結局アクション満載のケンカシーンしか記憶に残らないので、飛ばしても問題ないのだとか。
他にもミステリードラマで最初の方で犯人っぽい人が想像できたら、途中を飛ばして最後を観て答え合わせをするという人もいました。
またネタバレサイトなどで結末を確認してから観る人も少なくないようです。
「先に犯人が誰かわかった状態で観たほうが、『この人、犯人なのにこんなことしてるんだ!』みたいな観方が、初見の時点でできるじゃないですか」
ある登場人物の思わせぶりな挙動について、最初から答えが与えられている。確かに、ある種の気持ちよさはある。しかし、何か大事なものと引き換えになっている感も否めない。
<中略>
もし予備知識なしで観て物語の細かいところが理解できなかったり、細かい演出を見逃したりしてしまった場合、モヤモヤが残ってしまう。それを避けるには、最初から教えてもらっておいた方がいい、と。
引用:映画を早送りで観る人たち-ファスト映画・ネタバレ、コンテンツ消費の現在形
これは若干共感できます。僕も以前はミステリーやヒューマンものは2回観るのが当たり前でした。2回目は結論を知った上で観るので、細かな演出や伏線がめちゃくちゃ面白いんですよね。最近は2回観る時間も取りづらくそうした観方は減ってしまいましたが、先にネタバレサイトを見ておけばそうした観方ができるわけですか…筆者がいうように「大事なものと引き換えになっている感」は確かにありますが…
「観たい」より「知りたい」
Youtubeなどで公開されているファスト映画(映画のダイジェストやあらすじをまとめたもの)は法的な問題もありますが、人気コンテンツであることも確か。ある人は、ホラー作品はファスト映画で観るのが大好きなのだそうです。彼女曰く、ホラーは映画館だと怖くて観れないが、ダイジェストだと怖くないから観れるのだそう。
何やら倒錯している。辛いものは苦手だが、辛いカレーは食べたい。だからすごく薄めたカレーを食べた。もしくはスプーン小さじ1口だけ食べた、といったところか。ただしカレー代は払っていない。
<中略>ある女性は、中学生の息子がファスト映画ばかり観ていると嘆いていた。その息子さんは、ファスト映画サイトで作品を漁り、そこで気に入った作品の本編を正規の配信サービスなどで何度も繰り返し観る。彼にとってファスト映画サイトは、スーパーの試食コーナーのような存在なのかもしれない。無料でいくつも食べてみて、その中から気にいったものをレジに持っていく。
引用:映画を早送りで観る人たち-ファスト映画・ネタバレ、コンテンツ消費の現在形
問題は、このようにファスト映画を観る人たちの大半が、ファスト映画の違法性を認識していないことです。筆者がインタビューした人のほとんどが、倍速、スキップ、ファスト映画について一切の悪気がなかったそうです。
他にも、ファスト映画、倍速視聴の理由の一つが「情報収集」です。
僕自身、ニュース番組や知識を得るためのコンテンツは倍速視聴で観ることが増えてきました。毎日モーニングサテライトで相場のニュースをみているのですが、基本的には録画しておいて、放送終了後の時間から1.5倍速でご飯を食べながらみています。
アニメやドラマ、映画なども鑑賞ではなく「情報収集」として観る人が増えているそうです。流行っている映画を「なぜ流行っているのか知るために観る」というやつです。
「いわゆる情強、情報強者としての優越感が根っこにあるのでは内容をちゃんと理解していなくても、『観た』という事実さえあれば批判する資格は得られますから」
知っていた方がマウントは取れる。「マウントを取られる前に取りたい」が、早送りをする人たちのメンタリティの中にある。そして、「知っている」だけでいいのであれば、内容は大体把握していればいい。微に入り細を穿つ、作品を隅々まで味わい尽くすような鑑賞は必要ないのだ。
引用:映画を早送りで観る人たち-ファスト映画・ネタバレ、コンテンツ消費の現在形
