こんにちは。夫です。
今日は久しぶりに政治系の本を手に取ってみました。最近AbemaTVなどYouTubeやテレビにも多数出演されている成田悠輔さんの著書「22世紀の民主主義-選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる」です。
成田悠輔さんはイェール大学助教授を務めるスーパーエリート。YouTubeでは「老人の集団切腹」など過激な発言が話題です。
個人的には大好きなんですよね、成田悠輔さん。過激な言葉を使っているんだけど、実はものすごく真っ当なことを言っていたりするので、なんというか気持ちがいいです。
「22世紀の民主主義」はタイトル通り、現在の政治形態に警鐘を鳴らす本です。若者の投票率が低い、老人比率が高くシルバー民主主義と言われる、SNS戦略などによって簡単にポピュリズム・衆愚政治に陥る…
民主主義に何らかの問題があることは誰しもうっすら感じていることでしょう。でも投票に行って代表を選ぶ、その人が国民の代表として政治を行う。この仕組み以外にどんな方法があるのか…?まさか専制政治や独裁政治にするわけにもいかないだろうし…
そんな漠然とした疑問に、1つの答えを与えてくれるのが本書です。ちなみに本書の冒頭で成田悠輔さんは「私は政治に興味が持てない」「政治について私は素人」と言っています。その上で「民主主義をちょっと違った視点から眺めることで、考え直す面白さを作り出す」と言っています。専門外で興味もないからこそ、先入観なしに大胆な発想ができるんですね。
それでは早速、今の民主主義にはどんな問題があって、成田悠輔さんが考える「22世紀の民主主義」とは何なのかを見ていきましょう。
【資本主義と民主主義】二人三脚の片方が骨折中
日本は経済は資本主義で、政治は民主主義で行っています。アメリカなど多くの先進国が似たような体制を取っていますよね。資本主義とは、資本を投じて新しい価値を生み出していく仕組みで、民主主義は1人1票の多数決で全体の方向性を決めていこうという仕組みです。
この2つ、当たり前のように両立していますが、実は全く逆の思想に基づいていますよね。資本主義では資本を持っている人が強く、資本の量に対して平等で、一人一人に対して不平等です。一方の民主主義は資本の量に対して不平等で、一人一人に対して平等です。
資本主義では、人は一人一人違うことを前提に、素晴らしい技術やアイデア(これらも一種の資本)やお金を持っている人が、それらを使って事業を行い、そこから生まれた利益を享受する。その利益は複利によって膨らみ、富めるものと貧しいものの格差はどんどん開いていきます。
しかし民主主義では、全員同じようなものだと考え、賢い人も賢くない人も、社会的地位がある人もない人も、お金を持っている人も持っていない人も、等しく1票の権利が与えられます。
資本主義経済では少数の賢い強者が作り出した事業がマスから資源を吸い上げる。事業やそこから生まれた利益を私的所有権で囲い込み、資本市場の福利の力を利かせて貧者を置いてけぼりにする。
<中略>
どんな天才もバカも、ビリオネアも無職パラサイトも、選挙で与えられるのは同じ一票。情弱でも貧乏でも「だってそう思うんだもん」で一発逆転を起こせるのが民主主義の強みであり弱みである。
<中略>
逆行して足を引っ張り合うように見える民主主義と資本主義。なぜ水と油を混ぜるのだろう?
