こんにちは。夫です。
めちゃくちゃいい本に出会いました。今年暫定No1かもしれません…金融、経済、投資…ここ数年、興味を持って学んできたこと。その本質に少し気づけたというか、自分の直感が当てにならないことを思い知らされたと言うか…言葉にするのは難しいので、本書の内容を見ながら、一緒にその感覚を味わってください!
今回する本は田内学さんの「お金のむこうに人がいる」です。
著者の田内学さんという方、東京大学に入学した後プログラミングにハマり、国際対抗プログラミングコンテストなるものでアジア大会入賞。東京大学の情報理工学研究所を卒業し、天下のグローバル金融企業ゴールドマン・サックスに入社。16年も金融業界で、債権や金利、デリバティブ、為替などを取引されてきました。
そしてここからが重要ですが、現在は”中高生”向けに金融教育を行われているそうです。
経歴を見たときは「また小難しい内容の本を書きそうな経歴だな…」と思ったのですが、現在は中高生向けに金融教育をしていると聞いて興味を持ちました。本書の見た目もとっつきやすいですよね。
中身を開くとページをめくるたびに「なるほど!」「そうだったのか!」の連続。
- お金って何?
- なぜ日本政府は1000兆円以上の借金をしているのに破綻しない?
- 貿易赤字って良いこと?悪いこと?
- 年金問題はどうすれば解決する?
といったことの本質を、難しい金融用語は一切使わずに説明してくれます。
社会に出回っているお金についても「お父さんがお母さんにお金を貸して、それを子どもに貸すと…」のように理解しやすく説明してくれます。
難しい金融用語を使わないどころか田内学さんは本書の中で「金融用語は専門家が相手をごまかすために使うもの」と言います。確かに、難しい言葉を使う人はなにか隠したいことがあるんですよね。「専門家にしか分からないから」みたいな雰囲気を出せばやっかいな質問を返されることもありませんから…
ということで、何を基準に考えるかにもよりますが、個人的には今年No1の書籍、田内学さんの「お金のむこうに人がいる」の内容を見ていきましょう!
この記事を読んでいるあなたには、ぜひ本書を買って読んでほしい。精一杯面白い記事にしようと思いますが、絶対本書のほうが面白いですから。
始まりはお金への2つの疑問
筆者の田内学さんがこの本を書こうと思ったきっかけは2つの疑問からなのだそうです。
1つは日本政府の借金問題。1200兆円もの借金を背負っている日本政府はなぜ破綻しないのでしょうか?
ギリシャはもっと少ない政府の借金額で破綻しましたよね。日本は経済大国だからギリシャよりましなだけで、借金が膨らみ続ければいずれ破綻するのでしょうか?
それとも、日本政府の借金で日本が破綻するという考え方が間違っているのでしょうか?
過去、日本が破綻するほうに賭けたヘッジファンドは大損して姿を消したそう。国が破綻するのかどうかは金融の専門家でも意見が分かれる、答えが分からない、間違えるみたいです。
もう一つは子どもの頃に感じた理不尽です。
田内学さんの実家はそば屋さんだったそう。お店ではお客さんがお金を払ってざるそばを食べています。同じ時、2階の自宅のキッチンでは同じものを田内学さんがタダで食べています。
なぜ同じものを食べているのに、自分はタダでお客さんはお金を払っているのでしょうか?
田内学さんはざるそばを作ってくれたお母さんに感謝して食べますが、お母さんに感謝しているお客さんは少ないようです。お金を払えば感謝しなくて良いのでしょうか?
当たり前過ぎて疑問に思うこともありませんが、僕も普段広告関係の仕事をしていて、運用やアドバイスに対しお金をもらっています。でも友達の事業に協力するために同じことをタダでやったこともあります。そう考えると、お金ってどういう役割があるんでしょうか?お金がなくても、同じことを与える、手に入れることはできそうです。
「お金のむこうに人がいる」ではこの2つの疑問に答えるため、第一部では「お金の正体」を、第二部では正体が明らかになったお金から「経済に対する考え方」を、第三部では実はお金で解決できない年金や国債といった「社会問題」を取り上げています。
みんなが誤解する「お金の正体」
お金とはなにか?