なぜ作品鑑賞から情報収集に変わってきたのか。その理由の一つがサブスクの浸透です。映画を観るにしても、映画館に行けば1500~2000円くらい。DVDレンタルだと1週間数百円くらい。一方、サブスクは月1000円ほどで実質無限に映画を見ることができます。
倍速視聴をするある人は「普段倍速視聴していたら映画館でも倍速にしたくならないか?」と聞いた時に「映画館はそのためにお金を払うから、早送りするのは勿体無い。でもNetflixはもう月額料金を払っちゃってるから別にいい」と答えました。
人は支払い手続きと引き換えにして個別の商品を受け取ると、支払ったものの対価として大切にします。しかし、「自動課金によって一定範囲内の作品を無制限に観れる権利」のように無形物になると、対価という感覚が希薄になって買ったものを大切にしないそうです。
確かに、昔DVDをレンタルしていた時は期日までに観て味合わないと勿体無いと感じていましたが、サブスクだと実質タダで見れるから途中で寝落ちしても別にいいし、大事なシーンを見逃しても後悔しにくいのかもしれませんね。
筆者は10年以上前、先輩からこう言われたそうです。
この言葉は一定の真実だと思います。教育系Youtuberが増えて世の中に質の高い情報は大量に増えました。投資・金融から政治経済まで、いいコンテンツが無料でたくさんあり、数百万回再生されたものもたくさんあります。でも、社会全体としてこれらのリテラシーが高まっている雰囲気はあまりありません。結局、タダだと価値を感じず、行動を変えるほどの影響は再生数などの数字よりはるかに小さいものになるのかもしれません。
わかりにくい作品は面白くない
ここまで倍速視聴する人がどういう人たちなのかを紹介してきました。ではその背景にある理由はなんでしょうか?
数年前大ヒットしたアニメ、鬼滅の刃の第1話にはこんなシーンがあります。主人公の炭治郎が雪の中を走りながら「息が苦しい、凍ついた空気で肺が痛い」といい、崖から落下すると「助かった、雪だ」といいます。
確かに白黒漫画なら、雪かどうかを伝えるのも難しいですし、セリフで説明する必要があるでしょう。でも、色と動きがあるアニメでこのセリフは必要なのでしょうか?吐息や表情、映像表現で十分伝えられるのではないでしょうか?
崖から落ちたシーンにしても、落ちた瞬間は周囲の状況を見せず、「もうだめだ!」という表情だけを見せる。そのあと「あれ、助かっている…?」という表情をした後で周囲の状況(雪)を見せる。
この映像演出なら炭治郎がわざわざ「助かった、雪だ」と言わなくても、絶体絶命状態から雪のおかげで助かったんだとわかります。
このようにジェスチャーや背景描写など、言葉にせずに状況や心情を伝える手法をシナリオ用語で「シャレード」といいます。小説や漫画ではなかなか表現できず、映像作品だからこそ表現できる手法です。
バーのシーンで後から来た恋人が「待った?」と聞いて、先にいた人が「いいえ、全然」と答える。でもその人が持っているグラスの氷が溶けていたら、かなり長く待っていたことが伝わります。
仕事終わりの夫が帰ってきてたのに、妻と特に会話もなくスーツを着替え出したら、この夫婦は何かうまくいっていないということが伝わります。
ですが、最近はそういう作品が通用しなくなってきました。これは卵が先か鶏が先か難しい問題です。倍速視聴する人が増えてきたからこそ、倍速でも話がわかるように全てを言葉で説明する作品が増えてきたのか、逆に全てを言葉で直接説明する作品が増えてきたからこそ、倍速視聴が増えてきたのか。
「口では相手のことを『嫌い』と言っているけど本当は好き、みたいな描写が、今は通じないんですよ」
近い話は、筆者も聞いたことがある。とある作品のワンシーンで、男女が無言で見つめ合っているが、互いに相手から視線を外さない。明らかに好意を抱きあっている描写だ。しかしある視聴者は、それが相思相愛の意味だとわからず、誰かから教えられると、こう反論した。