人類は世の初めから気づいていた。人の能力や運や資源がおぞましく不平等なこと。そして厄介なことに、技術や知識や事業の革新局面においてこそ不平等が大活躍すること。したがって過激な不平等を否定するなら、それは進歩と繁栄を否定し、技術革新を否定する、仮想現実に等しいことを。
引用:22世紀の民主主義
エンジニアだと優秀な人とそうではない人の生産性は1000倍以上の開きがあります。それがそのまま社会構造に適応されたら、優秀じゃない人にとってはものすごく生きづらい世界になるでしょう。その差を埋めるために人類が見つけ出したのが「民主主義」なんです。
民主主義と資本主義のバランスがうまく取れているなら問題はありませんでした。しかし資本主義が数々のイノベーションや複利効果によって加速する一方、民主主義がお荷物になってきているんです。
確かに、ビル・ゲイツが長者番付で初めて1位になった1995年、資産額は129億ドルでした。2022年の長者番付1位のイーロン・マスクの資産額は2190億ドルです。資本主義が猛スピードで加速してきたことは間違いないでしょう。
21世紀は民主主義×資本主義を取り入れた国が大きく成長しましたが、22世紀に入ってからは民主主義を取り入れていない中国が大きく躍進しました。成田悠輔さんが言うには、躍進した非民主主義国は中国だけではないと言います。東南アジア、中東、アフリカなどもかなり躍進しており、日本に限らず欧米の民主主義国は低迷が続いています。
本書ではこの状況について「民主主義の失われた20年」と表現しています。
この傾向は2020年からのコロナ禍でより明確になりました。中国など、強権的な政府が強引なロックダウンで迅速に対応した一方、民意を汲み取りさまざまなプロセスが必要な民主主義国では対応が遅れました。人口あたりのコロナ死者数はアメリカやフランス、ブラジルなど民主主義国ほど多く、中国やエジプトなど非民主主義国の方が少ないというデータもあります。
こちらはコロナ禍における経済成長ですが、日本、アメリカ、ブラジル、フランスなど民主主義国の経済が低迷する中、中国やエジプトでは経済成長が続いています。
民主主義的な国ほど命も金も失った。そして、コロナ禍初期における民主主義国の失敗もまた、民主主義が原因で引き起こされたものだと示すことができる。このことは、コロナ禍初期によく議論された「人命か経済か」という二者択一の議論がおそらく的外れなことも意味する。現実には人命も経済も救えた国と、人命も経済も殺してしまった国があるだけだったのだ。
引用:22世紀の民主主義
もちろん、非民主主義国が出すデータの信憑性には疑問がありますし、2022年に入ってからも続く中国のゼロコロナ政策は、経済的には失敗と評価される可能性が高いでしょう。まだコロナ禍から完全に抜け切ったわけではないので各国の対応を評価するにはまだ早すぎます。これについては成田悠輔さんも補足されていますが、データを信じ、コロナ初期に限るなら、民主主義国が経済でも人命でも大きくダメージを受けたのは確かです。
民主主義が抱えるもう一つの問題が、いわゆる衆愚政治です。
民主主義は多数決で方向性を決めるので、衆愚政治に陥るリスクは常にあります。それでも独裁よりはマシだろうとされてきたのですが、SNSの登場によって民主主義が劣化し、衆愚政治に陥るリスクが高まっているんです。
エコーチェンバーという言葉があるように、SNSやインターネット上では、自分の考えがより強化され異なる意見を受け入れられなくなったり、わかりやすい・バズりやすい主張が多く目に入るようになりました。
その結果生まれてきたのが、「分断」や「ポピュリズム」です。
人間集団がいかに決断できず張り切れない存在か民主国家で白日の下に晒された。それが2020年から21年にかけてのコロナ禍の教訓の一つかもしれない。
<中略>
民主主義が意識を失っている間に、手綱を失った資本主義は加速している。ただの猿のイラストに六本木のタワマン以上の値段がつくNFT。売上ゼロの会社が時価総額1兆円で株式上場するSPAC。身元不明者やヨレヨレのTシャツの若者がゼロから書いたコードに数十年余りで時価総額数十兆円がついてしまう暗号通貨。すべてが資本主義になるかのような勢いだ。
引用:22世紀の民主主義
成田悠輔さんは資本主義を否定しているわけではありません。問題は、手綱を握っていた民主主義がコロナ禍の混乱や分断やポピュリズムによってちゃんと機能していなかったことです。その理由は、数々のイノベーションによって社会構造や資本主義が変化したのに、民主主義、その根幹である選挙の設計と運用が変化できていないことです。