この質問にすんなりと答えられる人は少ないと思います。経済について学んだ人なら「価値の交換手段」といった答えが返ってくるかもしれません。
でも本書では少し違う「お金の正体」を教えてくれます。
ではお金の正体に近づくために、いくつかシチュエーションを考えてみましょう。
まずこの質問について考えてみましょう。僕も平日働いて休日休みの仕事なので、休日は本屋さんに行ったり友達と遊んだりとリフレッシュします。
でも、もし全員が平日に働いて、休日に休んだらどうなるでしょう。
お金を持って街に出かけたとして、何ができるでしょうか?
コンビニもカフェも本屋さんも閉まっています。Amazonで買い物しても誰も届けてくれません。ネットフリックスを楽しもうにも、ネットフリックスのサーバーやWebサイトを運営する人が全員休んでいたらたぶん繋がりません。
自販機でジュースを買うくらいならできるかもしれませんが、なくなっても誰も補充してくれません。
そもそも、電気も止まるので、自販機は動いていませんし、ネットフリックスを見るためのパソコンも使えませんね。
このことから
ということが言えます。
自分が休日に楽しめるのは、他の誰かが休日に働いているから。懐かしい話ですが以前「プレミアムフライデー」で金曜は15時くらいに仕事を終えて楽しもう!というのがありましたね。でも全員がそれを実行したら、金曜の夕方に買い物に行くことも、飲みに行くこともできません。結局お金は使うことで初めて価値があります。お金を使うということは、受け取っている誰かがいるということ。その人は働いていないといけません。
続いて、お金そのものについて見てみましょう。まずはこの質問について考えてみてください。
これも意外とすんなり答えられません。日本政府が価値を保証していると言われますが、日本政府はなにも保証していません。
昔は日本円の担保が金(ゴールド)だったので、日本円と金を交換することができましたが、今はできませんよね。
今の日本円の担保になっているのは国債です。日本銀行が日本円を発行する時、同額の国債を買い取ることになっています。でも僕たちが日本銀行に行って「この1万円札を国債と交換してください」と言ってもしてもらえませんし、そもそも国債をもらっても何にも使えません。
ではなぜ僕たちは日本円に価値があると思っているのでしょうか?
僕たちが日本円に価値を感じる、日本円を使っている理由は、日本円で税金を納めないといけないからです。
税金は必ず日本円で支払わないといけません。金(ゴールド)や株券で税金は払えませんからね。
そして税金を払わなかったら刑罰が科せられます。
だから日本円の価値がある/ない以前に、僕たちは日本で生活する以上、税金を納めるために日本円を稼がないといけないのです。
僕たちだけでなく、お店の人も同じです。日本円以外で支払われても困るので、支払いは原則日本円だけ。
結果、僕たちは税金を納めるだけでなく日々の買い物でも日本円を使うしかないんです。
もちろんミクロ的な視点に立てば、ツケで支払ったり物々交換が成り立ったりしますが、全体で見ると税金があるから「日本円を使うしかない」というのは確かにそのとおりですね。
これを家庭の中で考えてみましょう。
両親と4人の子どもの6人家族です。お父さんが「1マルク」と書かれた紙幣を100枚用意しました。お母さんが「100マルク借ります。1年後に返します」と書いた簡単な借用書をお父さんに渡し、お父さんから100マルク受け取ります。
今度はお母さんが4人の子どもたちに5マルクずつ渡します。
子どもたちはキョトンとしていますが、お母さんが「家事を手伝ってくれたらマルクを支払います。食器洗いは1日5マルク、洗濯は1回10マルクです。」と言いました。
ただまだ子どもたちはキョトンとしています。
「わざわざ手伝ってマルクとかいう紙切れをもらって、何になるの?スマホゲームの続きしよっと。」
続けてお母さんが「それと、今日からスマートフォンの利用料金を取ります。1日5マルクです。支払わないとスマホを取り上げます。」
子どもたちは頑張って家事を手伝ってマルクを稼ぎ、お母さんに支払いました。そしてその見返りにスマホゲームを堪能することもできます。
そのうち子どもたちは「宿題を手伝ってくれたら3マルク」のように自分たちでもやり取りし始めます。マルクがもらえるなら、別にお母さんの手伝いをしなくても、マルクを持っている兄弟から貰えばいいからです。
お子さんがいる家庭なら明日から取り入れられそうな簡単な方法で、子どもたちが積極的に家事を手伝ってくれるようになりました。兄弟で勉強を教え合ったりと、新しい価値も生まれています。なにが起こっているか分かりますか?