「でも、どっちも『好き』って言ってなかったら、違うんじゃない?好きだったらそういうはずだし」
引用:映画を早送りで観る人たち-ファスト映画・ネタバレ、コンテンツ消費の現在形
こんなベタな表現も伝わらないというのは驚きですね。もしかして西野カナの「会いたくて会いたくて震える」という歌詞も「震えてるだけじゃ好きかわかんなくない?」ってなるんでしょうか…ちょっと面白いですが笑
筆者はこのような視聴者の読解力低下の要因として、Twitterの登場をあげています。140文字という制限があるTwitterではできるだけシンプルで誰にでもわかるように書かないといけません。
そこから発展してネットメディアでもキャッチーな短いタイトルで誘導して、3行程度の要約で伝えるというものが増えました。本の要約サービスでも話題書を10分で、名著100冊をこの1冊で、といったコンセプトのものがたくさんあります。
筆者は文脈や心情描写が理解できない、全て説明しないと理解できない傾向について「視聴者の幼児化」と表現しています。
先ほどあげた鬼滅の刃ですが、漫画を読んだ人であれば、漫画がそのまま映像化されていることに気づいたと思います。普通は、プロの脚本家が漫画を読み込んで、映像表現として適した形に作り直しますが「助かった、雪だ」というセリフに代表されるように、ほとんどそのまま映像化されているんです。
その理由はエンドクレジットを見れば明らかで、鬼滅の刃アニメ版の「シリーズ構成・脚本」は制作会社の会社名が書かれています。つまり、名のあるフリーの脚本家がシナリオを書いていないということです。
原作を忠実にアニメ化する。僕が最近見たチェンソーマンでも感じました。漫画が好きなのでアニメでどう生まれ変わるか楽しみにしていたんですが、正直、漫画がアニメーションになっただけで特別な付加価値は見つけられませんでした。脚本家が独自の解釈で改変すると原作ファンから不満の声が上がるケースもあり、無難に”原作通り”で作る例が増えているそうです。
スタジオジブリ作品で監督助手の経験もあるアニメーション監督・宮地昌幸は個人のnoteでアニメ業界の原作忠実主義について以下のように書いた。
「昔のように原作漫画をアニメ版に改変したりする作り方ではなく、そのものをアニメというジャンルに変換する、『ガワに落とし込む』『外見を整える』作り方が増えてきた」「監督に独自の原作解釈も思想性も求められてはいないし、演出的改変など以ての外、むしろ原作をなるべくそのままシリーズ構成化し、アニメにトランスレーションすることを求められたりする」
引用:映画を早送りで観る人たち-ファスト映画・ネタバレ、コンテンツ消費の現在形
原作に忠実であることを求める人はディズニーやジブリ作品をどう捉えているんでしょうね。ディズニーなんか特に、原作の要素が設定レベルでしか残っていないものが結構あると思うんですが…
説明セリフを求める傾向は、観客の民度や向上心の問題というよりは、習慣の問題なのだ情報方・説明方・無駄のない店舗の映像コンテンツばかりを浴び続ければ、どんな人間でも「それが普通」と思うようになる。その状態で、いざ長回りの意味深なワンカット映像や、セリフなしの沈黙芝居から何かを汲み取れと言われても、戸惑うしかない。
結果、出てくる感想は「わかんなかった(だから、つまらない)「飽きる(だから、見る価値がない)」」だ。
積み重ねられた習慣こそが、人の教養やリテラシーを育む。抽象絵画を一度も見たことのない人間が、モンドリアンの絵をいきなり見せても、どう解釈していいかわからない。
無論、抽象絵画など鑑賞しなくても人間は生きていける。同じように、セリフのないシーンに意味を見出すことができなくても、人間は生きていける。善悪ではない。ただただ、そういうことだ。
引用:映画を早送りで観る人たち-ファスト映画・ネタバレ、コンテンツ消費の現在形
作り手はこうした風潮に文句を言っても仕方ありません。迎合する必要もありませんが、新しい習慣を根付かせるレベルの作品を作るか、楽しみ方の変化に合わせて作り方も変化していく必要があります。