既存の民主主義をハックする
ここまで民主主義の課題を見てきましたが、結局どうすればいいのでしょう?まずはすでに一部導入されていたり、具体的な議論が進んでいる方法を見てみましょう。
政治家への成果報酬年金
政治家の長期的な目標には、経済を成長させる、格差を是正する、貧困や失業率を下げる、学力や健康寿命、幸福度を高めることなどがあります。
であれば、これらの達成度合いに応じて政治家に年金を渡すというのはどうでしょうか?直接的な報酬ではなく年金にしている理由は、経済成長や格差是正など、目標の多くは施策の効果が明らかになるまで何年もかかってしまうからです。
すでにシンガポールでは一部導入されており、大臣の給料の30〜40%ほどはGDPなどの目標達成に応じたボーナスが占めており、基本給は高所得層の中央値から40%割り引いた金額になっています。
シンガポールの政治家はGDPを成長させるとボーナスが増えて、国民の所得が上がるほど中央値も上がるので、基本給も上がるということですね。
もちろん、この制度の問題は目先の目標に左右されてしまう点です。GDPを成長させることだけを単純に考えるなら、政府が国債を発行して公共事業を増やせばいいことになってしまいます。それで無駄な道路ばかり作っても国のためにはなりません。
また、指標そのものの是非もあります。数値化できる指標をもとにしているので、本当に国民のためになっているのか、苦しんでいるマイノリティに目を向けられているのかなどは議論が必要です。
その点ではやはり年金型の成果報酬にした方がよさそうですよね。マイノリティに目を向ける指標のアップデートも常に必要です。
SNSのジャンク情報を排除する
政治を行うのは政治家で、政治家を選ぶのは有権者です。つまり有権者がダメなら、選ばれる政治家もダメ、当然行われる政治もダメになります。なので、大切なのは有権者がしっかりとした情報にアクセスしちゃんと考えて投票できるようにすることです。
真っ先に思い浮かぶ対策が、SNSでのフェイク情報の規制です。フェイク情報ほど早く拡散してしまうので、初期段階で排除する必要があります。すでに各社が取り組んでいますが、まだまだ完璧ではありません。
より踏み込んだ施策としては、情報カテゴリーに対する課税が考えられます。税には需要を調整する役割があり、例えば酒税はアルコールの需要を減らすためにあると考えることもできます。
であれば、社会にとってよくない情報、センシティブな情報には税金をかければどうなるでしょうか。
SNSでのコミュニケーションはだいたい公開で無料という慣習は崩れ、適度に閉じてそこそこ課金・課税されるのが当たり前という風土に変わっていくかもしれない。<中略>出会ってコミュニケーションしても毒物化するだけだと予測される人同士は機械的に相互ブロック・ミュートを前提にするソーシャルメディア設計も考えられる。こういった規制が、ジャンクすぎない情報をゆっくり消化し、じっくりとコミュニケーションする、遅く健康なインターネットと有権者の脳内情報環境の整備につながるかもしれない。
引用:22世紀の民主主義
これは大胆な意見ですね。もちろん表現の自由と紙一重なので、アルゴリズムの公開や民主的なプロセスでのアップデートが前提になると思います。そういう意味ではSNSをDAOとして、利用者同士で方向性を定めるみたいな形がいいのかもしれませんね。
選挙の重み付けを調整する
いくら有権者がちゃんとした情報に触れ、適切に投票できたとしても、そもそも有権者のバランスが悪ければ選ばれる政治家もアンバランスなものになってしまいます。例えば日本のように少子高齢化が進む社会で、ちゃんと一人一人がじっくり考え、投票したとしたら、高齢者重視の政治家が当選するでしょう。また、そもそも選ぶ被選挙人が高齢者ばかりで、若者に目を向けた議論が進まないという可能性もあります。
そこで考えられる簡単な選択肢が、政治家の定年制です。日本の自民党も、衆議院の比例代表に立候補できるのは73歳未満と、かなり初期段階で限定的ではありますが導入されています。イランで被選挙権があるのは75歳以下、ブータンだと65歳以下で、ソマリアでは任命の上限が75歳以下になっています。
また、投票に行く有権者に年齢制限を持たせる方法もあります。「◯歳以上には投票権がない」となると憲法上も問題ですが、ブラジルでは70歳以下の有権者は投票が義務で、投票しなければ罰則があります。70歳以上は自由なので、実質的に70歳以下の有権者に重みがついているということができます。