田内学さんは「これこそ我々が使っているお金の本質」だと言います。
お金(100マルク)が生まれた時、誰にとっても何の価値もありませんでした。でもそれを支払わないとスマートフォンを取り上げられるとなった瞬間、価値を生みました。
気づけば最初に決めた家事だけでなく、兄弟同士で一種のビジネスを作り出し、マルクを稼ごうとし始めました。
「一日5マルク払わないとスマートフォンを取り上げる」が税金です。
お父さんを日本銀行、お母さんを政府、子どもたちを民間企業や市民、「一日5マルク払わないとスマートフォンを取り上げる」というのを「支払わなければ公共機関が使えません、医療が受けれません、刑罰が科せられます」に置き換えてみてください。
経済という大きなものの本質がイメージできてきたのではないでしょうか?
お金の価値は「誰かが自分のために働いてくれること」
お金の正体というよく分からないものが、ぼんやりとですが見えてきた気がしませんか?ではいよいよ、僕たちが普段使っている日本円の”本質的な価値”を見ていきましょう!これまでと同じく、まずは身近な疑問から考えてみましょう。
食べ放題で元が取れた、取れなかったという話はよく聞きますが、元を取るというのはどういう状態でしょうか?
3000円の食べ放題で、1皿500円で販売されているお肉を6皿食べれば元が取れるのでしょうか?
でもそれだとまだお店が儲けていますよね。1皿500円で原価が200円なら、15皿食べれば原価3000円なのでお店の利益がなくなります。
これなら元を取ったと言えるでしょうか?
ちょっと待ってください。お店に原価200円でお肉を販売した卸業者は利益を出しています。卸価格が150円なら、20皿食べればOK?
でもお肉を生産した畜産業者は儲かっていますよね。お肉を生産するための正味原価が1皿50円なら60皿食べれば、ようやく元を取ったことになるのでしょうか?
こんなやり取りをあと何回繰り返せばいいのか分からないのでここらへんで終わりにしておきます。結局言いたいことは、”原価”というのは本質的に”ゼロ”であるということです。突き詰めればすべては自然から生まれたもので、その瞬間には値段が付いていなかったものです。サービスも同じです。本質的には同じことを友人や家族に無料でしてあげています。
じゃあ僕たちは一体何にお金を支払っているのでしょうか?
もちろん、原価が本質的にゼロなら、お金を支払っているのは原価に対してではなく、それに費やされた労働力です。
ここでもう一つ質問をしてみましょう。
さあ単純な問題ですが、これを経済的な視点から考えたことは僕自身一度もありません。当たり前だと思っていました。
立場を逆にして考えてみましょう。
あなたは家族のためにご飯を作るのにお金が欲しいと思いますか?
もちろん材料費がかかるのでその分くらいは欲しいと思うかもしれませんが、本質的に原材料の価値はゼロです。
僕も妻にご飯を作る時、お金を求めたことはありません(笑)
では、見ず知らずの人が「ご飯を作ってくれ」と言った時、お金が欲しいと思いますか?
料理人になった気持ちで考えてみてください。たとえ原価が本質的にゼロであっても、ご飯を作るとなると手間も時間もかかりますよね。
なぜ見ず知らずの人のために自分の手間や時間をかけないといけないのでしょう?
さあ、この話でお金の”本質的な価値”が見えてきませんか?すぐ次の行に答えを書いていますが、ぜひ一度ここで考えてみてください。
そう、僕たちが買っているのは”モノ”や”サービス”ではなく、誰かの労働力です。
言い換えると、お金とは「誰かが自分のために働いてくれる権利」なのです。
いくら料理が好きでも、見ず知らずの人のために朝から晩までご飯を作ってあげたいと思う人は少ないでしょう。何か見返りが欲しくなります。その見返りとして流通しているのがお金(日本円)なのです。
手間をかけた分お金をもらえたら、そのお金で他のものを買うことができます。
他のものを買うというのはどういうことでしょうか?
例えば、スマートフォンを買いたいとします。僕たちは1人でスマートフォンを作ることができませんよね。鉱山から金属とシリコンを採掘して精製して半導体を作って…なんてことはできません。
スマートフォンを手に入れるには、それができる人に”自分のために働いてもらう”必要があるわけです。見ず知らずの人にお願いしてももなかなか働いてくれないので、お金を払っているんです。
なぜお母さんはお金を払わなくてもご飯を作ってくれるのか?