本書では「逃げるは恥だが役に立つ」の事例を紹介しています。脚本を担当した野木亜紀子さんは、わかりやすいセリフで説明していながら、その背景にある社会問題や、本人が追求したいテーマを入れ込んでいます。
なので、リテラシーが低い視聴者が「逃げるは恥だが役に立つ」見て背景を読み取れなかったとしてもドラマはきちんと楽しめます。それでいて、リテラシーが高い視聴者は作品の秘計を堪能できます。どちらの視聴者も満足させる工夫がされているんです。
かつて映画は狙ったターゲット顧客が2000円払って見るものでした。だからターゲットにしかわからない演出でOKだったわけです。ですが、今は違います。サブスクによってどんな作品も何千万人、何億人が自動的に潜在視聴者になってしまいます。なので、あらゆるリテラシーレベルの観客が満足する作品を作る必要が出てきました。これはリテラシーレベルではなく、ポリコレ炎上問題も同様です。
共感強制力:友達の広告化
ここまでは倍速視聴について、作品そのもの変化や提供方法(サブスクの登場)などによって生まれた理由を見てきました。ですが、特にZ世代に顕著な別の理由があります。
筆者は以前、仕事として必要に迫られて倍速視聴していました。終電で帰って翌朝までに3本の映画を見てそれぞれにコメントを書いたり、誌面の企画をするなら、倍速視聴は仕方ないでしょう。
では、そうではない一般の人たちは、なぜ倍速視聴するのでしょうか?時間がないなら見る作品の数を減らせばいいだけのはずです。つまらなければ倍速にするのではなく、そもそもつまらないと思った時点で観るのをやめればいいだけです
なぜ、倍速、スキップ、ファスト映画を使って、大量の作品を見ようとするのでしょうか?
その理由が「共感強制力」だといいます。
友達とライングループで24時間繋がっているのが当たり前になりました。そこで誰かが「あの作品見た?」と発言したとします。既読スルーは仲間内で不和を生むので避けたい。見てないと返すと話が広がらない。となれば、倍速でもスキップしてでも、ファスト映画ででも、なんでもいいからとりあえず見て、何かしら感想を返さないといけない。そんな心理、状況を「共感強制力」といいます。
ある人は倍速視聴を「生存戦略」だと言いました。コミュニティで立場を守るためには、話題についていく必要があります。いくつものコミュニティに属して、友達から大量のおすすめが届き、そのそれぞれに対応するためには、倍速視聴が欠かせないというわけです。
つまり、彼ら、彼女らは作品を鑑賞するために観ているのではなく、人間関係を維持するためのツールとしてコンテンツを活用しているんです。僕自身、作品の作り手でもあるので、コミュニティの維持に役立つならと思う気持ちがゼロではないですが、作品が緩衝材程度に使われているのはちょっと悲しいですね。
口コミマーケティングという言葉があるように、いまや友達はマーケティングツール、広告です。友達からのレコメンドは数千、数万あるコンテンツからおすすめを厳選してくれる素晴らしい働きがありますが、それでも数が多すぎます。そして通常の広告と違い、無視するのに罪悪感が生じるため、多すぎる作品を観る必要性に迫られているんです。
マーケターとしての立場で言えば友達という広告、共感強制力を使うとかなりの広告効果を生み出せそうですね。僕はマーケティングを仕事にしているのでビジネスチャンスを感じている一方、今の若い人は大変だなあと同情します笑
そんな友達の広告化の派生系がインフルエンサーマーケティングです。直接的な友達ではないけれど、友達の距離感で接することができる、プロではないけれど専門化的な人たち。本職のプロとの違いは、自分たちと同じような属性であることです。同年代、友達でもおかしくない人が、何かに詳しくなって数万のフォロワーを獲得して活躍している。
ふたを開けてのお楽しみ