他にも特定の世代の人が投票する「世代別選挙区」や投票者の平均予命で重み付けを変えたり、選挙権を持たない子どもの親に代理投票権を与えるなどのアイデアもあります。平均予命によって重み付けを変えると、2016年のトランプ vs ヒラリーの大統領選は結果が逆だったという研究結果もあるそうです。
「世代別選挙区」というのは面白そうですね。20代の有権者が選ぶための選挙区があれば、そこで当選する人は20代に向けた施策を考えてくれます。他にも例えばLGBTQが投票できる選挙区など、いろんなアイデアが浮かびますね。
投票のUI/UXを変える
UIは顧客接点、UXは顧客体験です。Webデザインなどでよく使われる言葉ですが、ユーザーにとっての使いやすさや使いたいと思う気持ちを左右する要素です。
現在の投票は投票所に行って長い列に並び、規定の順序で投票用紙を受け取り、被選挙人の名前を書き、投票ボックスに入れる、という順序で行われています。さまざまなサービスのUI/UXが進化した一方、投票のUI/UXは何十年も変わっていません。
今や美術館に行くにも映画館に行くにも、Web予約で並ばず入れるのが当たり前。そんな中、貴重な休日に並んで投票するのは嫌ですよね。
日本ではほとんど問題になりませんが、識字率が低い国では、被選挙人の名前を書く方式から、顔写真が並んでいて投票したい人に丸をつける方式に変えただけで選挙結果が変わったという例もあるそうです。日本には国民民主党と立憲民主党という似た名前の政党があり、単に「民主党」と書かれていると適当に割り振られることになっています。これも記入制というUI/UXの問題点の一つです。
よく言われるのがネット投票です。しかしまだデータが少なく検証中ですが、ネット投票にしても投票率はそこまで変わらないことがわかってきています。若者の投票者が増えそうですが、国によっては足腰の悪い高齢者が投票するようになり、むしろ世代間格差が広がったという例もあるそうです。難しいですね。
ここまで既存の民主主義をアップデートするいくつかの方法を紹介してきました。しかし成田悠輔さんは「こうした選挙制度の調整・改良が、民主主義の呪いの根治になるかどうか、そもそも怪しい」と言います。
そもそも投票という一時的なお祭り行事で代表を選ぶ以上、SNSなどで形作られたその場の空気が悪く作用する可能性や、わかりやすい合意形成が必要など民主主義の弱点を克服できていないからです。
選挙をしない民主主義構想
資本主義と民主主義。相反する2つの主義が対立しながらもバランスをとって国家を運営していく。おおむね資本主義がしっかり機能している一方、それにブレーキをかけるはずの民主主義が足を引っ張り、分断や格差、環境破壊などいろいろな問題を生み出しています。
じゃあ一体どうすればいいんでしょう?そもそも民主主義の根幹である「選挙」に目を向けてみましょう。民主主義において選挙にはどんな役割があるでしょうか?
民主主義とはデータの変換である。そんなひどく乱暴な断言から始めたい。民主主義とはつまるところ、みんなの民意を表す何らかのデータを入力し、何らかの社会的意思決定を出力する何らかのルール・装置であるという視点だ。民主主義のデザインとは、したがって、(1)入力される民意データ、(2)出力される社会的意思決定、(3)データから意思決定を計算するルール・アルゴリズムをデザインすることに行き着く。
引用:22世紀の民主主義
民主主義とは、民意から政策を出力するプロセスだということです。つまり選挙とは「誰に政治のリーダーシップを担ってほしいか?どの政策を実行してほしいか?」という民意(データ)を集めるための仕組みで、基盤となるルール・アルゴリズムは小選挙区・比例代表など細かな決まりがありますが、根本は「多数決」です。
選挙は民意というデータを集めるための集計方法の一つという視点は秀逸ですね。もちろん問題は、さまざまなデータの中のごく一部でしかない、多数決である以上、少数の意見が無視されてしまうという点です。誰に投票するか考えた時、「この人の主張とこの人の主張、両方主張している人がいたらその人に入れたいのにな…」と思ったことがあると思います。そんな民意を無視してしまう、非常にざっくりとした集計方法なんです。
成田悠輔さんは選挙を否定しているわけではありません。非常にわかりやすい集計方法の一つであることは確かですし、あのお祭り感が政治への関心を高め、民衆と政治家の距離を縮める役割もあるでしょう。しかし、選挙は数あるデータの1つというレイヤーまで落とし、より多角的な民意データを集めるべきだと言います。