単純に、別に見返りがなくても時間と手間をかけても惜しくない相手だからです。お母さんも時間と手間をかけたくない相手に対してなら、同じものを作るにしてもお金をもらわないとやらないでしょう。
お金の本質的な価値は”誰かが自分のために働いてくれる権利”というのは新しく、でも確かにそうだと思える言葉ですね。自分がタダでなにかをしている時、タダでなにかをしてもらう時。お金をもらってなにかをしている時、お金を払って何かをしてもらう時、どんな場合に置き換えても確かにそうです。
そして価格の高さはそのものの価値ではなく「働きたくない度合い」を表しています。
なぜ休日料金があるのか?誰も休日に働きたくないからです。
なぜ同じジュースでもスーパーと自販機では値段が違うのか?自販機の補充や自販機の維持といった面倒な労働が必要だからです。
仕入れコストに差がないクッキーでも手作りと大量生産ではなぜ値段が違うのか?1つ作るために必要な労働力が違うからです。
ここまでをまとめると
- お金は誰か他の人が受け取ってくれる(働いている)ことで初めて価値を生む
- 日本で日本円を使う理由は、日本円で税金を納めないといけないから
- お金とは「誰かに自分のために働いてもらう権利」である
といったことが言えます。
本書ではさらに価格と価値の関係についてもいろんな例で面白く教えてくれますが、ここでは割愛。日々使っているお金の本質が見えてきたところで、もう少し大きな話題、社会全体のお金について考えてみましょう。
預金の正体
日本で発行されているお金の総額は120兆円ほどです。一方、個人と企業の預金残高は1200兆円以上あります。
この差は一体どこから来るのでしょうか?
そのためにはまず「預金」という言葉から考え直さないといけません。
「預金」という言葉には、僕たちが預けたお金を銀行が”預かっている、管理している”という印象がありますよね。
でも実際はそうではありません。もしも銀行にお金を”預けている”なら、そのお金の所有権は僕たちにあるはずです。
でも実際には、銀行は僕たちが”預けた”お金を自由に使っています。決して金庫に保管しているわけではありません。
銀行には「預金準備率」というものが法律で決まっています。これは、「預金全体の一部をちゃんと準備していたら、他は何に使ってもいいよ」というルールです。
そして現在、預金準備率は「0.05〜1.3%」ほど。
つまり、銀行は僕たちが100万円預けた時、5000円ほど残して後は他の人に貸したり、不動産を買ったり、自由に使っていいんです。
このことから分かるのは、僕たちは銀行にお金を預けているのではなく、銀行にお金を”貸している”という事実です。
預けたお金を勝手に使われたらたまったもんじゃないですが、貸したお金なら仕方ないですよね。そもそも使うために借りるわけですから。
このことが分かると、120兆円の現金しか流通していないのに、1200兆円もの預金が生まれる理由が分かります。
単純な例で見てみましょう。
Aさんが銀行に100万円貸したとします。
銀行はそのお金をBさんに貸しました。Bさんは新しい事業をするための資金が必要だったようです。
Bさんは100万円支払ってCさんから事業に必要な設備を買いました。
100万円受け取ったCさんは銀行に預金しました。
すると、、、銀行には200万円の預金があることになります。
これを繰り返すと、120兆円しかないのに1200兆円もの預金が生まれます。
でもちょっと待ってください。Aさんが貸した100万円を引き出すにはどうすればいいんでしょうか?銀行が勝手にBさんに貸し出してしまいました。
大丈夫です。Cさんが現金100万円を銀行に貸した(預金した)ので、銀行には100万円があります。それを使えば良いんです。
じゃあCさんが引き出しに来たら?
その頃までにBさんが事業を頑張って100万円を返してくれたら、問題ありませんね。
でもBさんがお金を返す前に、AさんとCさんが同時に引き出したら?