それが当たり前になったZ世代の間では、諦めにも似た謙虚さがあると言います。
例えば筆者がインタビューした人には「早送りやスキップで大事なシーンを飛ばしてしまっても、自分にはそれが大事だと気付けない。そういうのはプロに任せればいい」と言う人がいました。彼ら、彼女らは同世代で活躍したインフルエンサーをたくさん見ているので、彼らに対する憧れがあります。自分と似た属性の人なので、自分の上位互換とも言うべき人たちです。
真っ白なキャンパスを目の前に置き、筆と絵の具を準備しはじめた途端、周囲の同級生が次々と完成した絵を提出していく。しかも、その絵は自分の技量では到底到達しえないほど上手く、かつ自分が目指している画風と同じ方向性だったとしたら?それでも鉛筆を握り続けるには、相当強いハートが必要だ。
自分の”上位互換”を目視できてしまう地獄。下手は下手なりに、趣味としてお絵描きを楽しむなんて、できるわけがない。
<中略>
SNSでうかつにつぶやくと大変な目に遭う。誰もが同意する”正解”しか言えない。すると、どうなるか。作品を自分なりに解釈することを、萎縮するようになる。
<中略>
だからこそ、考察サイトを読み込む。なんなら鑑賞前に読み込む。先に犯人を知る。”正解”を知りたいから
「あいつらはすぐ正解を求める。スマホの検索でいつでも正解がわかるからだ」と若者批判するのは容易いが、問題の本質はそこではない。誰だって傷つきたくない。恥をかきたくない。公衆の面前で醜態を晒したくないのだ。
引用:映画を早送りで観る人たち-ファスト映画・ネタバレ、コンテンツ消費の現在形
SNSを見れば自分の上位互換。好き勝手発言したら叩かれる。だからといってSNSをやらないとコミュニティに属せない。そんな微妙な間で生き抜くには、倍速視聴して考察サイトを読んで、とりあえず正解を知って同調するのが生存戦略だというわけですね…
そんな微妙な生存戦略に迫られるZ世代はとにかく忙しい。友達からのレコメンド、流行についていく、正解を知って間違えないよう発言する。そのために求められているのがタイムパフォーマンスです。
面白いかどうかを30分見ないとわからないなんてタイパの悪いことはしたくない。だから先に面白いかどうかを確認するためファスト映画やネタバレサイトを使います。結論や見どころを知っているので、わざわざ通常時間で見るのではなく倍速視聴で観る。これだと、ハズレを引くこともなく、話題にもついていくことができます。
映画とは話がずれますが、Z世代に「ふたを開けてのお楽しみ」は通用しないのだそうです。コンビニのスイーツには300円払う価値があるか?この本は1500円の価値があるか?目の前のサービスが自分にとって満足いくものなのかどうかを知りたいという気持ちはどの世代にもありますが、Z世代には特に強いそうです。
新商品のネーミングでも、過去のヒット商品は「機能を上手く表現したネーミング」「誰がターゲットか想起しやすいネーミング」「起業姿勢をうまく表現したネーミング」でした。しかし最近は「自分がどう言う気持ちになるか?」「どんな気分の時に使うものか?」を感じさせるネーミング、いわゆる情緒ネーミングが注目されているそうです。
何かのテレビ番組で、最近の若いカップルはサプライズNGという話を聞いた記憶があります。サプライズプレゼントが欲しくないものだったら困るし、高級レストランにサプライズに連れて行かれても困る。高級レストランらしい服装やメイクなどの準備が必要だからです。まあわからなくもないですし、僕自身、サプライズはしない方ですが…
こうした傾向は結局、失敗したくないというモチベーションに繋がります。
Twitterを開けば同世代で何かを成し遂げた人がすぐに視界に入ってきます。そんな中、自分が無駄なことをしていると「同世代に遅れをとった」と感じてしまう。だから徹底して無駄を省き、失敗を避けようとします。
「昔は倍速視聴しない人もいたんだって」
ということで今回は「映画を早送りで観る人たち-ファスト映画・ネタバレ、コンテンツ消費の現在形」を紹介しました。