ある日に選挙があって公式に1票を投じてくださいと言われたときに私たちが表明する意見、世論調査でテレビ局のマイクを向けられたときに表明する意見、小規模な内輪なトークイベントで口走ってしまう意見、家に帰って家族や友達とグダグダおしゃべりする時の意見は全部違う。
<中略>
今の選挙は、その一番はじめの投票用紙で表明された意見だけを汲み取っている。民意の表情を右斜め上45度からだけ撮っているようなものだ。だけどそれとは全然違う、もっとグダグダで油断した情報もまた民意の別の表情の表れである。民意データを切り出す角度や視野を広げることで、特定の角度から見ただけではわからない民意の全体像を掴むことができる。
引用:22世紀の民主主義
選挙という集計方法では、データが歪んでしまいます。支持する人が決められない、支持したい人や政党が複数ある場合も、強制的に1つに決められてしまうことで歪みますし、SNSやテレビで話題になったこと・話題にならなかったことでも歪みます。
もちろん、日常会話をデータとして集計しても歪むでしょう。テレビを見てボソッとつぶやいた政治批判は、テレビの報道の仕方に左右されるでしょう。
どんな方法であれ、1つの集計方法だけで民意を100%集計することはできません。だからこそ、従来の投票という選挙に加え、Twitterや監視カメラ、テレビの視聴率、その他無数のデータを総合的に集め、特定の方向に歪むことがない集計方法をとるべきという手法です。
選挙は不完全。かといって他の方法も不完全。1つ1つは不完全でも、色々合わせて総合的に評価すれば、完全に近い出力が期待できるのではないか?ということですね。納得です。
ここでの課題はどのようにデータを集めるか、それを集計して出力するルール・アルゴリズムをどうするかです。
データを集めることについては、プライバシーの問題さえ回避すれば難しくはありません。スマホは自分自身以上に自分のことをよく知っているでしょう。それをトラッキングすれば選挙のように意識的な投票では出てこない政治への関心ごとも見えてくるでしょう。監視カメラもそこらじゅうにあるので、政治家の演説でも、足を止めた人数や滞在時間、表情などから、与えた影響をリアルタイムに推測することができます。
アルゴリズムにも課題はあります。深層学習を使ったAIは入力データに左右されてしまうことがあります。SNSで戦争論が盛り上がったことを単純に「民意が戦争を望んでいる」と解釈してしまうリスクもあるでしょう。
アルゴリズムについては成田悠輔さんの専門分野なので深く紹介されていますが、詳しくは本書を読んでみてください。さまざまなデータを統合して出力するためのアルゴリズムはかなり研究が進んでいるようです。
ネコが総理を務める未来
あらゆる角度から民意を吸い上げ、適切に出力する仕組みが完成したら、政治家の役割はどうなるでしょうか?
もはや政策を立案したりする必要もありません。あらゆるデータから「今子育てに困っている世帯が◯万世帯あり、〇〇という政策で彼らを救うことができる。そのための財源として〇〇を削ったとしても、それによって困る人は◯人しかおらず、現在の民意を統合すると子育て世帯を優遇すべきと考えている。具体的なアクションプランとしては…」といったことをアルゴリズムが出してくれます。
政策論点は無数にあり、それぞれの論点に対する有権者や政治家の思いや知識は濃淡様々だ。それを全部まとめて、数年に一度の選挙で特定の政治家や政党に託してくれという過度に単純化・離散化された人間依存な発想を止める。「常時自動並列実行」で置き換える。結果として、選択や情報処理を人間の手に追えるくらい単純化するために必要とされた政党や政治家は、選択の単位ではなくなるだろう。
何が意思決定アルゴリズムの選択肢になるのか?複雑多数のコト、つまり個々の政策論点だ。出力側には、ここの政策論点・イシューごとに意思決定が行われる大量の出力チャンネルを作り出し、より豊かに多チャンネル化・高次元化する。政党や政治家に全ての政策論点を一括して意思を委ねる必要もなくなる。こうして、民主主義の入力側からも出力側からも、人間の姿が消えていく。
引用:22世紀の民主主義
無数のデータ、それも無意識に行われる発言や行動、表情などを常時吸い上げ民意を読み取る仕組みがあれば、そもそも政治家や政党を選ぶということさえも必要ない。民衆は「こうなればいいなー」と思ってぼんやり過ごしているだけでそれをアルゴリズムが読み取り、政策に反映してくれるようになるということです。
そんな未来がきたら政治家が果たす役割は今と大きく変わるでしょう。政策を考え、国民に訴えかけるのではなく、不満をぶつけられる役割とマスコットやアイドル的な役割が求められるようになるでしょう。これを成田悠輔さんは「政治家はマスコットとしてのネコ、不満をぶつけられるサンドバックとしてのゴキブリでいい」と言っています。