銀行にはお金がないので、引き出せません。これがいわゆる取り付け騒ぎというやつです。
預金準備率は「0.05〜1.3%」ほどなので、銀行は預金の1%程度の現金さえ持っていれば後は他に貸し出せます。が、預金者が一斉に引き出しに来たら、1%の現金しかないので99%は返せませんよね。
でもみんなが一斉にお金を引き出しに来るなんてめったにないので、銀行としては1%程度の現金さえあればだいたい大丈夫、ということです。
冷静に考えると当たり前ですが、お金は預けているのではなく貸している。しかも銀行が”又貸し”することで、預金金額が増えていく、というのは感覚的には驚きですよね。
ここまで理解すると、日本経済の全体像も見え始めます。
銀行はお金を借りて、それを誰かに又貸しすることで、預金額を増やしています。
つまり、120兆円の現金しかないのに1200兆円もの預金があるということは、それだけ多くの借金を誰かがしているということです。
日本は預金が多い!勤勉だ!貯金体質だ!みたいな話がありますが、実際には借金体質なんです…借金しないと預金が増えない以上、それが現実です…
じゃあ誰がそんなに多くの借金をしているのでしょう?
答えは簡単。日本政府ですね。
正確に説明すると日銀と市中銀行の関係、日銀当座預金と国債と日本銀行券の関係を説明しないといけないのですが、本書ではそこまでは説明していません。そんな細かなことを知らなくても大量の預金がありながら大量の借金(国債)がある日本の実態は理解できます。
単純に一番分かりやすいように、日本政府が借金をして(国債を発行して)、国民に現金を給付したとします。
昨年、コロナ禍でも一律10万円給付がありましたが、それと同じようなことです。
その時、預金はどうなるでしょうか?
日本政府が借金をした分、日本国民の預金が増えますよね。
日本は大量の借金と、大量の預金がある。
不思議なことでも何でもなくて、あたりまえのことなんです。
他の公共事業でも同じです。政府が借金で公共事業を発注すれば、受注した企業の利益になります。それは企業の内部留保という形で預金を増やすか、従業員の給料として支払われて預金を増やすかです。
利益が出なくても同じです。利益が出ないということは受注したお金の大半を別の企業に支払ったということです(材料を買ったり、作業を外注したり)。すると当然、その企業の利益になります。
日本政府の赤字は回り回って、必ず僕たちの預金を増やしてくれます。使ってもなくならないから。誰かの支出は誰かの収入。借金は回り回って、必ず誰かの預金になるんです。
GDPで何が分かる?
ちょっと話がずれますが、本書の中で面白かった「GDPにだまされるな」という部分を簡単に紹介したいと思います。
GDP、経済ニュースを見ていたら頻繁に耳にしますよね。実質GDPがどうとか、予想GDPがどうだとか。日本はこのGDPがぜんぜん伸びないので「失われた30年」とか言われています。経済指標の中で一番有名なGDPも、今回学んだお金や経済の本質を知ると、ちょっと違う見方ができます。
GDPとは国内総生産のことで、一定期間内に国内で新たに生み出されたモノやサービスの付加価値のことです。GDPには日本企業が国外で生産した付加価値は含まれません。GDPは国の経済力の目安としてよく用いられ、日本の名目GDP(2019年)は561兆円(5.15兆ドル、1ドル=109円で計算)と、米国(21.43兆ドル)、中国(14.34兆ドル)に次ぐ世界第3位の経済規模となっています(内閣府資料より)。
このGDPが前年同期や前期と比べてどのくらい増減したのかを見ることで、国内の景気変動や経済成長を推定することができ、それを「%」で示したものを経済成長率といいます。
GDPの定義は上記の通りですが、要するに新しくなにかを生み出して、それをお金に換算すれば、それがGDPになります。たとえ生み出したものが何であれ、です。
上記書かれている通り、GDPは「国の経済力の目安」で、多ければ多いほど経済力が強いということになります。
ではこうしたケースを考えてみましょう。
10年前50万円だった4Kテレビが、技術革新と企業努力によって10万円になりました。このテレビだけに限れば、生み出されたGDPが5分の1になっています。大変ですね。国の経済力が低下しています。
でもちょっと待ってください。これで誰か困りますか?
もう一つ例に出してみましょう。
1年間で10兆円かけて新幹線と路線を作りました。それから30年、今は使うだけなのでその新幹線が生む経済効果は年間5000億円です。
さてこれも大変です。30年前、新幹線の建設で10兆円もGDPが伸びました。でも今は使うだけなので、年間5000億円のGDPにしかなりません。GDPを上げるには今の路線を壊してもう一度作り直せば良いんです!そうすればまた10兆円の建設費用、今度は撤去費用もかかるのでもっと大きなGDPになります!