この記事では最初に早送りする人たちのインタビューを通じて理由や目的を紹介し、その後、サブスクの登場などによって見るべき作品が多くなりすぎた、友達間での共感強制力が強い、成功した同世代という”横”を見るため、”今”無駄なことをしていたら失敗したように感じる、という背景を色々と紹介しました。
技術はいつの時代も、人間がより快適に生活を送るための手段として存在してきた。技術は人間の「楽をしたい」と言う希望を叶えてきたのだ。
<中略>
我々の社会では、新しいメディアやデバイスが登場するたび、あるいはそれらの新しい使い方が見いだされるたび、<中略>”良識な旧来派”が不快感を示すと言う歴史が繰り返されてきた。<中略>新しい方法というやつはいつだって、出現からしばらくは風当たりが強い。<中略>倍速視聴や10秒飛ばしという視聴習慣も、いずれ多くの作り手に許容される日が来るのかもしれない。
引用:映画を早送りで観る人たち-ファスト映画・ネタバレ、コンテンツ消費の現在形
本書では様々な角度から倍速視聴の背景を分析していますが、結論として、倍速視聴を止める方法はありませんし、止めるべきなのかどうかもよくわかりません。物語は劇場で数万円払ってみる時代から、映画が登場し映画館で数千円で見ることができるようになり、DVDによって家でも観れるようになった。そういう変化の一つとして、映画はネタバレサイトで概要を知ってから倍速、スキップを多用して観るのが当たり前になるのかもしれません。
技術はいつの時代も、人間がより快適に生活を送るための手段として存在してきた。技術は人間の「楽をしたい」と言う希望を叶えてきたのだ。
<中略>
我々の社会では、新しいメディアやデバイスが登場するたび、あるいはそれらの新しい使い方が見いだされるたび、<中略>”良識な旧来派”が不快感を示すと言う歴史が繰り返されてきた。<中略>新しい方法というやつはいつだって、出現からしばらくは風当たりが強い。<中略>倍速視聴や10秒飛ばしという視聴習慣も、いずれ多くの作り手に許容される日が来るのかもしれない。
引用:映画を早送りで観る人たち-ファスト映画・ネタバレ、コンテンツ消費の現在形
ということは10年、20年後には倍速視聴が当たり前になって、それに対応した作品も増えて、「昔は生演奏だけが音楽だ!録音された音楽は偽物だ!って偉い評論家が言ってたらしいよ」というのと同じように、「昔は映画は通常速度で、スキップせずに見るものだって言ってた偉い人もいたらしいよ」なんて言われているのかもしれません。
ですがこれらは今、当たり前のものになっていますし、そんな否定をする人はほとんどいません。そしてNetflixは今や映画館ではなく、テレビやスマホでSNSを使いながら、ながら見されることを前提とした作品を作っています。多くの音楽アーティストがライブやコンサートでの生演奏ではなく、CDでさえなく、サブスクやYoutubeで観られることを前提に作品を作っています。
ということは10年、20年後には倍速視聴が当たり前になって、それに対応した作品も増えて、「昔は生演奏だけが音楽だ!録音された音楽は偽物だ!って偉い評論家が言ってたらしいよ」というのと同じように、「昔は映画は通常速度で、スキップせずに見るものだって言ってた偉い人もいたらしいよ」なんて言われているのかもしれません。
この記事を書いた人
-
かれこれ5年以上、変えることなく維持しているマッシュヘア。
座右の銘は倦むことなかれ。
最新の投稿
自己啓発2024-01-07【The Long Game】長期戦略に基づき、いま最も意味のあることをする 資産形成2024-01-07賃貸vs購入論争はデータで決着!?持ち家が正解 資産形成2024-01-06「株式だけ」はハイリスク?誰も教えてくれない不動産投資 実用書2023-12-18【Art Thinking】アート思考のど真ん中にある1冊
コメント