実はすでに「モリス」というネコが1988年の大統領選に出馬した事実があります。モリスはキャットフードの広告塔として大人気でした。もちろん当時の選挙には落ちたのですが、実際に当選したネコもいます。アラスカのある州では出馬した候補が気に入らなかった住民が勝手にネコの「スタップス」を立候補させ、投票用紙にネコの名前を書いて投票したんです。そしたらなんと候補者を破って当選してしまいました。
こうした話をするとよく出るのが「ネコやアルゴリズムに責任が取れるのか」という疑問だ。しかし、そもそも人間の政治家は責任を取れているのだろうか?今の自民党幹部には80代の後期高齢者がゴロゴロいる。彼らが社会保障や医療や年金や教育といった制度や政策を作っている。数十年先の社会にこそ影響を与える政策に、80代の政治家は一体どんな責任を取れるのだろうか?結果が出る頃には確実になくなっているというのに。
引用:22世紀の民主主義
とりあえず今は投票に行こう
ということで今回は成田悠輔さんの「22世紀の民主主義-選挙はアルゴリズムになり、政治家はネコになる」を紹介しました。
いやあ、刺激的な本でした。これまでの当たり前が当たり前じゃなくなる未来、その一部はすでに始まっていることを感じさせてくれます。
本書の主張は一見過激に見えますが、決して新しい意見でも成田悠輔さんが生み出した新アイデアでもありません。「政治」という統治手法が生まれてから何百年、何千年もの間、議論され続けてきたことに、成田さんの専門であるデータ分析のエッセンスが加わっただけです。
僕たちは既存の体制がずっと続くような錯覚をしてしまうことがありますが、日本でも戦前までは違う政治体制を取っていました。その数十年前、明治維新が起こる前はまた別の政治体制でした。そう考えると何十年かに一度、政治のシステムが変わることは決して珍しいことではないんです。
特に最近のニュースを見てると「なんでこんなことに…」っていうのが多いですよね。アメリカの大統領選の混乱や過激化するデモ、民主主義の欠陥がどんどん顕になってきているように思います。そんな時代に本書が出版されたのは必然と言えるかもしれません。
個人的には、成田悠輔さんの意見はポジティブに捉えています。もちろんデータ収集方法やアルゴリズムの問題は根深く、簡単に解決できるものではないでしょう。家での日常会話もスマホがデータ収集して政策に反映される、そんな社会で人が幸せになれるのかイマイチ自信がありませんし、アルゴリズムの問題はもっと難しいと思います。
しかしそれもブロックチェーンを使って完全に改ざんできないデータとして、個人情報を全て省いた上で収集する。アルゴリズムは一般に公開され、常に有権者の合意によってアップデートされていく、そんな仕組みが実現すれば、確かに面白いと思います。
問題があるとしたら、データから導ける政策しか実行されない点でしょう。革新的なアイデア、世界をガラッと変える政治は、データが全くない中、強力なリーダーシップによって生まれると思います。そうしたものが生まれにくくなりますが、そもそもデータとアルゴリズムが進化すれば、そんな大胆な転換も必要なくなるのかもしれません。
とはいえ、本書を読んだ僕の最終的な結論はシンプル。今は選挙というざっくりした仕組みで民主主義が行われているので、とりあえず選挙に行こう、ということです。で、もし自分の選挙区でネコやイヌが立候補していたらまた本書を読んで、ネコ・イヌの裏にあるアルゴリズムを見て、面白いと思ったら投票する。
非常にゆっくりとした歩みですが、ゆっくりしていることが民主主義の欠点であり、また長所でもあると思います。とりあえず今ある制度の中で、自分が理想と思うところに少しでも近づけるよう行動する。結局僕のような凡人にはそれくらいしかできることがない、そしてそれでいいのが民主主義だと思います。
この記事を書いた人
- かれこれ5年以上、変えることなく維持しているマッシュヘア。
座右の銘は倦むことなかれ。
最新の投稿
- 自己啓発2024-01-07【The Long Game】長期戦略に基づき、いま最も意味のあることをする
- 資産形成2024-01-07賃貸vs購入論争はデータで決着!?持ち家が正解
- 資産形成2024-01-06「株式だけ」はハイリスク?誰も教えてくれない不動産投資
- 実用書2023-12-18【Art Thinking】アート思考のど真ん中にある1冊
コメント