いやそんなバカな…って誰でも分かりますよね。つまりGDPは国民の生活や幸福、本質的な経済力とは何の関係もないんです。以前紹介した「Numbers Don’t Lie」でも似たような話がありましたね。
田内学さんは「GDPはただのテストの点数」だと言います。一夜漬けでも点数を上げることができてしまうということですね。
日本は高度経済成長期に世界最高クラスの水道、電気、ガス、道路、新幹線といったインフラを整えました。
これらを整えた時、建設・開発でとんでもなくGDPが増えたはずです。
でもその後、それらを保守管理して使うだけになった今、GDPはたいして増えません。
でもそれは悪いことじゃないですよね。
GDPが低い=経済力が低い、という話ではないんです。過去のインフラを存分に使って国民が幸福で、自由な経済活動ができているなら言うことはありません。
もちろん、経済成長という点でGDPの成長は重要です。でも結局大切なのは中身です。すべての都道府県にピラミッドを公共事業として建設すれば、GDPは増えるでしょうが、それで幸せに感じる人は少なそうですよね(笑)
お金に解決できるのは「困っている人を別の人に変えること」
では最後に、日本政府の1000兆円を超える借金(国債)とそれによる破綻や、年金問題などについて考えてみましょう。
大きい話ですし、僕はこうした分野について絶対的な正解があるとも思っていません。人それぞれの立場や考え方によって正解が違うと思います。なのであくまでも本書に書かれている立場、考え方だと思って読んでください。
まず、日本政府が借金で破綻するかというと、それはありえません。
国債を発行すると未来の子どもに負担がかかるってよく言いますよね?
筆者曰く、それはあくまでも使い方の問題であって、国債そのものが未来の子どもの負担になるわけではないそうです。
例えば、赤字国債を発行して1500億円の国立競技場を建設したとします。
1500億円は建設会社の売上になり、材料メーカーなどの売上になり、そこの社員の給料になり、回り回って預金となって国民の資産を増やします。もちろん建設に直接携わった人だけではありません。建設作業員の服を作った服のメーカーやその素材メーカー。そして配達した配達会社。さらには作業員のお弁当を作った飲食店。その材料である米や野菜を作った農家さんの資産になります。
そして30年後、世代交代が起こった時、1500億円の赤字国債は未来の子どもたちに引き継がれます。
でも同時に1500億円分の資産も引き継いでいるはずですよね。
建設会社の社員が行った預金は、たとえその人が死んでも別の所に移動します。生きている間に使うかもしれませんし、子どもや家族に遺産として残すかもしれません。
いずれにせよ、1500億円分の資産が消えてなくなるということはありません。
であれば未来の子どもたちは1500億円分の負債(借金)と1500億円分の資産を受け継ぐので、何も困りませんよね。
それに30年前に建設された国立競技場はまだ使えるでしょう。その分、プラスになっているはずです。
政府が借金してなにかを行った時、必ずそれを収入として受け取った人がいます。その人が受け取った収入を別のものを買うために使えば、それはまた別の誰かの収入になります。
ここでも大切なのは、お金とは「誰かが自分のために働いてくれる権利」だということです。
個人の借金は返済しないと破綻します。なぜなら、個人は借金をして他の人に働いてもらっているからです。その分は働いて返さないといけません。
だから自分が働いて生み出せる以上の借金をしてしまったらいずれ破綻します。
でも政府ならちょっと話が違ってきますよね。政府も借金をして他の人に働いていますが、じゃあ政府に働いて返してもらうとして、働くのは誰ですか?国民ですよね。
政府が国民を1500億円分タダ働きさせたら、赤字国債で生まれた1500億円分の借金を返すことができます。
それこそ、未来の子どもたちの負担ですよね。誰も望んでいません。
だから誰も政府にお金を返してくれなんて言いませんし、返す必要もないんです。政府が借金して生まれた国民の資産は、政府が借金を返すことで消えてなくなるんですから。
ただし外国に借金をしている場合、ちょっと事情が違いますよ。外国は日本にお金を貸して「日本人に働いてもらう権利」を手に入れたら、遠慮なく使ってくるでしょう。ギリシャが破綻して日本が破綻しない理由はここにあります。ギリシャは外国に借金をしていたので、外国から借金の返済を命じられ、国民全員でタダ働きしないといけなくなったんです。外国のためにタダ働きしたら、そりゃ国内の経済は崩れますよね。
年金問題も似たようなロジックで考えることができます。
なぜ少子高齢化が問題なのでしょうか?少数の現役世代がたくさんの老人を支えなければいけないから?
それはその通りなのですが、お金で考えるとおかしなことになります。
実際、社会全体で見れば、たとえどれだけお金があっても少子高齢化は課題になります。
お金は「誰かが自分のために働いてくれる権利」でしたよね。
みんなが豊かな老後を過ごせるだけのお金を持っていたとします。
これは年金でも、投資で作った個人資産でも何でも良いですが、とにかく十分なお金です。
そしてお金を使うということは、誰か他の人を自分のために働かせるということです。
引退した高齢層がどれだけお金を持っていても、年金を2倍にしようが3倍にしようが、解決しない大きな問題が見えてきませんか?
そう、少ない現役世代が、どうやってたくさんの高齢層のために働くのか、という問題です。
たとえお金が余っていても、そのための労働力が不足していたら、豊かな老後は過ごせません。
10人分のパンを作ることができても、パンを食べたい人が20人いたら全員はお腹いっぱいになれませんよね。少子高齢化問題の課題はお金ではなく、労働力にあるんです。
逆に労働力さえあれば(生産性が向上するのでもいい)、年金問題は解決します。赤字国債を発行し、十分な年金を渡せば済みます。
その年金を使ってくれたら誰かの収入になるので、現役世代も大喜びです。
でも現実にはそうなりません。そんなことをしてしまったら、「誰かが自分のために働いてくれる権利」が「働ける誰かの総量」を上回ってしまいます。
つまり問題は高齢化ではないんです。年金の財源が枯渇することでもないんです。
働かなくなった高齢層が持っている「他人に働いてもらう権利」を満たすだけの労働力がないことが問題なんです。
お金は「誰かが自分のために働いてくれる権利」なので、どこかで誰かがその分働き、その分の価値を受け取る必要があります。お金で問題を解決することはできないんです。年金の受給額を増やすことは簡単ですが、それは現役世代の労働力を圧迫するだけ。つまり、困っている人を別の人に変えただけで、何も解決していません。
税金が多い、政府の無駄が多い、年金が破綻する、老後資産が足りない…これらは本質的な議論ではありません。お金が「他人に働いてもらう権利」なので、働いてくれる他人がいるなら、赤字国債をいくら発行しても問題になりません。結局は、労働によって社会全体がどれだけの価値を生み出せるかです。
経済はお金ではなく”人”を見る
少し長くなりましたが、今回は田内学さんの「お金のむこうに人がいる」を紹介しました。
面白さが10分の1でも伝われば幸いですが、最初に言ったように、この本、今年の暫定1位になるくらい面白い本でした。お金に対する考え方というか、価値観そのものが少し変わった気がします。
お金は僕たちが生活するために欠かせないものです。
でもその本質を知る機会はめったにありません。1万円札の原価は17円なのだそうです。それを銀行に持っていったら金と交換してくれるわけでもありません。裏付けになっている国債は僕たちの日常生活で使い道のないそれこそ紙切れです。
でも僕たちは1万円札には1万円分の価値があると信じて疑いませんよね。
それがなぜなのか?その答えが本書にありました。
田内学さんは中高生の金融教育をされているだけあって、本当に分かりやすく教えてくれました。お父さんが紙幣を発行し、お母さんが管理し、税金的なものを科すことで子どもたちがそれを通貨として活用し始める。もっと複雑になっただけで、日本全国でも同じことが起こっています。
本書では外国のお金のやり取りやインフレが起こる理由など、もっといろいろな経済現象について説明してくれています。
こうしたことを取り扱った本は多くありますし、僕も色々読みましたが、いまいちピンと来ていませんでした。その考え方はそもそも「お金」が何なのかを正しく把握していなかったからかもしれません。
この本を読んだ後で、いろんな経済、金融の本を読むともっと理解できそうな気がするので、そうした本を読んで、ちゃんと理解できたものはIntro Booksで紹介したいと思います。
この記事を書いた人
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かれこれ5年以上、変えることなく維持しているマッシュヘア。
座右の銘は倦むことなかれ。
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